【3:私たちの時代の「政治改革」】

安倍自民党大敗の原因をより長期的な、国内の政治変動の観点から見てみたい。まず、1990年代に展開された無数の「政治改革」の議論について振り返り、その時代状況に関する卑近な事例を取り上げた後で、再び参議院選挙後の政治状況への見通しをまとめてみる。

「政治改革の15年」

◇「政治改革」の議論の源流は、竹下登首相が1988〜89年ころリクルート事件などのスキャンダルが相次いだことから、「世論の批判をかわそうという狙い」で唱えたところから始まった(星浩自民党と戦後 政権党の50年』*1)。
◇ちょうど年号が「昭和」から「平成」に変わるころ、そしてまた東欧民主化から東西冷戦が終結するころのことだった。89年12月29日には、旧日経平均株価が38,915円87銭の最高値をつけたバブル景気の時代だった*2
◇そのような時代に現れ始めた「改革」の声は、すぐに1990年の湾岸戦争に際して、平和憲法と国際情勢の現実とのギャップ(140億ドルの戦費負担を行なうも、人的貢献なしで国際的に評価されず)という試練を受けた。また、1991年にバブル経済が破綻して、日本経済は「失われた10年」と呼ばれた混迷期に入った。
◇冷戦終結湾岸戦争の国際協力トラウマの解消は、1992年のPKO協力法による国連平和維持活動への自衛隊派遣で一応果たされた。しかし、もう一方では、1994年の朝鮮半島危機を受け、日米同盟再編・強化が加速され、1997年の新ガイドライン(日米防衛協力の指針)、1999年には新ガイドライン関連3法(周辺事態法・自衛隊法改定・日米物品役務相互提供協定)、2001年のテロ対策特措、2003年の有事法制3法(武力攻撃事態法・自衛隊法改定・安全保障会議設置法改定)が整えられた*3
◇このような国際情勢・安全保障情勢の変化に伴い、国内政治では「観念的」と批判された「護憲・平和主義」勢力は、1994年の政治改革関連法による小選挙区制度導入とも相まって、1990年代に明白に退潮した。もはや詳しい経緯は省略するが、90年代前半に経世会竹下登金丸信が、田中角栄的な利益誘導政治を自壊させるのと並行して、小沢一郎が描いた「政治改革」(政治のリーダーシップ確立、地方分権規制撤廃)が進行した。
◇しかし、1995年の阪神大震災オウム真理教による地下鉄サリン事件による衝撃と混乱により、90年代後半の日本社会はさらに混迷の度を深めた。精神疾患に関する事象が人々の異常な関心を集め、自分がそれに当てはまるのではないかと競うような「自傷の時代」に陥ったその姿は、実に無残なものだったと言うほかない。
◇2001年の小泉純一郎首相の登場に国民が喝采を浴びせたのは、ポピュリズムと呼ばれるとしても、以上のような時代背景を持っていたことを忘れるわけにはいかない。その「構造改革」路線は小沢一郎が描いた道筋をなぞったものであり、そのポピュリズム的権力の基盤は小沢一郎が作った小選挙区制にあった*4
◇思えば、この15年間は小沢一郎小泉純一郎という2人の改革者が、自民党(特に田中角栄的な利益誘導政治)を「ぶっ壊し」てきた歴史と言ってもよいのではないか。今回の参院選では、小泉すら手を出せなかった参院津島派が壊滅した*5。ただし、このように言うのは、決して小沢・小泉英雄史観からではなく、次のような見通しによるものである。
参院選後、『毎日新聞』に(7/31付朝刊)「座談会 参院選を振り返って」が掲載された。論者は、田中秀征(元経済企画庁長官)・竹中治堅(政策大学院大学准教授)・岩見隆夫毎日新聞客員編集委員)の3人である。
◇その中で、田中秀征*6は、次のように述べている。

(自民歴史的惨敗の)深層海流は何かといえば、やはり細川政権以来のことを考えてしまう。…細川政権を生み出したエネルギーと、小泉政権下における01年参院選および05年郵政総選挙の自民圧勝、そして今回の自民惨敗。これすべて同じ流れにあると思うんですよ。

