「アジア思想史」という大々問題 (基本文献紹介つき)

◇当ブログ上でしばしば「三教一致」という用語を用いてきているが、なかなかその意義を直接的に説明するのは難しい。日本あるいは東アジア、さらに広げてアジアの思想史の分野というのは、ヨーロッパの思想史研究の密度とは比較にならないぐらい薄い。というより、それをカバーしたような学問というのはまだ成立していないのかもしれない。中村元フォロワー?により、いくつか本が出版された「比較思想史」など、後になればなるほど基礎的実証抜きの牽強付会(超時代的に、表面上似た言葉遣いの概念を並べて比べるだけ)になっていて、目も当てられない有様であった。なので、ヨーロッパ思想史を基礎教養のように語りつつ、ことアジアの問題になるとそれを扱うこと自体に尻込みしてしまう状況は珍しくない*1
◇とはいえ、では私がそれをすべて説明できるかというと、それは私に、かの東洋哲学の泰斗・井筒俊彦氏の『意識と本質 精神的東洋を索めて*2や『東洋哲学覚書 意識の形而上学−『大乗起信論』の哲学*3といった名著を超える本を書けというのに等しいので、事実上不可能である。ただ私はあまりに適当な人間なので、生半可な実証しかしていないのに結論だけ分かったつもりになっているから、こうして大々的に論じることができるのである。
◇そこにちょうど、私が持っている問題意識を、私より社会的地位がしっかりして視野も広い人物が、私の文章より遥かに明確に語っているという、ありがたい文章が現れた。『毎日新聞』7/10(日)朝刊2面、連載「時代の風」欄の青木保*4氏「教養人の育成」がそれである。残念ながらMSN毎日interactiveの方には出ていないようだ。内容の詳細は長いので省略するが、要は日本の大学の教育・研究の根拠となる、教養=文化伝統はどこにあるのかという話である。
◇まず例として、トルコはイスタンブールの大学人との「教養談義」を通じて聞いたこととして、かの地(中東・西アジア)では、文化人・知識人の教養の基礎として、3つの言語が必要であるという。神(コーラン)の言葉=アラビア語、官僚の言葉=ペルシャ語、軍人の言葉=トルコ語である。さらに、ヨーロッパ諸語ができるのが望ましいそうだ。
◇続いて、欧米の大学では(例としてハーバード大学創立350周年!記念祝典の光景)、ヘレニズム(ギリシャ−ローマ文化)とヘブライズム(ユダヤ教キリスト教文化)の2つの文化伝統の上に成り立つことを明示しているという。
◇それに対して、「私見の限りではあるが、日本の大学、またアジアの大学も、このようなはっきとした文化伝統を示すところはない」と書く。そして、グローバル化時代の大学論(そうは言っても、「大学の基礎は文化の継承と発展に据えるべき」など→人文学的に至言なり)を続け、かたや日本の大学は「教養」の看板を外し、「文化伝統の継承をする素振りもない」と批判。
◇と、ここまでで終わってしまえば、外国の大学の限られた事例をネタに日本の大学の現状を批判する「無いものねだり」言説になりかねないが、それでは終わっていないのが、この文章の本領である。
◇大学の基礎となるべき日本文化を、氏は「混成文化」と名づけている。この名称自体はいかにも過渡期の便法(内実を分かってる人間が少ないので、とりあえず目ぼしい現象から命名)だが、内実は私が言う「三教一致」に近い(ああ、分かりやすい我田引水だこと)。
◇氏の説明では、この「混成文化」は3つの文化層の重なりによる混成化によって形成されたものとする。まず、1:日本古来の土着文化(端的な表現としては「神道」)、次に、2:アジアの大伝統文化=古代中国・インド文明の影響、そして、3:近代の西洋近代文化+その継承たるアメリカ文化。この3層である。と、書き抜くと従来の文明論と大して変わらない気もするが、明快な整理としては良い方だろう。
◇さて、いちゃもんをつける。氏が従来の文明論や自身の「教養」の悪影響で正しく見えていない事実があり、それゆえの誤謬がいくつかある。それを論破するために、以下青木氏の議論から遥かにぶっ飛んで、「アジア思想史」の本義を開陳する。
◇まず、1:なぜ「ヘレニズム/ヘブライズム」や「アラブ/ペルシア/トルコ」の文化は「混成文化」と呼ばず、日本だけを「混成文化」と呼ぶか。これは、現代日本の文化混乱へのコンプレックスから(つまり20世紀の問題から)来ており、文化伝統そのものの問題ではないのではないかということである。「三教一致」(仏教=儒教神道)は立派な日本の文化伝統ではないのか。
