たまきはまらず?

◇本日は、不謹慎ながら、また(歯科医一家の件以来?)メディア企業ならびにその周辺のライターと称する人たちが、こぞって食いつきそうな「首を持って自首」報道あり。この種の事件に、殊更に「人間性」ないし「反人間性」を読み込もうとする手口がいまやいやらしいような気がしている。親の子殺し、子の親殺し、見たくない現実だけ集めて強調して何になるのか? (真摯に考えるのは結構だが、今の社会で誰がこれを真摯に受け止め、考えられるのかを含めて自省した方がよくはないか?*1
◇この件は、例によって書きかけで止まっているシリーズ「『たまきはるいのち』を奪うものへの抵抗」(その5)辺りで書く内容と関わっている。が、(その3)の「教育の論」を一度書いたものの不満足で、現在書き直しができず、止まってしまった。
◇私事を述べれば、職場は相変わらずつまらんことでガタガタしていたが、ついに激変が確定。おまけに、5月に入ってまた風邪をこじらせて、絶食+1日中トイレから4メートル以上離れられず、なんてマイナーにつらい状態だったりしていた。ま、最近改めて自分の人間としての器の小ささを冷静に受け止めるようになっていて、ちょうどいい内省の機会ではあった。
◇この間も、「文化は保守、政治はリベラル」を標榜する以上、リベラリズムの古典を読まねばと、ロックの『市民政府論』*2やら福澤諭吉『文明論之概略』*3やらを読んでいた。前者は訳は少々古めかしい*4が、凡百の解説を読むよりはよほど「自由」の内容を体得できるし、後者もきちんと読めれば、日本にこんな名著があったのね…と今更びっくりするぐらいの名著(実は言ってることはそんなに難しくないし)。
◇『概略』第6章「智徳の弁」(智と徳の区別)での、「智をおろそかにして、専ら徳義を説く者たち」への批判のくだりは、「親学バカ保守」(上の「ゆりかご」の件でまたぞろビービーうるさそうな)に読み上げてあげたいような内容。やや「徳義」に偏り加減だった私にも特に貴重だった(もっとも私が石田梅岩あたりを面白がって読んでいるのは、そこに智も徳もあるからだと思っているが)。
◇「『たまきはるいのち』を奪うものへの抵抗」も実は一種の自由論なので、その成果も活かさないとなあと思いつつ、なかなかきはまらず。
◇蛇足ながら、文芸では、『中央公論』と『本の時間』(毎日新聞社出版局のPR誌)の5月号で、町田康の新連載「夢のなかへ」と「熱海超然」が始まって、これがどちらも私の変なツボにはまって腹を抱えながら読んでいる。何だろうコレっていう妙な面白さがあってケッサクなんである。

*1:例えば、2005年の「少年による親殺し」が例年より多く17件に達したのに何か有意性があるか、といった問題設定はありうると思うが。

*2:完訳 統治二論 (岩波文庫)

*3:文明論之概略 (岩波文庫)

*4:もとの原稿は、訳者が「京城帝国大学在職中」のものだそうで。