【6:久間章生防衛大臣「原爆容認発言」を改めて弁護する】

分断された議論?

◇久間防衛大臣が6月30日の講演で「原爆投下容認とも受け取れる」発言をし、7月3日辞任した。その直後に書かれた、ブログを何件かちらと見たが、とりあえずベタなメディア論調迎合の書き込みしかなかった。例えば、「大臣失格だよね」「恥ずかしいよ」といった類の。
◇その同時刻に、例の2ちゃんねるの様々な掲示板では、むろん多様な見解が交錯していたが、原爆投下にいたる歴史的背景まで踏み込んだ書き込みも少なからず見ることができた。
◇一方では、典型的な「ネットウヨ」と言えそうな韓国・北朝鮮陰謀論への批判・中傷の類も多いとはいえ、議論の成熟度という意味では、マスメディアとそれを受けたベタな反射的ブログが示す「タテマエ」論調よりも、2ちゃんねるに見られる「ホンネ」の議論の方がはるかに高度であると言っていい。私もこの「発言批判(というよりは封殺)」問題に際して、後者の議論に与したい気持ちでいる。

原爆の悲惨と受忍

◇まず「久間発言」そのものより、「久間発言は原爆投下を容認するものだという批判」動向を考えるというのが最低限の出発ラインだろう。今回の発言に前後をつけて読んで、「全く問題を感じない」「常識的な発言だ」と思う人は決して少なくないと想像される。私には、むしろ「産む機械」発言にはまだ失言らしさがあったが、久間発言はほとんど失言ですらない、とすら思われる。
◇ある人物の「発言」が、何らかの他者の利害に関わるときに政治問題化することはあるだろう。「ヘイトスピーチ*1」は、法的に規制されもする。
◇では、今回の「久間発言」なるものは、どこに問題があったのか。発言そのものの文脈は、原爆投下当時の国際情勢(特にソ連参戦)に触れたもので、教科書的通説とまでは言えないかもしれないが、論壇でありそうな言説からすればことさら特異な点があるわけではない*2
◇今回問題とされた部分を引用*3する。

本当に原爆が落とされた長崎は、本当に無傷(ママ)の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなという風に思っているところだ。米国を恨むつもりはない。勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという、そういう思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るということも頭に入れながら考えなければいけないと思った。

◇単純にこの部分を読めば、アメリカによる原爆投下は、「国際情勢、戦後の占領状態などからすると」という条件付きで「しょうがない」と言われる。その「国際情勢・占領状態」とは、発言の前後で触れられている、戦争末期のソ連による参戦と北海道占領(南北日本の分割占領=国家分断)の可能性と、戦後の吉田茂による自由主義陣営への帰属の選択、といった事態を指しているだろう。
アメリカの原爆投下の決定には、当然道義的な疑問は残るが、こうした背景からすれば、仮に原爆投下がなかったとしてもまた別種の悲劇がありえた。そうした場合に、「あれで戦争が終わった」(別種の悲劇は起こらなかった)、感情としては原爆の悲惨さに打たれるが、「頭の整理」としては現在の同盟関係に至っているアメリカを「恨むつもりはない」、と言われている。
◇この発言のどこに「原爆投下の容認」が含まれるのだろうか。「しょうがない」というのは、日本国民が等しく受忍してきた国際情勢と戦争の悲惨の関係に触れているに過ぎない。
◇原爆だけに限った話ではない。日本の木造家屋向けの焼夷弾による都市空爆や、恣意的な(例えば、通学中の国民学校児童の隊列を狙ったような)機銃掃射は、どのような現実の中で起こったのか、その結果をどのように受け止めればいいのか、という問題である。感情的に現今のアメリカを恨むことなしにそれを受け止めるとしたら、どのような理路で可能なのか、という問題ではないのか。
◇今回の発言を、日本国・日本軍の「戦争責任」を追及しそうな人間たちが、「原爆投下を容認するとんでもない発言」であるかのように扱ったのは一体どういうことなのか。戦争における「悲惨」、戦後の「和解」、そういった事柄に少しでも感性を持ち合わせる人間であれば、今回の発言を上記のような文脈で理解できるはずではないだろうか。その意味で、こちらのブログの意見に全面的に賛同する(「久間発言「原爆投下、しょうがない」に思う | 通りすがりのブログ - 楽天ブログ」)。

