日本民衆の武装と自律と誇りの歴史

藤木久志刀狩り−武器を封印した民衆−』(岩波新書*1紹介と蛇足

豊臣秀吉の政権は、…その力を背景に、武装解除を目指して、農村からあらゆる武器を徹底的に没収し、民衆を完全に無抵抗にしてしまった…この見方は、いま、ほとんど国民の通念といえるほど根強く、「強大な国家、みじめな民衆」という通念は、十七世紀以後の徳川政権というアジア的な専制国家を形づくるのに、決定的な影響を与えてきた。…だが、この通念ははたして事実であったか。「みじめな民衆」像ははたして実像であったか。(p17)
いまこそ、非力な武装解除論(素肌の民衆像)から、自律による武器封印論(自立した民衆像)へ、大きく転回するときではないか。(p239)

◇昨日、内田樹先生のエントリ*2に刺激されて、今回の総選挙に触れたエントリに補足の注をつけた*3。その内容は、(もちろん個々の場面で逸脱的事例が多いとしても)やはり日本の「世間」では「市民的成熟」の度合いは相当なレベルに達していて、民衆にはしっかりと(一神教を背景としたものに匹敵するか、それ以上の)内面的規範が機能してきたのではなかったのか、という私の年来の問いかけに結びついたものだった。私の頭は乱雑なので、現今の総選挙での問題と日本の500年の近世=近代史とを別のものとは考えられていない。
◇その内田先生のエントリでは、アメリカのカトリーナ被災地の混乱を生み出す背景として、階級化社会と銃社会の問題が指摘されている。それで、はっと思い出して今日一気に読んだのが、上に出した藤木先生の新刊本である。
◇著者の藤木先生のご専門は戦国史。ただ、奥書では専攻「日本中世史」とされており、社会史的な傾向を踏まえた本格的な戦国時代史を、専門書でも一般向けでも多数刊行されてきている碩学である*4。この本は、第一人者の藤木先生自ら言われるように、日本で初めての、豊臣秀吉の「刀狩り」をテーマにした単行書である。従って、この本は一般向けの興味深い歴史読物でありながら、アカデミックにも現在の研究の最高水準を示す、とても面白くて充実した本というわけだ。
◇細かい内容紹介は避けるが、私が勝手に題名を付け直すなら「日本の民衆武装と自律的武器使用抑制の社会史−16〜19世紀」、となるようなテーマを持っている。新刊帯文句は「秀吉からマッカーサーまで」で、確かに「第3の刀狩り」である占領軍による武器没収は本書の重要な帰結を導き出すものとして扱われているが、中心となるのは16〜19世紀の近世=近代史である。
◇藤木氏は西洋史との比較も視野に入れながら、村川堅太郎がかつて日本の「3回の刀狩り」として挙げた、①近世初頭(秀吉の刀狩り令)、②明治維新(いわゆる「廃刀令」)、③第二次世界大戦後(占領下の武器没収)の内、実際に民衆の武装解除を目的にし、それを実行したのは③のみ(他は身分規制としての武器の「携帯禁止」=所持黙認)だということを、実に豊富な史料と先行研究への目配りに基づいて実証していく。
◇そのことによって、丸山真男のような進歩的知識人が陥っていた「自己武装権を文字通り徹底的に剥奪されて来た国民」(誇りをもてない卑屈な民衆)史観の誤謬を明らかにする。この本の実証は非常に入念でかつダイナミック。私は井沢元彦氏の『逆説の日本史』なども読物として面白いと思う人だが、実証でその上を行く大胆な歴史観を作り出している。もっともすでに1980年代から(中世社会史からのインパクトも受けて)近世=近代史は着実に変貌し、新しい実績を蓄積してきているわけだが。教科書では学べない、歴史認識の醍醐味がここに間違いなくあると言える。
◇私のかつての専門(近世の民間思想)との関連で言えば、石門心学の道話や民衆宗教の布教が活発だった、18世紀末〜19世紀前半は日本社会が再び荒れて治安が悪化し、無宿人ややくざによる刀・鉄砲の使用と、それに対抗した豪農層を核とした農兵組織化が始まった時期だという事もしっかり描かれていて興味深い。逆にいえば、それまで「徳川200年の平和」では、領主側・民衆側双方が鉄砲を多数所持していたにもかかわらず、人に対してはそれを使わないという「鉄砲不使用の原則」が成り立っていたわけで、近世日本人の「民度」の高さが窺い知れる。
◇占領後まもなく接収された武器の内、小銃だけで165万挺、刀剣類は140万振にのぼったという。占領後・現在にいたる日本は、(妙な譬えを使えば)いわば「菊と刀」の内の「刀」を奪われたままである。現在の武装した日本が、藤木氏も引いている憲法第9条1項を軸に自律した武力抑制を基礎とした国政運営をするためにも、こうした「民度の高さ(=誇り)」を取り戻すことから始めるべきではないか。近年の「武士道」ブームもここまで(サムライは武士階級だけではないということ)見通せば、意義あるものになるのかもしれない*5
◇(以下おまけ)確か岩波新書編集部長は私と同じ1973年生だったと思うが、最近岩波の本領発揮の面白い本がいくつか出ている。浅野裕一古代中国の文明観−儒家・墨家・道家の論争−*6は、東アジアの霊魂論・言語哲学・気の世界観などを考える上で貴重な書。宮崎哲弥氏もさすがで、『諸君!』の「今月の新書完全読破」で「もう5冊」の中に入っていた*7。以前書評を書こうと予告したが、そのままになったのがこれ。

*1:刀狩り―武器を封印した民衆 (岩波新書 新赤版 (965))

*2:Archives - 内田樹の研究室

*3:http://d.hatena.ne.jp/Pyotr1840/20050905#20050905f11

*4:著名なのは、『戦国の作法−村の紛争解決戦国の作法―村の紛争解決 (平凡社ライブラリー)新版・雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り (朝日選書(777))豊臣平和令と戦国社会豊臣平和令と戦国社会など。

*5:KAWADE夢ムック(文藝別冊)『武士道入門武士道入門 (文藝別冊 KAWADE 夢ムック)は、中沢新一語りおろし「武士道の考古学」などを含む興味深いもの。

*6:古代中国の文明観―儒家・墨家・道家の論争 (岩波新書)

*7:ちなみにその時のワーストが例の『靖国問題』だった。