◇1993年の、細川護熙非自民8会派連立政権(それをまとめたのは小沢)〜小泉自民圧勝〜安倍自民惨敗小沢民主党勝利)が、同じエネルギーの流れとはどういうことか。この間、国民が当面する問題は多々あったにせよ、一貫して旧体制的なものに対する「改革」が支持されてきた、ということであろう。
◇その意味で、近来の日本の政治状況は「政治改革の15年」とでも呼びうる実質を備えていたのではないか。この15年での政治的勝者の入れ替わりは実に激しいが、それは「政党による短期的な目先の利害や宣伝で国民が踊らされた」というよりは、「国民の側の『改革』志向によって政党政治家が踊らされた」過程であるといってよいだろう。
◇例えば、「小選挙区制を徹底批判していた小泉純一郎が、その選挙制度によって強固な権力基盤を確保した」ことや、「新自由主義的な政治改革論議を代表していた小沢一郎が、社会民主主義的な格差是正を掲げて勝利した」ことは、歴史の皮肉である。
◇その政治家としての「変節」を批判する議論も散見するが、原理主義者でもない限り、現実に合わせた政策を選び取り、その結果を出していくことこそ「政治」の仕事だろう。理論に現実を従わせるという発想は、それこそ「設計主義」であり、かつての「社会主義」と同断であると言わなくてはならない。
◇それにしても、この「エネルギーの流れ」、国民の「改革志向」なるものは、本当に一貫した傾向として持続してきたものだったのだろうか。以下、それを卑近なところから、2、3の例を挙げることによって見てみたい。

卑近な事例から見る1990〜2000年代の「地殻変動

◇私が高校に入ったのが1989年。バブル経済下の経済人・政治家の醜い行動に嫌気が差す一方、冷戦終結には興奮(と中学校までに受けてきた「平和教育」の前提が崩れる戸惑い)を覚えた。湾岸戦争に際して、「政治経済」の授業の課題の中で、自衛隊の海外派兵を可能にする立法の必要を論じて教師から激励された記憶がある。
◇大学に入ったのが1992年。ちょうど教養課程のゼミが新設されて、そこで「政治改革」と「環境問題」がテーマとなり、各学部1年生同士が熱く論じたりしていた。大学に入学したての若い学生にとっては、その若さゆえの「改革志向」を満たすいい時代だったかもしれない。
◇しかし、日本経済が「失われた10年」と呼ばれる時代に入ったのに対応するように、その後の10年間は、私自身もいわば仮死状態にあった。1998年に、修士論文を取りまとめて、それはそれで誠に人文的なものだったわけだが、そのことと社会情勢の間にある溝が大き過ぎて、自分でそれを埋めることができなかった。その後、ようやく就職した職場からの退場と広い意味でのリハビリテーションを経て、今の私がある。
◇このような時代の中で、ある意味で今の30代は集中的に苦労を背負わされてきた世代だと言えるかもしれない。「粗製濫造」と評される香山リカ*7に、題名のあまりのキャッチーさに感銘を受けた本『貧乏クジ世代』があるが、内容はともかく(読んでいないので)、このタイトルは私たち30代のある種の「実感」をうまく拾っているように思う。
◇―自分たちが受けてきた教育は旧来の「知識詰め込み型」、ただでさえ1学年200万人を超えるベビーブーマーなのに、熾烈な受験競争を乗り越えて大学に入ったと思えばバブル崩壊就職氷河期に直面、ほぼ教育が終わったころに「これからは『創造性』や『IT』の時代」だと煽られる。―
◇こうした不満は最近ようやく多少気づかれ始めたようで、「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳、フリーター。希望は、戦争。」などという、見も蓋もない内容の売文が反響を呼ぶ始末である。
◇安易な世代論かもしれないが、現在の30代は、20代以下ほどの「自然体のコミュニケーション能力」には恵まれていないものの、40代以上の「バブル骨抜き世代」とも異なって、現実主義的な傾向が強いように思う。「改革志向」が上滑りするのでなく、しっかりとした着地点を見出せる基盤を備えた集団だというのは過信だろうか。
◇ちなみに、今回の参議院選挙の出口調査結果の1つ(「選挙ステーション2017│テレビ朝日~選挙が分かりやすくなる動画を続々配信中!」)を見ると、30代の投票先が民主党49.6%、自民党22.1%で、各年齢層でそれぞれ最高と最低だった。最近の保守化傾向を受けて、20代の投票先が民主党44.0%、自民党24.8%と多少揺り戻しているのに比べて顕著な傾向であるように思われる。
◇日本社会の人口の第2グループ(「第2次ベビーブーム世代」)である「30代」(「団塊の世代」に隠れて話題にもならないが)の「改革志向」と民主党躍進とは、かなりはっきりした相関を持っているのではないかと思われる。
◇また、このような投票傾向が、国政選挙だけではなく地方選挙にも及んでおり、それが大きな「地殻変動」をもたらしているのではないか、と考えられる点も重要である。今年の統一地方選挙に際しても「民主党の地方での躍進」が伝えられたが、これも卑近な「実感」と合致するところである。
◇自分の地元では数年来、各種選挙戦を通じて、動員力でも浸透力でも民主党候補が自民党候補を圧倒している。というよりは、自民党候補は選挙期間中ですらほとんど見たこともないのに対して、民主党政治家は、市議会議員・県議会議員・国会議員とも少なくとも一度は顔を見たことがあり、名前を思い出すこともできる。
◇これは、主に選挙期間を通じた素朴な実感に過ぎないので、実際の政治活動において、本当に民主党政治家が自民党政治家よりも私たちのために働いていることを全く保証するものではないが、それでも「存在感がある/ない」「知っている/知ってもいない」との落差は大きいものと言わなくてはならない。
◇また『毎日新聞』(7/31付朝刊)からのデータだが、今回の選挙の当選者のうち、地方政界の出身者が28.9%で最多であり、官僚出身が11.9%、労働界出身が9.1%である。民主党の労働界寄りの姿勢・構造は、今回選挙でも多々攻撃されたが、それは一面に過ぎないのではないかという気もする。
◇こうした情勢の中から、民主党が良質な「党人派」人材を育てていけば、民主党が将来において自民党のような国民政党に成長することは決して不可能ではないだろう。むしろ、その場合、自民党の方がかつての社会党のように「中途半端な」政党に転落することもありえない話ではない。
櫻井よしこ氏や櫻田淳氏が「民主党社会党と同じ道を歩む」ことを警戒する論考を出しておられる*8が、「基礎が充実しつつある民主党」と「空洞化が進む自民党*9との差は大きいと言えるだろう。
(これについて、選挙データの分析の一端は、「http://www.miyadai.com/index.php?itemid=528」で知ることができる。)

