【2:「安倍・小沢状況」の曖昧さ】

◇そんな中で、この選挙で「大状況」を語りにくい最大の理由は、日本の政治状況そのものが停滞していることと言えるのではないだろうか。民主党枝野幸男が批判するように*1、「安倍・小沢状況」は小泉時代に比べると「1955年体制ぶりかえし」的状況としか言いようがない。
小泉時代にあれほど機能的(少なくとも「効果的」)に運用されていると思われた「政治の2001年体制」*2はどこに行ったのか。大臣の「失言」「金脈スキャンダル」が続けて集中砲火を浴びるさまは、まるで1980年代後半から90年代の政治状況がフラッシュバックしてきたかのようである。
◇選挙への関心が高い一方で、問題はどんどん矮小化されている。「年金支給すぐやります、全員に払います」「被災地にかけつけました」「怪我しました。大したことではありません」「立候補したけど、投票権がありませんでした」etc.
◇最大の争点は一応「年金」とされるが、実際はそうした問題に象徴される「危機管理能力」「問題解決能力」の競争になっている。小選挙区制による2大政党化からすれば、政策そのものの対立軸より政権奪取の激突の様相を呈するのは、当然と言えば当然である。
◇しかし、その際に「自民党安倍晋三民主党小沢一郎」という構図がそもそも極めて曖昧なのである。前回総選挙に際して私は「政党内での政策合意プロセス」の弱さについて触れた*3が、その状況は何も変わっていないように思える。
◇党首の顔、ということで言えば、「自民党安倍晋三」「民主党小沢一郎」というのは、党に対しての代表性そのものに違和感がある。経世会的利権自民党の総裁でもなく、小泉「改革」路線の忠実な継承者でもなく、岸信介的自立路線の実行者でもなく、なにやら正体不明の安倍晋三。間違いなく小泉純一郎的「改革」の先駆者ではあるが、一方で経世会自民党の本流の残像を強くイメージさせる小沢一郎。その2人が、自民党民主党とを代表して闘うというのは、イメージとして分かりやすいものではない。
◇一方で、統一地方選でも見られたように、民主党の地方浸透が一定程度進んだ感がある*4など、政治状況全体の変化は列島全体に広がっており、地殻変動は続いている。表面的な争点としては身近な生活密着型・能力競争型のものになっているが、深部的には国際・国内情勢の変化を踏まえた路線選択の機会になっているのが、今回の選挙かもしれない。
◇単に、「小泉政権下での総選挙で衆議院議席自民党が多すぎるから、今回は民主党に入れておこう」「安倍は小泉ほどの指導力がないからダメだ」というだけであれば、おそらくこれほど選挙への関心が高まることはなかったのではないか。やはり2005年の郵政総選挙で一つの頂点に達した深部流動はまだ動き続けて、今回の選挙への関心の高まりもその1つの現われなのではないか、と考えている。
◇ところが、両党首の位置づけの曖昧さから、例えば憲法改正の現実的議論などは期待すべくもない状況に立ち至ったのは、この節の最初に書いたとおりである。特に、その責任の多くは安倍政権の混迷にあると言ってよいのではないか。

*1:『中央公論』7月号中央公論 2007年 07月号 [雑誌]

*2:【2:小泉「劇場」政治と「政治の2001年体制」】 - ピョートル4世の<孫の手>雑評

*3:【2:小泉「劇場」政治と「政治の2001年体制」】 - ピョートル4世の<孫の手>雑評」。「まだ日本の政党は「政党内での政策合意」のプロセスが非常に弱いこともはっきりした(与野党問わず党内がバラバラ)これでは政権選択のしようがない。まずどの党にも党内改革が必要だということがはっきりしたというのが今回の選挙ではないか。」

*4:前回総選挙からの流れについては、こちらに書いた。「「自民圧勝、民主惨敗」からその次へ - ピョートル4世の<孫の手>雑評