「鬱にも負けず」(私たちの「闘病生活」−<自由>と<自立>への宣言へ)
鬱にも負けず
ハイテンションなごまかしにならず
医者から貰った診断名で物事を決めず
「オーダーメード・ハッピー・システム」*1を自明とせず
丈夫な体を持ち
慾は無く
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に論文を4本と
新聞と少しの書籍を読み
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
小さなデスクトップにいて
右に狂信的な似非伝統主義者がいれば
言ってその妄想に水をかけ
左に教条的な救済主義者がいれば
言ってその荷を代わりに担う
南に死にそうな人があれば
アマルティア・セン*2よろしく選択肢を確保したく
北にテロや欺瞞が溢れていれば
つまらないから止めろと言い
生きるのに苦しんでは宮台真司*3や鈴木謙介*4を参照し
東浩紀を読んでは「否定神学批判」*5に戸惑い
小林よしのりが物語りたい気持ちもちょっと分かるなと思ってしまい
細木数子の「心次第」*6の説教につい真っ当さを見てしまい
養老孟司*7の妙なバランス感覚に常識的な健全さを見て
内田樹や仲正昌樹の「正義」批判に共感*8し
災害時には涙を流し
チョムスキーが描くごときテロ国家アメリカの姿*9を見てはおろおろ歩き
ジジェク*10を読んではデクノボーを悟り
「私は夢を捨て言葉を得る」*11
そんな言葉から15年近くも変わりもせず
誉められもせず
苦にもされず
そういうものに
私はなりたい
◇最近個人的に少々ショックな出来事があり、自分のリハビリというか、闘病生活(果たしてそもそも病気なのか? というところを含めて)を見直す必要があるように感じているのだった。
◇で、結局当ブログで書いてきたことは、恥ずかしながらだいたい上記のように要約されるだろう。
【12/27追記】ようやく上記の段階を終えて、次のステージに進む機が熟してきたようだ。現在のところ、当ブログの初発の動機は満たされたと思っている。
*1:主にグーグルやアマゾンやマクドナルドによって提供される、快適な生活を仮に命名した。
*3:「共同体から流出して生きるということ(『論語』その1) - 偽帝ドミトリの<タコ足>雑録」参照。
*6:丸山眞男なら「服従の身体化」だと言うところだとは分かっているんですけどね。それでも私は「心学」の立場だったりするわけで。ついでに、「いまや懐かしいキャラたち−小泉、細木、ホリエモン−と「倫理道徳」の話 - ピョートル4世の<孫の手>雑評」も参照。昨日は家族にそそのかされて、久しぶりにTBSの番組を見てしまいましたとさ。
*8:「内田樹氏・仲正昌樹氏の「正義」批判に寄せて (「言論の無自覚」の問題について) - ピョートル4世の<孫の手>雑評」参照。