【6:東浩紀の日本社会論の射程】

◇さて、そこで「日本社会」論を名のっている『動ポモ』に立ち戻って、「日本社会」についてどのような状況認識がされているかだけ確認しておこう。ただ、結局この本は以上のような哲学的背景を持ちつつ、オタク系文化だけを素材に論じた本なので、「日本社会」もその文脈にそって論じられている(主に1-2)ことは割り引いて読まないといけない。
◇東氏が、1970年代に台頭した「オタク系文化」を素材にして『動ポモ』を論じる目的は、次のように示される(1-1)。「オタク系文化のような奇妙なサブカルチャーを抱えてしまった私たちの社会とはどのような社会なのか、すこし真剣に考えてみることである」(p12)
◇なぜ、このように時間を区切るかといえば、1970年前後に「巨大な断絶」(p15)があり、私たちの生活や活動の基礎的条件が根本から変わってしまったという事実を取り逃がさないように、東氏は「ポストモダン」という用語にこだわる。結局、東氏はポストモダン社会の人間が置かれた状況を「動物化」と捉えていくわけだが、その裏打ちとしてそれ以前(1970年代まで)にあった「大きな物語」や「超越性」(=世俗的、即物的ではない価値。東氏は『自由を考える』の反響を受けて、昨年も語っている。hirokiazuma.com04.2.2hirokiazuma.com04.2.8)をなんとか「再興」しなければいけない、という思想がある。
◇その文脈で言えば、東氏の「ポストモダン」とは、19世紀的な「近代」の後という意味と、20世紀的な「現代(思想)」の後という意味とが重なって使われる言葉になっている。この二重のポストモダンを追究するのが、東氏の思想の拠点であり、『自由を考える』の権力論/自由論でも、isedの情報倫理/設計論でも、その点はいささかもぶれていない。
◇ただ、私の立場から言わせてもらえば、ここには「歴史の射程」問題がある。例えば、中沢新一の「カイエ・ソバージュ」のように「1万年前」の「新石器革命」というのはいかにも飛びすぎだが、いくら1970年代以降の「基礎的変化」が決定的であっても、その文脈を語るのには1970年代以降の「ポスト」性の理解が不可欠だろう。だとすれば、フーコー鈴木謙介氏が示すように18世紀以降の「近代」の思想史の文脈は少なくとも必要だろう。それを日本で言えば、特に「近世」(=early modern)以来の思想史的理解が必要ではないか、という私の意見につながる。
◇結局、いくら近代やポストモダン*1の議論を出しても、日本での歴史的見通しがすっきりしないのは、この部分の理解が欠けているからではないか。人文的方法の復興にしても、日本での文芸・学芸の「復興」(=ルネサンス)が完成した江戸期の理解なしに進めるのは、結局回り道ではないか。なぜなら、そこではいつまで経っても「日本/西洋」の2項対立が生き延び、「そんなこと言っても、日本は違うんだ」という言い訳が執拗に繰り返されるのである。
◇さて、『動ポモ』の「日本社会論」に戻れば、東氏が特に「オタク系文化」に狙いを絞ったのも、単に個人的事情ではなく、以下のような理解の枠組みがあることを示している(1-2)。「オタク系文化」は決して日本固有のものでなく、ポストモダンという社会的条件に伴い、アメリカ産サブカルチャーの「国産化」として始まった。そこには、敗戦という心的外傷(むしろ「史的外傷」と言っていいだろう)が投影されており、80〜90年代のオタク系文化礼賛論や「擬似的な日本」趣味には、「戦後のアメリカに対する圧倒的な劣位を反転させ、その劣位こそが優位だと言い募る欲望」(p23)があると捉える。
◇また、この80年代からのオタク系文化礼賛論と表裏をなすのが、ニューアカ現代思想の流行である。「当時日本で流行したポストモダニズムの言説は、『ポストモダン的であること』と『日本的であること』を意図的に混同して論じることに特徴があった」(p28)。これらの事実は、80年代の日本社会を満たしていたナルシシズムと関係しているとする。
◇以上をまとめて、東氏が「オタク系文化」を素材として論じる、日本社会への状況認識は、以下のようなものである。

オタク系文化の存在は、一方で、敗戦の経験と結びついており、私たちのアイデンティティの脆弱さを見せつけるおぞましいもの*2である。…しかしその存在は、他方で、80年代のナルシシズムと結びつき、世界の最先端に立つ日本という幻想を与えてくれるフェティッシュでもある。(p33)

◇この問題はさらに遡れば、

いまやだれもが実感しているように、80年代までの日本社会は、敗戦とその後の経済成長が生み出した矛盾の多くを放置し、そのまま90年代以降に解決を先送りしてしまった(p26)

