地元ネタ:国際交流フェスティヴァルの光景と感想(+80年代前半論?)

◇夕方、子連れで散歩に出かけたら、川口駅西口リリアパークでやっていた、「国際交流フェスティヴァル」に遭遇。どういう催しなのかもよく知らないが、とりあえず目に付いた光景と感想だけ。
◇まず聞こえてきたのが、ステージ上からの津軽三味線合奏。そういえば、数年前には駅前の流しの(いやそれも修行らしかったが)三味線引きも時々来ていたが、今どうしているのだろう。公園芝生広場に面した幅広階段一面に人が坐っていて盛況(500人以上?)。
◇しばらくすると、市内各町会合同の神輿行列。そう大規模ではないが、前後に囃子の台も付いて、これも100人以上?の行列だった。私は神輿を見ただけで血が騒いでしまう人間なので、少し追いかける。最近東口駅前に、川口らしからぬ?小じゃれたショッピングビル「CASTY」もオープンした*1のだが、そちらの方までペデストリアン・デッキ上を行列が進んだ。
◇で、「国際」なのだが、ざっと見た感じ。外来系の人間は、たぶんインド系・タイ系・中国系・韓国系などの人を見かけたが、神輿行列にはなぜか、ピアスをした、たぶんロシア系の兄ちゃんなどが特製法被を着て参加。途中で、「錦太鼓」なる6人の小学生くらいの女の子の和太鼓グループがなかなか達者な芸を披露。ガムランと並んで、和太鼓も芸術的に洗練された民族音楽の一つと言えるだろう。自然と体が踊る、弾む。ロシア人兄ちゃんもノリノリ。外来系の人々、それぞれ記念撮影花盛り。
◇片や、神輿を担ぐ土着系の人々は、ケツ丸見えのふんどしのじっちゃんはもちろん、どことなく80年代ヤンキー系の香り漂う兄ちゃん・姐ちゃんが多い。80年代荒れ荒れの公立中学出身者としては、何となく懐かしい世界。やはりこういう祭りは好きだ。浮ついた「国際交流」でないのがよい。一昨日書いたように、「教義化された神道」の「非宗教説」には反対するが、こういう「習俗」がまだ(かろうじて)生きているのは事実。やはり、私の場合こうしたところに自分の根を感じてしまう。
◇ちなみに、クラシック音楽愛好のせいもあり、ロシア人は好きだ。他のヨーロッパ人に比べると、相当アジア的感性が分かる*2。いきなり飛ぶが、古代日本文化史を考える場合には、大体イラン(ペルシャ)までの影響が考えられる*3。今日たまたま「ゴーマニズム宣言EXTRA:福岡に玄洋社ありてアジアに臨む」が載っていた『わしズム』№11を人から貰って読んだ。昨日ちょうど「頭山満」の項もある『別冊宝島 昭和・平成日本「黒幕」列伝』(¥840)までつい買ってしまっていたのだが、それらを読んで、「大アジア主義」から、「汎ユーラシア主義」まで私の妄想は駆け巡る。
◇さてところで、この種の「土着性」を失った人間には、おそらく「国際交流」どころか人間関係の基礎も築けないようなひ弱な人間が多いのではないか、と何となく思う。いや、今日の「祭り」の脇を何も無いものかのように通り過ぎた、影の薄ーい若い男性を見て、そう思っただけだが。土着的個人から発する行動力・動員力・指導力といったものが欠けるとき、私たちの社会はきっと立派な情報・監視社会になっているのだろう。

*1:ちなみに、川口駅近辺は、この数年でタワーマンションだらけの「空中都市」に変貌しているが、来年春には駅前複合施設(図書館=メディアセンター?など)やら、さらに駅から少し離れるが、サッポロビール工場跡の広大な敷地に、シネコンやら巨大高級マンション街やらができるのだった。

*2:そういえば、「クラシックの深層」カテゴリーはほとんど忘れ去られているが、最近は7、8年ぶりにアルメニアの大作曲家ハチャトゥリアン交響曲・協奏作品・ピアノ曲などをまとめて聞いた。今や貴重なJVCロディア盤や英オリンピア盤+最近のVenetia盤で、やはりこれは凄いと堪能。

*3:例えば、今手元にあるものでは、伊藤義教『ペルシア文化渡来考ペルシア文化渡来考 (ちくま学芸文庫)