個人的な問題?

◇そういえば、上の「実存的問題」について言えば、「過剰な意味の追求が人間を非人間的状況へ追い込む」ということはずっと気になっている。私はうまく書けないのだけれど、内田樹氏や仲正昌樹氏が「正義」と「不自由」問題の文脈で縷説されているので、そちらを参照していただければと思う(次のエントリで紹介)。
◇私はといえば、ニーチェ的な「能動的ニヒリズム=発狂」路線を抜け出して、心学をベースとする天(=自然=祖先)崇拝に回帰して安定しつつある(半分くらいネタかもしれないが)。人間がこの一生涯することに過剰な意味の読み込みは禁物だが、しかしそんなに捨てたものでもない(細木数子がズバリ言う通り)。日本の世間での人の生き方はそうしたところに落ち着くほかない、と考えたりして、最近「おじさん化」が著しい私である。何しろ実に恥知らず、恩知らずな人間で(思っていてもすぐに行動できない。なかなかご連絡もせず、お世話になった方々には本当に申し訳ない限り)、我ながらなんともずうずうしいのにあきれてしまう。