*1:asin::imageまた、改革路線そのものは、中曽根政権の「戦後政治の総決算」から始まっていたと考えていいだろう。

*2:なお、1970年代前後からの時代状況については、以前の「【3:「ポストモダン」という時代認識】 - ピョートル4世の<孫の手>雑評」や、「【3:私たちの時代の「文化戦争」】 - ピョートル4世の<孫の手>雑評」に書いたことがある。

*3:この前後の安全保障と利益誘導政治などについては、櫻田淳『国家の役割とは何か』に、明快かつ教えられるところの多い記述があり、特にお勧めしておきたい。一方、こうした動きに、日本の「軍国主義」「戦時体制」復活を見る「批判的な」立場は、辺見庸高橋哲哉『新 私たちはどのような時代に生きているのか』鎌田慧『反憲法法令集』『現代思想』2006年9月号などによって知られる。国家の役割とは何か 新私たちはどのような時代に生きているのか―1999から2003へ 反憲法法令集 (岩波現代文庫) 現代思想2006年9月号 特集=日米軍事同盟

*4:私は、郵政総選挙の後にこのように書いていた。「「自民圧勝、民主惨敗」からその次へ - ピョートル4世の<孫の手>雑評

*5:参院選:自民津島派壊滅状態 1人区で全員落選「http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20070730k0000e010039000c.html」。もっとも、内田樹氏(「田中角栄 is coming back! - 内田樹の研究室」)が紹介する、「今回の参院選は、清和会(福田派)=日米同盟重視・市場開放」vs「経世会田中派)=アジア外交重視・市場規制」との対立ではないか、という見方もある。この見方が妥当かどうかは、小沢の掲げた「国連中心」「生活重視」の内容如何によるだろう。

*6:なお、田中氏の8/9付の小沢民主党応援記事「田中秀征の一言啓上 小沢民主党に期待する―2つの懸念を払拭して進め」がリンク先で読める。「http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/column/shusei/070809_41th/index.html

*7:香山リカの粗製濫造について - 猫を償うに猫をもってせよ

*8:櫻井よしこ氏は『Voice』9月号で、民主党の左ブレを警戒、櫻田淳氏は『中央公論』9月号で、民主党が89年参院選勝利後、93〜98年に政権参加した社会党のように結局政権政党に成長できないのではないかとの懸念を表明。一方、同じ『中央公論』9月号で、加藤紘一氏は、自民党が今のままではかつての社会党の道を歩むことになると危惧を表明している。Voice (ボイス) 2007年 09月号 [雑誌] 中央公論 2007年 09月号 [雑誌]

*9:小選挙区導入による派閥解体後の自民党そのものの衰退について、例えば「安倍続投の裏で/深刻な活力低下と人材枯渇」(「http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2007/08/20070806s03.htm」の解説参照。一方の民主党の基礎固めについては、朝日新聞の子ども向けの記事らしいこちらが適切(通常の記事もぜひこのレベルで書いてほしいが)。『大勝して喜ばない民主党、何故か』【森田レポート】「http://www.asahi.com/business/today_eye/TKY200707300322.html」「安倍総理の態度と手法に国民がノーと言ったということは、民主党は国民の期待に答えなければなりません。しかし、民主党には労働組合という支持団体のしがらみがあり、イラク派遣や日米安保や廃案になるので楽観的に作った政治資金規制法や、天下り法案の是正など、実際に判断せざるを得ない議席を持ったことで、これまでのような無責任な対応が出来なくなったことに対する緊張感からではないかと思います。」