◇2:なぜアジアの伝統文化の影響を言うのに、それがわざわざ「古代」と限られるのか。確かに古代の圧倒的影響に比べれば、中世・近世は日本の独自性が涵養された期間ではあるが、その場合でも常に特に、中国・朝鮮からの最新の情報は入り続けている。これは、少数の良心的かつ野心的な思想史研究者が明らかにしているが、その成果がいかにも共有されていない。
◇2のvariant:氏は「日本文化」に焦点を当てているのでこれはやむをえないが、アジア思想史というものを仮に立てるなら、日本−中国・インドと層を立てるのは順序が逆である。これは、ヨーロッパの思想史で言えば、ケルト文化やドルイドルーン文字やら呪術から始めて、その後にヘレニズム/ヘブライズムを持ってくるのと同じである。
◇実際、新石器期以来のヨーロッパ文化を言うならそういう言い方は成り立つし、これは日本の「縄文文化」論と対応する土着(先住民)主義(=一種の反文明主義)である。しかし、そういう立場でいいのか?(これはむしろ青木氏以外の人へ言いたいが)文明主義的思想史も十分書かれていないのに、結論先取りで反文明主義に行ってしまうのは、少なくとも私より手抜きである。
◇だいたい文明の順序で言うなら、「まずインド、次中国」という2本の中心が柱としてあって、日本は長らく(ゲルマンやらノルマンやらゴートやらアングロサクソンやらの蛮族と同様)、周辺の「倭」と呼ばれたような弱小民族だったのではないか。この事についての認識の違いが深いところで、現代のヨーロッパの自己認識の謙虚さ(ぎりぎり主流ではあるだろう)と、近年の日本の自己認識の傲慢さを分けていないか。80〜90年代に俗流ヨーロッパ中心主義批判をしていたようなアホ学者たちは、この点で今の日本の現状に何か責任感を感じないのか。私の見解では、日本の大学も「ヒンドゥーイズム(仏教*5)/シノイズム?(漢文*6)」をせめて基礎教養にしなければならないのではないか。少なくとも近世人の教養は、そのようなものだったろう。
◇3:ヨーロッパとの関係で言うならば、私の「近世的三教一致」*7の文脈では、すでにイエズス会の活動(『天主実義*8に代表されるような)の影響は大きく、日本でもキリシタン弾圧後ですら、当時の科学的宇宙観(確か『天経或問』?だったか。手元の資料では出てこない)とないまぜにして、「唯一の主宰神」という発想は鎖国下日本に入り込んでいた(吉宗の洋書解禁が大きい)。
◇開国前の日本に囚われたロシア人ゴローヴニン(ゴロウニン)の手記*9には、ギリシア正教の神を日本の役人に説明したところ、「そんなのは知ってる。『天道様』のことだろう」と答えたという記述が(確か)あった。もちろん近世日本人がそれで本当にキリスト教の神を正確に理解したとは言わないが、儒教的「天」という超越項についてのそれくらいの素養は近世人の常識だし、そうでなければ明治期のエリート(だけ)が好んでキリスト教に惹かれた背景も理解したことにはならないだろう。ついでに言えば、西周福沢諭吉中江兆民の思想など、近世思想史の知識抜きで読めるはずがない。大乗仏教と新儒学を貫いて三教一致の柱となる「体用論」(=東洋哲学の存在論)や、「心(霊魂)」「理」「気」についての近世的理解(=宇宙観や認識論)がその背景にあるからである。
◇逆に起源をぐっと古代まで遡れば、インドの親類民族イラン人はゾロアスター教、そこまでくれば一神教の御本家ユダヤ教すらももうお隣りである。ちなみに、ゾロアスター教の主神アフラ=マズダは、ヴァイローチャナ(毘盧遮那仏大日如来)と同系譜の太陽神(光の神)。また、カトリックでもギリシア正教*10でもイスラムでも多かれ少なかれ、多神教的要素がある。どうして、一神教多神教なる19世紀的図式にまだ囚われているのか*11宮台真司東浩紀両先生ですら、日本に(主流ではないにしろ)一神教的伝統が全く無いかのように議論を進めているのは、私には不可解だし、この点では(本当の)我が恩師とも見解を異にする*12
◇評論家の竹村健一氏は、日曜日の『報道2001』で、イギリスやドイツの予算や海外拠点数の資料を挙げて、日本の世界的文化戦略がいかに貧しいかを取り上げていたが、そもそも日本の大学人の大多数が分かっていない(少なくとも整理がついていない)のだから、海外布教なんてまだまだ先、せいぜい村上隆氏のフェイク・オタク展覧会が関の山、というのが日本文化の現状ではないか。
◇当ブログの関連記事:「「日本思想史」という大問題 (靖国論議の混迷に寄せて) - ピョートル4世の<孫の手>雑評

