文芸評論家・安藤礼二氏の近現代日本思想史での大活躍(&「日本思想史」「アカデミズム」への心からの毒づき)

◇どちらもすでに先月出ていたようだが、安藤礼二氏に焦点を絞って本と雑誌の2冊を紹介。ついでに、またまた人文系アカデミズムについて。

KAWADE道の手帳『西田幾多郎 没後60年・永遠に読み返される哲学

◇立体的な雑誌型編集で、哲学者・西田幾多郎のテキストにいきなり体当たりしてひどく頭を悩ます事態を回避するのに役立つ、格好のガイドブック。「KAWADE夢ムック(文藝別冊・総特集)」のシリーズは作家ガイドの定番だが、その思想版?か、ほぼ同じ体裁(ただし、カバー付・書籍扱い)で登場。編集も夢ムックシリーズと同様。再録も含むが、上田閑照らのエッセイ、小泉義之・桧垣立哉の対談、合田正人らの論考、田中小実昌の小説「なやまない」など。資料的には、西田のテキスト抄録、田辺元下村寅太郎西谷啓治の西田論などを収録。
安藤礼二氏は、インタヴューに答える形式の「初めての読者のための西田哲学入門」のほか、テキスト抄録・西田論の解題、ブックガイド*1の半分を担当。
◇何と言っても大事なのが「入門」。これが、衒学的なところの全くない、痛快な(反アカデミックな)西田論になっていて、実に面白い。近代日本思想史の基礎理解に益するところ多々あり。しかも『善の研究』などのテキストに対する読みのまた実に深いこと! そして話は、近代日本の終着点としての天皇大東亜共栄圏の悲劇まで達する。読んで大々満足。実に見事で感服。満腹。
◇しかし、まだある。テキスト抄録もわざわざ初出雑誌に遡って、本当に「理解」するための材料を提供する。これこそ本来のアカデミックな態度で、素晴らしい。少しだけ読んだが、「読める、分かる西田幾多郎」がここにあると思う。
◇安藤氏の議論は、折口信夫を対象にした場合と一貫している。まず、私たちは、「絶対者(神)について真剣に思索することで、当時の政治や社会と向き合った近代日本人(哲学者)がいた」という単純な事実を受け止めることが必要だというのが、その核心ではないか、と私なりに理解している。

