「こうのとりのゆりかご」事件

◇熊本、慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」(俗称「赤ちゃんポスト」)設置については、1986年以降の群馬県の施設の例も知っていたので*1、私はいろいろな可能性を含んだうえで反対ではなかった。しかし、開設初日から、3〜4歳の児童が置き去りにされたということでさすがに驚いた。
◇そもそもこの施設は、私の持っている常識で言うと、「赤ちゃんを産んだものの、育てられる状況にない人(ほぼ女性)が、やむにやまれず子を殺したり、どこかに放置する前に、ここに来て相談する、あるいはそれに踏み切れずそのまま置いて行く」という状況(だけ)を、明らかに想定していると思われる*2のだが、今回のは違うだろう。
◇3〜4歳児というのは、通常ある程度記憶があり、自分なりにしゃべる。少なくとも私の定義では、すでに一個の人格を持った人間である。実際、今回の子どもも「お父さんに連れられてきた」と話していると仄聞する。したがって、これは上記の「赤ちゃんを置く(捨てる)」という行為とは、相当質が異なる。
◇私は、生命は当然尊重する(だからこの施設の意義も理解する)が、生命尊重絶対主義ではないので、同じ命とは言いながら「赤ちゃん」と「3歳の子ども」との間の違いは非常に大きく考えている。したがって、これに関わる親・大人の責任も、後者に対しての方が非常に大きくなると考える。
◇親当人にとっては、主観的にある種の緊急避難と受け止めていたのかもしれないが、熊本県警が保護責任者遺棄の疑いで捜査するのは全く理の当然だろう。この施設の趣旨と、そこに3歳児を置いていくことの違いの判断がつけられない親に対しては、まず誰が、何をすることが必要だったのだろうか。
◇この件で、この施設がまた要らぬ騒動にさらされないことを望む。それにしても、「現実」が2ちゃんねるレベルに感じられるのは、そもそもそういう状態があってそれが2ちゃんねるに端的に現れているのか、2チャンネル(的な状態)に私たちが慣れているから現実をそう見てしまうのか、誰かメディア論でバサバサと論じていただきたい。

*1:http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/bebe/news/20070508ddm041100157000c.html」参照。ただし、廃止のきっかけは92年に死亡した乳児が発見されたこと。

*2:【6/23追記】上の注(記事はもう落ちている)で触れた、群馬県の「天使の宿」について、『毎日新聞』「記者の目」欄に、前橋支局・鈴木敦子記者のフォロー記事が出ていた(「http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/kishanome/news/20070619ddm004070044000c.html」)。特に母親の方が追い込まれる状況と父親の責任について記述がある。