「戦後60年の原点 占領の秋1945年」連載開始

◇『毎日新聞』の広告ではないけれど、前回の続き。夕刊で昨日から開始。「8月ジャーナリズム」で戦争報道というのはお決まりパターンだったが、占領期についての新聞での特集記事は案外珍しいのではないか。
◇昨日の夕刊1面予告記事によれば、「占領期は現在の日本のまさに原点となった時期」(江藤淳が喜ぶか)として、「沖縄」「広島・長崎」に続く、第3弾の「同時進行再現ドキュメント」(夕刊社会面に毎日連載で、60年前のその日の様々な動きが載る)。記事としては小さなコラムの連載なのだが、読み物として面白いし、日刊の特性を活かした企画ではある。
◇なお、降伏文書が調印された9月2日朝刊では、特集「日本占領」を掲載予定。また、10月のテーマは(1945年を離れて)「国際連合発足」だそうだ。実に息の長い企画。
◇例によって『毎日』読者でない人のために*1少し内容紹介。昨日の第1回は、1945年8月28日・29日の動き。
◇28日、マッカーサー進駐のお膳立てのため、厚木基地アメリカの陸軍大佐テンチ率いる先遣隊150人が45機から降り立つ。迎える日本軍、飛行機はすでにプロペラを外し、偶発的衝突を避けるため警備兵も銃を持っていない。
◇そのころ皇居前広場では、進駐軍兵士向けの「特殊慰安施設協会(RAA)」設立宣誓式が開かれていた。これは、進駐兵による性的暴行事件頻発を恐れ、内務省警保局長名で8月18日に全国に慰安施設作りの指示が出されていたのを受けたもの。政府が多額の資金を工面して、30ヶ所以上で開業準備が進められたという(1号店は大森に。当時の協会による女性向け募集新聞広告の文面も出ている)。
◇29日、宮中では、拝謁した内大臣木戸幸一に対して、天皇は戦争責任者の引き渡しは苦痛だとして、自ら「退位」で収めることはできないかと相談する。木戸は、連合国はそれだけでは承知せず、「退位」についての考え方も違う、また、今それを言えば、共和制を論じることになりかねない、と反対する。など。
(以上勝手な要約。昨日の記事は玉木研二記者執筆)

*1:今日は『朝日新聞』への嫌味を書くのはやめようと思ったら、こんなネタがあったのね。「http://www.asahi.com/national/update/0829/TKY200508290359.html」、「http://www2.asahi.com/senkyo2005/local_news/nagano/TKY200508210215.html」(元記事と「削除」する部分)。長野総局の28歳記者(懲戒免職)が田中康夫の発言を捏造したそうな。どこのメディアでも起こりうることだけど。それを大々的に伝える『毎日』記事はこちら→「http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050830k0000m040122000c.html」。これによると、この記者は、社内調査に対し「田中知事からこれぐらい聞けるんだというのを総局長に見せたかったのかもしれない。あとから考えれば功名心だったかもしれない」と話しているらしい。無理に頑張って働くのは考えものだという例。若い人は気をつけましょう。