ショスタコーヴィチは「反体制のヒーロー」扱いされているか?

◇私は音楽評論の類はほとんど読まないのだが(例外は片山杜秀氏のNAXOS日本作曲家選輯」解説くらい)、渡辺和彦氏の「ショスタコーヴィチの肖像〜もう一歩聴き込みたいリスナーのために」という連載が目にとまった(山野楽器店頭で無料配付の『Varie』1月号から掲載)。
◇クラシック界では大作曲家の生誕or没後何年というのが、セールス上の格好の題材となっており、2006年はモーツァルト生誕250年とショスタコーヴィチ生誕100年が話題である。この連載も当然それに合わせた企画で、書き手の渡辺氏は失礼ながら存じ上げない。
◇で、特に目にとまった理由は、第1回に以下のような一文があったからである。

 現在、特に若い世代の音楽ファンを中心に、「ショスタコーヴィチソ連の暗黒と闘った大作曲家」という従来型のワンパターン思考(それ以前は「ショスタコーヴィチソ連の体制御用作曲家」という図式もあった)にウンザリしている人がいるのは、とてもよく分かる。

◇この書き手の周りにそうした若い世代の人間が何人かいるかもしれないとは想像できるが、それを一般化して書かれるのはどうか。あげく、それはベートーヴェンをウィーン反動体制と闘った人道主義者として理解するのと同じく馬鹿げているといった比較をし、作品そのもの(残された楽譜、その再現としての演奏・録音)を聴くのが「正しい」と書かれる。「政治性を離れ、純粋に音楽を聴こう」という発想こそ、あまりにナイーヴだったのではないだろうか?
◇連載で紙数の制約もあろうし、今後意を尽くされるのかもしれない。また、書き手の意図として、「余りに政治的な読みが先行すると引いてしまう音楽ファンが出てくるから、まずは音楽そのものから入ろう」という啓蒙記事なのは分かる。しかし、これでは現在までのショスタコーヴィチ受容のある側面をあまりに乱暴に切り捨てており、見過ごせないと思ったので書く(斎藤美奈子が日本の「音楽評論」を文章としておちょくったのとは多少意味が違う)。
◇そもそもこの書き手の中で、「体制御用」/「ソ連と闘った」という図式は、どのように「ワンパターン」でなく理解されているのだろうか? 私の理解では、ショスタコーヴィチは、「暗黒(権力)と闘った(ゆえの)大作曲家」と理解されているのではなく、体制に何度も屈服させられ、音楽表現の実際までねじ曲げられ(交響曲4番と5番との差に見られるように)、しかもなお傑作を生み出した作曲家、として聴かれている。
◇事態の実際は、「体制側/反体制側」という2項対立がショスタコーヴィチ理解の上で成り立ったことはなく、「体制御用作曲家」としての理解から「体制による圧力からくるねじれを持ちながら、優れた作品を残し高く評価できる作曲家」という理解に変わっただけだろう。この時点で、政治性・イデオロギー性を離れた理解へと一歩進んだわけであり、今更ショスタコーヴィチを「反体制のヒーロー」扱いする御仁がいたとしたら、それはまた別種の後退である。
ショスタコーヴィチは、先行する世代のミャスコフスキープロコフィエフと比べても、この「ねじれ」を深く抱えていた。しかも、その「ねじれ」を持った作品の音楽的な美しさが、他の作曲家の作品を凌駕しているというところに、私たちが特にショスタコーヴィチを聴く意味がある、ということだと思うのだが。適当なことを書くぐらいなら、最初からただのレコード評だけ書けばよいだろう。
◇無論この方、音楽上の知識はしっかりしており(私はそもそも理論的なことは全く分からないけど)、連載第2回の「交響曲第8番」の解説は学ぶところが多かった。特に、チャイコフスキーの「マンフレッド(マンフレート)交響曲」との関係(第1・5楽章クライマックスでの引用)を指摘されるあたり興味深かった。また、この交響曲の「奇妙に明るく透明な」フィナーレやその「唐突なカタストロフ」を、「音楽による思想の表明」と認めている(だから、初回の書き方は方便だとしてもいいかげんである)。
◇近く、その第8番を深い思いを込めて演奏するオーケストラがある。アマチュア・オーケストラの年1回だけの定期演奏会。しかもショスタコーヴィチ専門で、他のプログラムはほとんど取り上げない。それが「オーケストラ・ダスビダーニャ」である。その第13回定期のパンフレットでは、この「尻すぼみ交響曲」第8番への深い理解と愛情が示されている。
◇第2次世界大戦独ソ戦でのレニングラード包囲戦の最中で書かれた第7番の後、戦況がややソ連側に好転しつつあった時期の第8番。それでいながら、不思議と沈鬱で強迫的な音楽と奇妙に軽く透明なフィナーレ。この謎の傑作を理解するためには、イデオロギーを離れて、政治と歴史と音楽との実相を見た方がいいだろう。
◇なお、ダスビの定期演奏会は2月19日(日)池袋の東京芸術劇場大ホール(午後1時45分開演、全席指定¥2,000)。指揮者は長田雅人(おさだまさひと)氏。文句なしに楽しくて万人にお勧めできる、「ピアノ協奏曲第2番」も含まれた充実のプログラム。日本のアマチュアオケのレベルの高さがそもそも驚異的だが、ダスビは曲の解釈で最も先鋭的。むしろプロのオケにはプロであるがゆえにできない、純度・密度・練度の高い演奏を繰り広げる(技術的に傷があるのを補って多いに余りあり、と私などは思う)。日本のショスタコーヴィチの総本山にぜひお参りあれ。