大指揮者ロストロポーヴィチを悼む
◇4/28、新聞でロストロポーヴィチの訃報に接する。チェリストとしては多くの人が書いているので、指揮者・ピアニストとしての側面に触れた3/9の一文を再録する。
[ショスタコーヴィチの交響曲第15番について]パッサカリアの入念な歌い込みなどから、やはりロストロポーヴィチのものがいいようだ*1。
ちなみに、指揮者としてのロストロポーヴィチは、私の基準では非常に重要な指揮者の1人。日本では、スヴェトラーノフやフェドセーエフに比べて話題にならないが、私の中ではロジェストヴェンスキーよりはるかに重要な指揮者・ピアニスト(むしろチェリストとしての凄さはあまり分かっていない…)。
特に、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチの解釈者としては、歴史的なエピソードを脇に置いても、世界で類を見ない。ヴェンゲーロフとのショスタコのヴァイオリン協奏曲第2番(←リンク先試聴あり)*2は、オイストラフ&コンドラシンの定番録音で固定化したイメージを一新していた。交響曲全集も(ダスビを除けば)間違いなく一押し。
ついでに、ピアニストとしては、ヴィシネフスカヤを伴奏した一連のロシア歌曲録音は忘れがたい(特にチャイコフスキー!)。
(以上「オーケストラ・ダスビダーニャ第14回定期演奏会の感想 - ピョートル4世の<孫の手>雑評」の注より)
◇追悼の気持ちで、再度ショスタコーヴィチ交響曲第15番を聴いたところ、特に終楽章の音楽的に純粋な透明感が以前にも増して強く感じられた。
◇チェリストとしての録音で聴き直したのは、サージェント伴奏のミャスコフスキーのチェロ協奏曲*3。ほの暗い情感が支配的な、渋い名曲の名演。
◇また、東京ではちょうど、ソクーロフ監督の映画『http://www.sokurov.jp/』が公開されていたようだ。
◇ロストロポーヴィチの実演に接したのは、1998年東京での「ショスタコーヴィチ・フェスティヴァル」などの数回の演奏会で、交響曲の指揮と協奏曲のソロを聴いたのみだったが、それだけでも20世紀を体現する人物との貴重な接点だったと思っている。