警察裏金問題とジャーナリズムの構造

◇先日、あまり勉強してもいないのに、ジャーナリズムまで問題として取り上げてしまった(「政治・宗教・メディアに関する2、3の事柄 - ピョートル4世の<孫の手>雑評」)。案の定、私の記事の中でもかなりいいかげんなものになった(特に後半)。このままでは無責任な気がしたのと、もっと知りたいという好奇心が高まったので、ちょうど出た月刊ジャーナリズム誌『創』(つくる)8月号を買ってきた。今まではちらちら立読する程度だったが、今回は面白い記事が多数あった。以下、特集1の座談会の内容を私なりにまとめなおして、紹介。他の記事はまた次に。
◇特集1の題名は「警察vsメディアの攻防」。最初に次の3人の座談会「警察裏金問題をメディアはどう追及すべきなのか」。大谷昭宏(元読売新聞大阪本社社会部記者、フリージャーナリスト)・清水勉(「明るい警察を実現する全国ネットワーク」事務局長←サビの効いた良い名前だ)・黒木昭男(警視庁に23年間在職、ジャーナリスト)が、東京のメディアで十分に取り上げられない、警察裏金問題の現場と構造を語って非常に興味深い。
◇この問題については、元北海道警釧路方面本部長・原田宏二氏による実名告発(!)については、報道で少し知っていたが、ようやく全体像が浮かんできた。この問題は、北海道新聞高知新聞愛媛新聞テレビ愛媛など地方紙(TV)記者の取材が先頭を進み、一方全国紙は動かないどころか、足を引っ張る状況だという。その構造的な問題は何か。

マスコミ側の警察批判を控える要因

「特落ち」への恐れ
警察批判で、警察発表を流して貰えず、重要記事が自紙にだけ載っていないという事態を恐れて、自主規制してしまう。逆に、警察が「特ダネ」を餌に県警担当記者をスパイに仕立てて、別部署で進んでいた取材を潰したりすることもあるらしい(福岡県警裏金取材の例)。
テレビ局の警察依存
系列テレビ会社のイベント(マラソン大会など)で、警察に道路使用許可・警備を頼まなければならず、対立を避けたい。

マスコミと警察の力関係

  • 以前は、マスコミ側は警察官の不祥事(←これも役人の犯罪をぼかして言うマスコミ用語だが)ネタをストックし、警察側はマスコミ関係者のゴシップネタをストックし、そのネタの多少で力関係が決まっていたらしい。
  • それが、1999年の一連の警察不祥事以後、警察は徹底的に隠していた不祥事を自ら発表するようになった(自浄作用のアピール)。しかし、この裏金問題のような本当に重要な事項はまだ隠している。

裏金問題の構造的要因

「警察のノルマ制」問題
警察庁により、年度ごとに交通違反覚醒剤・拳銃・少年補導・各種(重要窃盗犯・指名手配など)強化月間(このために案件を貯めておくらしい)など、それぞれ今までの何年間がこうだから今年はこれくらいでと、いわば「営業目標」を立てられ、それが各県警に、さらに各警察署に配分される。そして、その「営業成績」に対して、表彰が行われてきた。例えば、自転車泥棒1件100円の即賞、拳銃1丁100万円の操作報償費など。
警察の上層/現場の対立問題
しかも、このお金が警察庁から出るにもかかわらず、各警察署で現場に行く額が違うらしい。つまり、上層部が勝手にプールして裏金を作っているということらしい。従って、実は現場の警察官は良心的な記者には協力的な人も多い。
内部告発の困難さの問題
しかし、下手にすれば告発者は一生がパー。公務執行妨害罪で逮捕された現職警部補もいた。また、退職者でも尾行・張り込みなどの嫌がらせを受けるなど。(こうした告発者を支援する目的で立ち上げられたのが、清水氏らのネットワーク)。

◇より詳しい具体例は、記事でわんさか出てくるので読んでいただければと思う。なお、以下の大谷氏の発言がこの座談会のまとめになるかもしれない。

新聞社も警察もよく似ていると思うんだけど、組織に良心を求めたって、組織が良心的になるはずがない。…組織の良心を支えているのは個々の良心なんです。個々の良心が腐ってしまったら、その組織は形骸化したお化けみたいなものだと。…最後は個々の記者がどれだけの良心を持っているかですよ。そのことによって、新聞社という組織を変えないと仕方ない。

◇例えば、「少年犯罪の多発化・凶悪化」の言説*1と監視社会への誘導については疑問を持っていたが、警察の組織維持のために事件が増減するようでは本末転倒もいいところ。それがすべてではないにしても、「体感治安の悪化」というのもかなり怪しい(先日、うちの地元では、警察署員の指導の元、市民パトロール隊みたいな人々が駅前を集団で巡回していて、かなり不気味だった)。
◇日本のあらゆる組織が、本来の目的遂行のための「機能体」から、その組織の存続を第一義とする「共同体」(ムラ的なもの=「世間」)に変質してしまうというのは、つとに指摘されてきたことだが、ここでは警察と新聞社がその例となっている。
◇なお、機能体/共同体については、養老孟司養老孟司の<逆さメガネ>』第7章参照。結局、現在の日本に本当に必要なのは個々人の「良心」ではないか(そして、そのための超越項として何らかの宗教性が必要)、という私の見解は「私たちの時代の「学芸」 - ピョートル4世の<孫の手>雑評」、「私たちの時代の「宗教」的基盤 (石原慎太郎「儒教的」論考と絡めて) - ピョートル4世の<孫の手>雑評」を読んでいただけるとありがたい。

*1:これについては、例えば犯罪学者・鮎川潤の『少年犯罪 ほんとうに多発化・凶悪化しているのか』参照。