靉光展に行ってきた

◇生誕100年記念の「靉光あいみつ)展」*1に行ってきた。戦時期日本の重要な画家の大規模な回顧展。会場は、竹橋の東京国立近代美術館(MOMAT)――近年「アジアのキュビスム*2琳派」など企画力のある展覧会が続いており、私にとっては最も行く機会が多い美術館――で、会期が5/27(日)まで。

待望の靉光

◇画家・靉光(1907−46)は、まず名前が読みにくいけれど、1930−40年代日本のシュールレアリスムの画家として知られている。
◇今回、世間のGW中の平日に行ったのだが、かなりゆったり見ることができた。
◇私は近代日本の美術にさほど詳しいわけではないが、靉光については15年ほど前から知っていた――何がきっかけだったか、はっきりとは思い出せないが――。
◇手許にある、同時代の画家松本竣介(1943年には靉光とともに「新人画会」に参加している)の小画集『松本竣介』*3などでその名前を見ていたし、東京国立近代美術館の常設展の小特集コーナーで靉光を取り上げていたのを見たこともあった(その際に、今回の展示の目玉であるところの『眼のある風景』と併せて、その形態の元型をとてもよく了解できる「ライオン」連作のデッサン図版を見たような気がするのだが、今回は図録にも出ていなかった。私の記憶違いだろうか。)
◇このように私にとっては、とても興味深い、待望の展覧会だったのだが、やはり一般的な知名度では劣るようだった。

靉光と戦争

◇先ほど書いたように、靉光を知ったきっかけは思い出せないのだが、私の最初のイメージとして、次のように神話化された「靉光」イメージの影響があったのは間違いない。
◇――靉光は、「戦争犠牲芸術家」「抵抗の画家」であった。(だから、あの悲惨な戦争を忘れまい。平和が大切だ、それをもたらす体制を建設しなければならない…。)そして、私自身も戦後50年までは十分に左翼的だった。
◇戦後まもない時期から、1946年に出征先の上海で戦病死したこの画家は、左翼によって神話化され、政治利用されたようである。
◇近年では、そうした政治神話を離れて、実際の作品に即しての画家としての靉光の実像が捉え直されようとしている(確かに積極的に戦争画を描いたわけではなく、戦時期を思わせる緊張感のある作品が多いのは事実だが、かといって何か戦争への何か思想的、実践的な抵抗を行ったわけではないのだから…)。この辺りは、こちらも同世代のショスタコーヴィチの場合の事情と通じるものがある。
◇今回の出品数は、スケッチなども含めれば約130点、一人の画家の画業の全体像を見るのにまず不足はない。
◇ただ、靉光の38歳という生涯の短さに加え、自身召集後に多数の作品を破棄したことや出身地広島にあった作品が原爆投下で失われたこともあり、代表作といえる作品は多くはない。名高い『眼のある風景』のほかは、シュールレアリスム系の大きな作品では『シシ(Lion)』『馬』『静物(雉)』『花園』などに限られる。

靉光の画業の全体像

◇しかし、靉光の画業は相当多様な作品群を形にしていて、決して感傷交じりに回顧される未完の芸術家ではない。以下、展覧会の展示をなぞって、振り返ってみる。
◇まず、10歳で書いたとされる父親の肖像作品から天性の圧倒的な画力が感じさせる。時代はどうあれ、まずこの人は、何でも思い通りにかけてしまう、そういう地点から画業をスタートさせている。
◇しかし、10代後半から20台後半にかけての靉光は、かえってどんな対象をもいかなる技法を駆使して描けてしまうがゆえに、テーマを失ったようだ。ゴッホやルオーの影響を受けた絵を残すが、「絵が描けない」長い苦悩の期間があったようだ。
◇そこから、一時期は非常にシニカルな雰囲気を持つ小さな「ロウ画」を、独特の技法で集中的に描いている。この中では、パンフレットには『編み物をする女』が出ているが、はっきり言って不気味である。『乞食の音楽家』なんて、水木しげる描くところの妖怪かと思ってしまうユーモラスさがある。
◇その後ようやく1936年ごろから、上野動物園のライオンを集中的にスケッチして、圧倒的な強さと夢幻的な脆さを持った独自の作風にたどり着き、『眼のある風景』などの代表作が描かれた。
◇その後も、線刻版画と見まがう作品を面相筆で書いたり、ほとんど日本画同様に花や鳥や魚(おこぜ)を描いたりしている。数としては、油彩で花や静物を、いかにも戦時期を思わせる黒々とした色調で書いた作品が多いのだが、画家としては実に様々な可能性に向けて開かれていた人だったのではないかと思う。
◇「戦時期の画家だから…」なのではなく、「戦時期にもこのように、独自の画境を切り開こうとしていた画家がいた」という見方で靉光を振り返ることができる展覧会だった。後半では、花を描いた作品が多数を占めるが、私は特に1944年の『窓辺の花(百合)』の静謐な美しさに心惹かれた。
◇なお、現在では、靉光を取り上げた単行本なり画集なり雑誌なりというものは、ほとんど手に入らないようだ。その意味で、今回の2000円の図録もかなり貴重だと言える(Amazonで調べたら、菊地芳一郎著『靉光』(時の美術社、1965年刊)という本が¥684,400!で出品されていて、さすがに魂消た)。
◇GWこそ終わったが、東京国立近代美術館は、江戸城の堀や石垣を見渡せるとてもいい場所でもある。残りの休日で足を運ばれてはどうだろうか。