東浩紀先生、「電車男」は「美少女ゲーム」的世界

本日『毎日新聞』朝刊6面「論点…『電車男』ヒットの背景」

◇ネット系の話題ははっきり言って少ない『毎日新聞』が、遅ればせながら「電車男」現象を1面分の「論点」欄(論者3人)で扱う。東浩紀先生のほかに、精神科医(トラウマ系で有名)・小西聖子氏と演出家・鴨下信一氏(この人は、『サンデー毎日』の連載エセー「人生のごほうび」が面白い)。MSN毎日interactiveには例によってないようなので、読みたい方は本紙をどうぞ。お二方の記事もそれなりに面白いが、ここでは東先生記事を少し紹介する(「」内は引用)。
◇この記事は、『電車男』について論じられた中ではさすがと思うものだった。

  • 「『美少女ゲーム』的世界」(大見出し)
  • 「攻略法選択するゲームの感性が一般化 同時多発で発生した純愛ブームの一環」(小見出し

◇東先生は、「電車男」のまとめサイトを1年ほど前に読んで、「これはよくできた『美少女ゲーム』だという印象をもった」という。
◇「電車男」は選択肢を前にするたびに、攻略法を2ちゃんねる共同体に相談する。「電車男というプレーヤーが1人いて、ゲーム画面を見ているのは彼だけ。どの選択肢を選ぶかみんなでわいわいやって、ゲーム画面の実況を待っている」と「電車男」の構図を描き、それを楽しむみんなには「いいゲームを見せてもらってありがとうと言う感覚があるのではないか」とゲームの感性の一般化を指摘されている。と言われると、『動ポモ』を知っている私たちには、確かにそれほど驚くべき現象でもないような気がする。
◇「オタク」と「純愛」の結びつきも、2000年前後の「美少女ゲーム」が純愛ものばかりだったし、「萌え」(もはや「かわいい」という意味程度になってしまったが)はそもそもは純愛と結びついていた。なので、「電車男」は出るべくして出たものだとのお見立て。
◇最後にバッサリ。「宮崎駿さんら巨大なブランドを除くと、オタクのしっぽを追いかけても商売にはならないと思う。アニメのDVDボックスには1000部売れないものもあるという。『電車男』は例外だし、オタクの最前線と言うわけでもない。秋葉系をリサーチしても次のヒットが見つかるかは疑問だ」。批評家にして、正統?オタクであられる東先生にして言いうる至言か。
◇それにしても、最近再び東先生の文章を各種メディア上で目にする機会が増えてきて、喜ばしい限り。やはり「学問オタク」とは呼ばせない迫力があるのは間違いないだろう。