*1:例えば、ちと失礼になってしまうが、勉強家の学生・小烏丸さんのページでのやりとりなど。→「2005-06-30 - 小烏丸の日記

*2:意識と本質―精神的東洋を索めて (岩波文庫)

*3:東洋哲学覚書 意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学 (中公文庫)ちなみに、中国大乗仏教の代表的論書の1つがこの『大乗起信論』。大乗起信論 (岩波文庫)

*4:この方、私がよく読む『毎日新聞』『中央公論』にレギュラーで書いているので、記事はよく読むが、本格的研究はまだ読んでいない。とりあえず持っているのは、『「日本文化論」の変容 戦後日本の文化とアイデンティティー』。「日本文化論」の変容―戦後日本の文化とアイデンティティー (中公文庫)

*5:仏教については汗牛充棟、いくらでも本があるが、最近の分かりやすいところで、玄侑宗久私だけの仏教』。私だけの仏教 あなただけの仏教入門 (講談社+α新書)古典的な入門書では、平川彰『現代人のための仏教』。現代人のための仏教 (講談社現代新書 238)

*6:儒教を中心にした簡便な中国思想史では、阿部吉雄編『中国の哲学中国の哲学が良い。

*7:近世日本の思想史では、相良亨『近世の儒教思想』(品切れ)、源了圓『徳川思想小史』(中公新書。品切れ)『徳川合理思想の系譜徳川合理思想の系譜 (中公叢書)実学思想の系譜』(講談社学術文庫。品切れ)『近世初期実学思想の研究近世初期実学思想の研究、平石直昭『日本政治思想史 近世を中心に日本政治思想史―近世を中心に (放送大学教材)など。

*8:天主実義 (東洋文庫)

*9:私が見ていたのは、岩波文庫版(品切れ)。学術文庫版は『日本俘虜実記(上下)日本俘虜実記 (上) (講談社学術文庫 (634))ロシア士官の見た徳川日本−続日本俘虜実記ロシア士官の見た徳川日本―続・日本俘虜実記 (講談社学術文庫 (676))

*10:ギリシア正教については、落合仁司『<神>の証明 なぜ宗教は成り立つか「神」の証明―なぜ宗教は成り立つか (講談社現代新書)ギリシャ正教 無限の神ギリシャ正教 無限の神 (講談社選書メチエ)などがある。

*11:世界の宗教思想ないし宗教社会学の基礎は、小室直樹日本人のための宗教原論日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか橋爪大三郎世界がわかる宗教社会学入門世界がわかる宗教社会学入門仏教の言説戦略仏教の言説戦略などを参照。ぐっと大衆的なところでは、井沢元彦世界の[宗教と戦争]講座世界の宗教と戦争講座 (徳間文庫)などもある。

*12:【7/13補足】なお、独自の立場から「アジア的一神教」を論ずる人に、1967年生まれの文芸評論家・安藤礼二氏がいる。氏が解題・出版した、民俗学者であり作家であった折口信夫の全集未収録小説群『初稿・死者の書初稿・死者の書は、(現行の『死者の書』とは全く異なり)空海真言密教の謎に迫る藤原頼長を描く物語であり、その背景にはキリスト教ネストリウス派についての知識と、鈴木大拙キリスト教ユニテリアン協会の影響を受けた明治期の「新仏教」運動に参加していた藤無染との交際があったという(この辺りが明らかになった経緯は、月間文芸誌『群像』04.8月号のわずか2ページのエセー「大拙、信夫、そして『死者』」に詳しい)。氏が折口信夫の「神学構造」を、さらに哲学者・西田幾多郎アジア主義者・大川周明、さらに文頭に挙げた井筒俊彦との関係まで含めて論じた評論は『神々の闘争 折口信夫論神々の闘争 折口信夫論(オビに中沢新一氏の推薦文あり。「グローバリズムナショナリズムをともどもに突き抜けていく、これは「現代(思想)の超克」の試みなのである」。)なお、安藤氏は、前にも紹介した季刊歴史・文学・思想誌『大航海』№55特集「現代日本思想地図」では、「浅田彰」「柄谷行人」の2項!を執筆し、それぞれ無類に面白い文章を書くという離れ技をやってのけている。7/30補足:なお、この号については「現代日本思想家とは誰か? - 整腸亭日乗」に、詳しい記述と興味深い言及があった。