2008-06-01から1ヶ月間の記事一覧

方法10「アルカイックな均整美に耽溺する」

◇さて、実に長かったこの記事もようやく終わりにたどり着いた。ここまで来てもミャスコフスキーが嫌いだという人は、おそらく存在しないだろう(ここまで読まないだろうから)。が、それでもやはりミャスコフスキーは分かりにくい…と思うなら、いっそのこと…

方法9「スヴェトラーノフの解釈の巨大さに慣れる」

◇すでに後期交響曲について述べたが、スヴェトラーノフの解釈の巨大さがあればこそ、ミャスコフスキーのやや晦渋な作風も昇華されてより美しく表現されている。第24番〜第26番などは他の指揮者・オーケストラには全く近づくことが許されない領域ではないか。…

方法8「独特のオーケストラ配置に慣れる」

◇これは、90年代のスヴェトラーノフとアカデミー交響楽団に関することだが、そのオーケストラ配置が独特である。ヴァイオリンの左右対向配置(向かって左に第1Vn、右に第2Vn)は最近ではかなり一般的で、ヴィオラが右、チェロとコントラバスが左奥、という…

方法7「地味なオーケストレーションと渋い作風に慣れる」

◇ミャスコフスキーは、本当は他のロシアの作曲家たちと同じく、親しみやすい作風で曲を書くことができる(いわゆる「社会主義リアリズム」にも、その気になればもっと同調できたはずだ)。しかし、「交響曲」に関しては、非常に禁欲的な作風、抑制したオーケ…

方法6「作風変遷の時期区分に即して(中後期を中心に)聴く」

◇さて、この記事自体もマラソン的になってきたが、ここでミャスコフスキーの作風の変遷を整理すべく、時代区分を試みてみる。従来これに類するものは、Eric Schissel(という人)による3期区分くらいしかないようだ(少なくともWeb上には)。 「時期区分を…

方法5「親しみやすい曲から聴く」

◇ミャスコフスキーの正体不明の作風は、馴染めないと本当に馴染めないので、20世紀後半の前衛音楽より性質の悪いとも言われるが、それにしても、暗い曲を書けば沈鬱な作風でもやもやしてはっきりしないと文句を言われ、明るい曲を書けば体制迎合的だと非難さ…

方法4「傑作から聴く」

◇単純に言って、チャイコフスキーを第5番か第6番から、ショスタコーヴィチを第5番から聴くように、傑作から聴くのがいいだろう。まずは第5番か第27番を聴きたい。 ◇第5番二長調Op18(1918)★★★は、ミャスコフスキーの出世作で、初期の傑作。第1楽章がA…

方法3「短い曲から聴かない」

◇第10番が約16分、第13番が約20分、第21番が約18分、どれも単一楽章作品で、「これくらいなら聴きやすいのでは…」と思うと、思い切り裏切られる。 ◇第10番へ短調Op30(1927)は、「青銅の騎士」を題材にしたR.シュトラウス張りの交響詩だが、お世辞にも聴き…

方法2「番号順に聴かない」

◇全集なので、つい「27曲を番号順に」などと考えてしまいやすいが、これも失敗の元。OLYMPIA盤も今回の全集も第1番から始まっているのでなおさらである。しかし、ミャスコフスキーの第1番ハ短調Op3(1908/1921改作)は、特に第1楽章がチャイコフスキー…

方法1「交響曲から聴かない」

◇「交響曲全集」と題されているが、交響曲から聴くべきではない。OLYMPIAの全集リリースもこの点で失敗している。せっかく親しみやすい管弦楽曲が録音されているのだから、それを入門として聴くべきだ。ミャスコフスキーは、後で述べるように、特に交響曲で…

 スヴェトラーノフのミャスコフスキー交響曲全集を10倍楽しむ方法?

◇政治問題、事件、災害打ち続く中ではあるが、私は今しばらく音楽や学芸について語っておきたい。例によって長い(HTML記号を入れて14,000字超)が…。 【目次】 方法1「交響曲から聴かない」 - ピョートル4世の<孫の手>雑評 方法2「番号順に聴かない」 - …

 青澤唯夫『名指揮者との対話』(春秋社2004年)

音楽を聴くのは生きる意味を問うことだった。だから音楽を通じて自らの人生を生きる指揮者たちのことを彼らの言葉に即して書きたいと思っていた。二十世紀という激動の時代を多くの困難に耐えながら、時には戦乱のなかで命をかけながら音楽を支えに生きた指…