「日本思想史」という大問題 (靖国論議の混迷に寄せて)

◇珍しくTVの(ニュース以外の)報道番組を観て、興味が湧いた。今朝のフジ「報道2001」(http://www.fujitv.co.jp/b_hp/2001/)とりあえず、TV欄見出しは「今こそ靖国参拝を徹底検証…前宮司東条英機の孫語るA級戦犯?」。多彩な顔ぶれで、いろいろな論点が出ていたようだが、途中から見た上に話半分に聞いていたので、詳細は省略。ただ、ちらほらと思わず聞いてしまう議論もあり、私にとってないよりましな番組の一つと認めた。以下いくつか、この番組を見る中から私が勝手に抱いた感想だけを書き散らす(乱文失礼。番組そのものとはあまり関係なし)。
◇まず、菅直人がどこかからの中継で参加していたが、全体的な歴史観は90年代半ばと変わらず。岡田代表の「靖国国会」での追及を見ても、民主党歴史観のしたたかさで完全に小泉に負けてる。高橋哲哉氏の「歴史修正主義」に関する議論もフォローしていないが*1、こういう人たちはまだ、今「戦後の民主主義・平和主義」が危ない、結局「天皇制」が問題だ、という歴史観なんだろうか。そうだとすれば、その実質をせめて、このいいかげんな私ぐらいには考えてくれと言いたくなる(そういう考えの顧客向けの商売だというならしょうがないが)。歴史に根底から取り組む気がないなら、「戦争」の問題なんて大層なことを掲げずに、当面の技術的(立法的、行政的、裁判的)問題に集中せい(できない? ならば別の商売を探すべき)。
◇また、「日本思想史」がダメなせいでいかに不毛な議論が多いことか、と悲しくなる。個々の基礎的な研究が地道に進んでいるのは知っている(その成果の一部が子安宣邦監修『日本思想史辞典*2)が、誰でも読めるような、まともで新しい通史が一向に書かれる気配がない。大学の教養科目が無くなって以来(もちろんその前から停滞し続けているが)「日本思想史」は学問として、ほとんど死滅状態ではないか(なにしろ社会的な発信力がほとんど全くない)。お陰で胡散臭い文明論ばかりが横行する。そういうところに出てくるのは、せいぜい古代・中世に関する知識で、現代日本人の基盤をかたち作った近世思想に関する常識が世間一般に欠落している*3
◇さらに、近世の研究分野でも特定人物に偏った研究が行われ、一向に全体像が浮かんできていない。この意味で、丸山真男日本政治思想史研究*4の罪は重い(名著であるだけに一層)。単行本が出てから50年以上、彼が開けた穴を掘り進んだだけの人間のいかに多いことか(しかも、全体から見れば少数過ぎて意味なし)。いいかげん呪縛から解き放たれよ! 
◇そもそも修正されない「歴史」などイデオロギーに過ぎない。現実にそぐわなくなったイデオロギーに恋々とすることなかれ。常に現実に見合った体系を作り出す以外に、学問に生き残る価値はない。
◇これはなにも研究者についての問題とは思わない。例えば、先日、村上龍石原慎太郎と絡んで、日本人の死生観・宗教観を問題にしたが、近世儒教の「祭祀論」(人間の魂についての理解)*5を無視して、これらの問題の何を語れるのか。私には不思議でしょうがない。(もちろん語ってかまいません、そもそも学術的なものでないのなら。学術的なフリをしたニセモノに怒っているだけです。基本的には)。もはや、日本社会に生きる(少なくとも日本語でものを考える)人が本当に「日本」を理解しようという気があるのかという、根本的な問題だろう。

*1:今のところ、未来社PR誌『未来』5月号に出ている、講演記録「いま、<精神的自由>の危機を考える」くらいしか読んでいない。『靖国問題』も。(補足)後から、月刊論壇?誌『諸君!』7月号、宮崎哲弥「『今月の新書』完全読破」を見たところ(大概ここしか見ない)、『靖国問題』が栄えある「今月のワースト」に選ばれていた。

*2:日本思想史辞典

*3:まずは、尾藤正英『江戸時代とはなにか−日本史上の近世と近代−

江戸時代とはなにか―日本史上の近世と近代

江戸時代とはなにか―日本史上の近世と近代

が必須。

*4:画像なし。リンクはここから。

日本政治思想史研究

日本政治思想史研究

*5:現状でこれを論じるのに一番近いのは、子安宣邦鬼神論鬼神論―神と祭祀のディスクールか。