「言論の不自由」について

◇久間氏本人が政治家として、その発言が戦争を語る言葉として、何か優れたものだから擁護されるわけではない*4。それとは別に、この「発言」は擁護されるべきである。なぜならこの発言を糾弾する動きに「大きな欺瞞」があると考えるからである。
◇今回、「しょうがない」発言を擁護した発言として、私が接したのは、福田和也坪内祐三両氏*5櫻田淳*6宮崎哲弥*7などの発言である。
◇確か坪内氏が言っていたように、この発言は「原爆投下を受忍するしかない」、私たちの現状を率直に言明したに過ぎない。それは、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで」現在の日本があるということと別ではない。
◇先ほどの「大きな欺瞞」というのは宮崎氏の記事からとったのだが、櫻田氏の言葉でいえば「過去半世紀の反核の念仏」ということになる。「観念的な平和主義、戦後民主主義の欺瞞性」ということは90年代以来大々的に繰り返し言われてきて、いいかげん定着したかと思いきや今回のぶり返しである。
井沢元彦氏が『言霊』*8などで指摘してきた、日本社会の「言葉狩り」「敵性語追放」(例えば、「平和だ、平和だ」と言い続けさえすれば、客観的情勢を無視しても平和が実現するはずだという迷信)や、小林よしのりによって10年来散々に戯画化された「アレルギー性平和主義」の復活ではないか*9
◇たまたま、宮崎哲弥氏の10年近く前の著作『「自分の時代」の終わり』*10を手に取ったところ、「『不正なる』原爆と『仕方のない』原爆」という実に「タイムリーな」一文を見つけた。
◇論旨は日本の歴史論争の不毛を嘆くものだが、その中に「民間の教育機関による広島・長崎の中学・高校・大学生対象の調査」(についての読売新聞報道)が引用されており、「全体の実に42.2%パーセントが原爆投下について『仕方がない』『やむを得ない』と回答した」という記述がある。
◇それを受けて、約9年前の宮崎氏は「容易ならざるは、世界唯一の被爆地においてすら、その稀有の経験の生々しい記憶を子孫に語り伝えるのに失敗しているという事態である。」と書いていたが、状況は現在も変わっていないだろう。それなのに選挙がらみの政治運動としては、こうした言論封殺が起こる、という状況が病的である。
◇櫻田氏も触れていたが、核兵器論議そのもののタブー化により、日本は「核拡散防止」に対して何らの実効的政策を持ち合わせてはいない。マスメディアではそうした状況そのものを問い直す声は小さく、単にスキャンダラスな状況だけが拡大されていく(私が見た限りでは、そうした状況に切り込んでいたのは『毎日新聞』の「クローズアップ2007」の「『廃絶』と『傘』ギャップ−あいまいな日本の戦後反映」だけだった*11)。
◇私は、個人的にはかつてある被爆者の方の話を聞いて、その凛とした態度に個人的な共感を覚えたものだが、今回の一件はそのような個人的共感を吹き飛ばすのに充分であった。今後、被爆者団体の運動は私にとっては、一個の政治的運動にしか映らないであろう。
◇結局、「選挙対策の辞任だ、それが現実だ」と言ってしまえばそれまでではあるが、この欺瞞性については看過することができない。また、選挙前の状況とはいえ、辞任の経緯そのものが、90年代までの枠組みでの「失言辞任」よりもさらに不透明であったとさえ思える。「公明党が引導を渡せば大臣の首も吹っ飛ぶのか」といった妙な印象すら出てきそうだ、と言っては言いすぎだろうか。
◇「戦後レジームからの脱却」を掲げる一国の総理が、正に「戦後的」ないしは「80年代左派的」な観念的原爆言論タブー化に対して何ら正面から向き合うことなく、「アメリカの立場を紹介した」などという意味不明な発言で糊塗しようとした矮小さには耐え難いものがある。
◇安倍首相はこの発言の一報を受けて、「左右両方から批判される発言だ」という反応を示した、という報道があった。だとすれば、ここに論じているような問題の構図は当然分かっていたはず。それなのにああした説明しかできないところに、安倍首相のどうしようもない指導力のなさを指摘せざるをえない。
◇結局は、今回の「発言」「辞任」騒動は、国内向けの政争の具に過ぎなかった。しかし、宮崎氏なども指摘するように、この騒動のおかしさはむしろ「戦後民主主義・平和主義の欺瞞」や「アメリカ依存の安全保障」などの状況を浮かび上がらせる効果があったかもしれない。BBCで”Japanese leaders rarely comment on the use of atom bombs against Japan, for fear of damaging ties with the US.” *12と表現されるような状況には、いずれにしても風穴を開けていかなくてはならない。それなくして、いかなる国とも戦後の和解はありえないだろう。

*1:ヘイトスピーチ - Wikipedia

*2:関連する歴史観の紹介記事。「http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/212814/」。また、櫻田淳氏の「「核」に関する備忘録: 雪斎の随想録」も参照すべき。

*3:こちらのブログに載せられているものを参照した。「http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/211450/

*4:その経歴や言動については、例えば「久間章生 - Wikipedia」参照。

*5:当然『週刊SPA!』の「これでいいのだ!」

*6:久間発言と「核」の自閉意識: 雪斎の随想録

*7:今週の『週刊文春』「仏頂面日記」。なお、同じ記事で、【5】で書いた「毎日ボートマッチ」が推奨されていた。

*8:言霊―なぜ日本に、本当の自由がないのか (ノン・ポシェット)

*9:原爆の悲惨さへの侮辱ということで言えば、2ちゃんねるで昨年末から貼り継がれてきたらしい、韓流歌手の正視に耐えないビデオクリップの方がよほど我慢ならないものではないか。「韓流歌手ピが原爆投下直後の広島で踊る 動画 [MV] Rain - I'm Coming (Feat. Tablo)完整版http://ime.nu/www.youtube.com/watch?v=mnHUS1ctUVo。6月に話題になった、マンチェスター大聖堂がゲームの戦闘場面で使われて抗議された件と比較してしまうが。

*10:「自分の時代」の終わり

*11:http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/closeup/archive/news/2007/07/20070703ddm003010020000c.html」政治部編集委員・小松浩氏執筆。

*12:BBC NEWS | Asia-Pacific | Japan minister quits over gaffe