現代思想6月臨時増刊・ブックガイド日本の思想 『古事記』から丸山真男まで』

◇こちらでは、安藤氏は「井筒俊彦『意識と本質』 意味の深みへの探求」の項を執筆。西田を論ずるのと全く同じ、確実な手つきで現代の言語哲学者(「意味論研究の第一人者」)でありイスラーム思想研究者であり「東洋哲学」者だった、井筒俊彦(1914−93)を読み解く。やはり、井筒思想の初発の動機から、この代表作まで一貫したものを読み取った文章になっている(媒体を意識してか書き方はやや硬めだが)。
ギリシア哲学(ヘレニズム)/キリスト教ヘブライズム)を理解し、その形而上学と思想史とを意識しながら、「複雑に錯綜しつつ並存する複数の哲学的伝統」(私が言えば「三教一致」)が交錯する数千年の東洋の叡智を読み解き、そこに「有機的構造を持った東洋哲学」と、次元を一つ引き上げた「一種の東洋的メタ哲学」を新たに作り出そうとした、このいわば「知の巨人」の姿を、コンパクトな文章でよく描いている。
◇その井筒の作業の鍵となったのが、イランのイスラム思想である。この辺りは、先日書いた「「アジア思想史」という大々問題 (基本文献紹介つき) - ピョートル4世の<孫の手>雑評」で触れた、アジア一神教の話と直接重なる(私のは実証抜きの結論だけだけど)。司馬遼太郎氏との対談(「二十世紀末の闇と光」)に注目して、大乗仏教の「真如」とイスラーム思想の「ハック(haqq)」との同一性に言及したくだりを引用している(私も注目だけはしていたんだが。まあ安藤氏がやってくれてるわけだからいいか。ちなみにこの対談は、司馬遼太郎十六の話*2で読める)。
◇こうした井筒思想への理解は、安藤氏の思想史の射程そのものをも広げている。会った事はないけど、この人は凄い、と(元思想史研究者の端くれとして)断言はできる。
◇さて、この本自体に触れておくと(以下、例によって、まだ読んでいないのだが文句をつける)、子安宣邦が「古典を読むこと、そして読み直すこと」という序文に書くように、日本の思想的古典(文学作品多数含む)を49点取り上げて、研究者たちがポストモダン的な?「読み直し」に基づくガイドを書いたもの。あえて、西田『善の研究』も、新渡戸稲造『武士道』も、和辻哲郎『風土』も、九鬼周造『「いき」の構造』も外したそうだ(代わりに、西田は「自覚について」、和辻は『倫理学』が入っている)。
◇49点を時代で見ると、古代:1、中世:5(うち文学作品が4)、近世:9(例によって、「伊藤仁斎荻生徂徠本居宣長」3点セット+懐徳堂2、安藤昌益・三浦梅園、文学・歴史2)、近代:26、現代:8、という構成。昨年9月増刊の『総特集・ブックガイド60』(西洋思想篇)には、積み重ねられた体系性があったのに比べると、やはり「日本思想史」の苦しさを感じる。その苦しさは、始まって100年に満たないこの学問の脆弱さでもあるし、しかも時代の急変動に翻弄されて学術的基礎研究の蓄積すら十分になされてこなかった歴史を示しているし、そもそも「日本」の一国思想史という枠組みの限界でもあるだろう。
◇それにしても、たまたま手元にある『現代思想1982年9月臨時増刊号・総特集「日本人の心の歴史」』と比べても、世間の日本の思想(特に近代以前)についての理解・関心の度合いがいかに下がったが分かるような気がする(82年の号は近現代を扱わず、2段組中心で478頁。今回は3段に相当詰め込んで214頁という体裁)。
◇編集後記を見ても思うのだが、「思想史」に対する態度からして、そもそも腰が引けている。日本の思想について語ろうとするときに、なぜこうも言葉がもつれ、しっかりと語れないのか、その事自体をもう少し深く考えたほうが良い(もちろん全く発言しないよりよほどいいのだが)。
◇そして、(上の書とは離れて)もう一つ余計なことを言えば、思想分野のアカデミックな論文やその周辺につきまとう、分からないことを分かったように書いたり、そもそも意味不明朗な文章を分かったように読んだふりをするという、非哲学的で一般人を愚弄した悪習(本来の「学問」を見失わせて世間を不要に混乱させ、また、限られた時間と資源を浪費するという意味で極めて有害な、「間違った人文系」の「アカデミズム」*3)はいいかげん改めたらどうだろうか。

*1:ブックガイドでは、藤田正勝『現代思想としての西田幾多郎現代思想としての西田幾多郎 (講談社選書メチエ)中村雄二郎西田幾多郎Ⅰ西田幾多郎〈1〉 (岩波現代文庫)上田閑照『ahref="http://www.amazon.co.jp/o/asin/4002603393/hatenapyotr18-22/ref=nosim"経験と自覚』西田哲学への導き―経験と自覚 (同時代ライブラリー (339))大橋良介京都学派と日本海軍京都学派と日本海軍―新史料「大島メモ」をめぐって (PHP新書)柄谷行人ヒュ−モアとしての唯物論ヒューモアとしての唯物論 (講談社学術文庫)中沢新一フィロソフィア・ヤポニカフィロソフィア・ヤポニカなどが紹介されている。

*2:十六の話 (中公文庫)

*3:話はずんずんズレていくが、例えばこちらで指摘されているように、大学(ひいては学校法人)はいろいろな意味で非常に困難な状況にある→「http://d.hatena.ne.jp/amgun/20050726/1122388799」。こうした状況の中で、なお大学に残ろうという勇気ある人物(ここで言いたいのは、主に助教授以上)は、ぜひ研究者・教育者としての「王道」を歩んで欲しい。というのは、そうでないのを「曲学阿世の徒」と言うからだ。