という点に行き着く。
◇従って、オタク系文化の検討は、東氏にとって重要な社会的文脈を持っている。

日本の戦後処理の、アメリカからの文化的侵略の、近代化とポストモダン化が与えた歪みの問題がすべて入っている。したがってそれはまた政治やイデオロギーの問題とも深く関係している。たとえば、冷戦崩壊後のこの12年間、小林よしのり福田和也から鳥肌実にいたるまで、日本の右翼的言説は一般にサブカルチャー化しフェイク化しオタク化することで生き残ってきたとも言える。したがって彼らが支持されてきた理由は、サブカルチャーの歴史を理解せず、主張だけを追っていたのでは決して捉えることができない。筆者はこの問題にも強い関心を抱いており、いつか機会があれば主題的に論じてみたいと考えている。(p38)

◇こうして見れば、東氏のこの時点の「日本社会論」は、90年代に再び湧き上がった「戦後問題」を受けている。一方では、フェイク化された情報が氾濫し、その中で戯れるオタクたちを生み出し、一方では、捏造された物語に従って、「日本」への幻想の共同性にすがりつく人々を生み出す、この私たちの社会を問題にしているわけである。ただこの立場は、この社会(世間)には、自律できる個人は多数おらず、言論も哲学も常に骨抜きにされてしまう、という悲観的認識にもつながりかねない。
◇本書で展開される「動物化」論とは、宮台真司先生の「脱社会性」とも響きあって、その社会的文脈、政治的文脈が問題となるような議論である。例証はすべていかにもオタク的なキャラやゲームが取り上げられるのだが、実際にはこの本は、この序論で示された射程を前提として読むことが求められる本だということになる。そして、この文脈はそのまま『自由を考える』で展開される権力/自由論につながっていく。
◇もっとも私としては、80年代のナルシシズムについての言及が非常に曖昧で、あの80年代、特にバブル期の醜悪さ*3に触れていないことは(この本の趣旨から外れるとしても)不満であり、またその状況の中での日本流ポストモダニストの発言が京都学派の「近代の超克」をめぐる議論ほどの価値があるかどうかも疑問である*4
◇しかし、ここではっきりと宣言しておくが、東氏の思想が以上のような背景・射程にもとづいて、日本社会を論じようとしたものであることは間違いない。このことは、さらに『自由を考える』やisedの活動を見れば明らかなはずで、次回はそこまで少し追いかける予定である。浅羽氏の「疑問2」に答えて、東氏の思想をリベラリズムの系譜に位置づけうる根拠は明らかだろう。ただしその一方、「疑問1」からは、先ほども触れたが、やや悲観的な見通しが得られるだろう。とすれば、日本リベラリズムの道はどこに見出されるだろうか。

*1:「ポモ」という略称は、やはり差別的ニュアンスがあるらしい。はてなキーワード参照。ちなみに「ポストモダン」の蔑称的用例の最新のものが(ちょうどよく)北田氏によって示された。(大学生のリポート作成に触れて)「だいたいは文脈などお構いなしのポストモダンな答案だ」(毎日新聞6/27付夕刊「揺らぐメディア④」)。シミュラークル的だとでも言いたいのかもしれないが、上記の意味で東氏には失礼な表現だろう。ised理研第3回共同討議「http://ised.glocom.jp/ised/05040312」でコテンパンにやられた意趣返しだろうか。←なんて、いかにもタブロイド的で、卑俗な捉え方ですな。しかし、こういうツッコミどころに事欠かないのが、「80年代テレビ亡者」北田氏の真骨頂。

*2:「おぞましいもの」という言い方は、クリステヴァに由来し、「自分のあり方を揺るがしてしまう対象」を意味する。東氏は、自分も深くコミットした「オタク系文化」を、敗戦により「古き良き日本」が壊れた後で「擬似的な日本」を描き出し、そのことで逆説的に現在の「日本」の矛盾を暴いてしまう性質を持つものだとしている。

*3:あのバブル期が、その後の、日本を巡る言説に落とした影は大きいだろう。あれほど、日本中に金満家的醜悪さ・傲慢さが行き渡った時代はなかった。例えば、どこぞの経営者の「ゴッホの絵を棺桶の中まで持っていきたい」という発言や、ヨーロッパの古城を買いあさりろくに管理もしないとか、各自治体に1億円をばらまいて純金像が各地に出現するとか、金箔入りの料理や酒が流行したとか、就職活動する学生が接待旅行で拘束されるとか、そういった道義性を欠いた社会の醜さである。

*4:補足すれば、これは柄谷行人が、廣松渉<近代の超克>論「近代の超克」論 (講談社学術文庫)の解説に書いた内容を受けている。この文脈で読めば理解できるわけだ。