【4:民主党政権への賛否と次なる政治課題】

私たちが信用するもの

◇さて、「小泉セオリー」による自民党大敗の原因について、という当初の問題に戻る。中西寛氏は、「ニュー自民党の継承に躓いた安倍政権」(『中央公論』9月号の「時評2007」欄)で、次のように述べている。

この大敗は直接的には安倍政権への厳しい評価を反映している。しかしまず、構造的な要因に目を向けることが必要だろう。…市町村合併による地方議員数の削減や公明との連立に対する下部組織の不満が自民党の地方組織の弱体化をもたらし、小泉改革による公共事業の圧縮や郵政民営化がその流れに拍車をかけた。…
小泉改革は、こうしたトレンドを少子高齢化が進む日本における不可逆の傾向と見て、無党派中間層を基盤とする「ニュー自民党」を作ろうとした試みだったと見ることができる。…
安倍政権の戦略的失敗はこの構造的要因を十分に意識することなく、「オールド自民党」と「ニュー自民党」を保守主義という糊で張り付けることができると期待したことであろう。…しかし、この戦略はこれまでのところ裏目に出ている。

◇政治状況に「構造的変化」が起きていることは疑いない。従来の「1955年体制」では、次のような国民の棲み分けが成り立っていた。

しかし、現在では国民はより「単一化」している。企業内の労働者であれ、自営業者であれ、農業従事者であれ、等しくグローバル化の波の中で自己責任を問われる存在である(とされる)。身近な共同体の論理よりも、より公的な、普遍的な原理・原則に照らして妥当かどうかによってその存在意義を問われる存在である。
小林よしのりが繰り返し指摘するように、本当にそれでいいのか、それが価値的に正しいのか、は別として、そうした事態が進み続けているし、私たちの生活実感はそれを受け容れる方向にある。
◇もはや、私たちは、明白な根拠や論理的な説明を欠いた、身内の都合を優先させるような存在を信用することはできない*1。そうしたものに感じる不信感は、ミートホープであれ、安倍政権であれ変わることがない(もちろん、これらの内実が同じだというのではないが)。
◇思えば、安倍政権への不信感は、閣僚の言動、それに対応する安倍首相の指導力のなさに起因するものであった。小泉の国民への説明の仕方には相当の胡散臭さも付きまとったが、それでも時に、計算づくのリアリスティックな「非情な仕打ち」には、論理を超えた説得力が宿ることがあった。それに対して、安倍政権は強引さには事欠かないが、それは単なる力任せの「突っぱね」でしかない。
◇小泉の「ワンフレーズ政治」もジャーナリズムやアカデミズムからは批判されたが、テリー伊藤が「優先順位の天才」と命名したように、その言葉は強烈なメッセージ性を持っていた。一方、安倍の言葉は、ナントカの「一つ覚え」の類であり、繰り返し語れば語るほど言葉の軽さが浮き上がってくる*2
小泉政権に国民が圧倒的な支持を与えたのは、いわば「非常大権」の付与だった。そして、小泉の「非情さ」(=リアリズム)抜きの「小泉セオリー」は、安倍とその取り巻きの慢心の種となってしまった。この政権が繰り返す失敗パターンは、「幼児性」「自己愛」「誇大自己」といった精神病理の見本市*3を見るようである。
◇さて、それでは当ブログでも指摘していた「アナウンス効果*4はどうなったのか。今回の選挙での「アナウンス効果」は、自民党への揺り戻しにはつながらなかった。個人的な感覚に過ぎないが、「どうせ大敗だから寝ていよう」というのが、今回選挙での最大のアナウンス効果だったのではないか。また、「埼玉選挙区の民主2人目当選」に見られるように、旧来の選挙動員とは違う「風」の方が、投票率を押し上げ、票の振り分けをも成功させたのである。
◇一方で、今回の民主党マニフェスト」については、確か岡田克也前原誠司らが従来の流れを受けて「消費税増税」にも踏み込んだ案を出していたのに対して、小沢が「今の状況で増税を掲げるのは間違いだ」と削らせたという。また、マニフェストそのものが、各種バラマキ策と財政再建とに同じ財源を当てる「二重計上」ではないかといった批判もある(『週刊新潮』記事)。その場合、先ほどの「明白な根拠」「論理的な説明」によって、安倍政権を批判し、小沢民主党を支持するという理路は怪しくなってしまう。
NHKの電話世論調査(8/10〜12)では、今回の選挙結果に「満足」「どちらかといえば満足」61%である一方、民主党政権を「期待する」46%/「期待しない」44%という結果だそうである。民主党に対しては、現状ではまだ半信半疑であるということになる。

「次なる政治課題」は何なのか

櫻田淳氏は、『中央公論』9月号の論考「民主党は消費税選挙後の社会党の轍を踏むか」で、小沢民主党が目指す「政権交代」について、次のように過去の事例を引きながら説得的に論じている。

1993年夏の「政権交代」は、少なくとも4年に及ぶ「政治改革」論議の果てに訪れた帰結であったのである。

◇そして、政権交代の「起爆装置」として、以下の3点を挙げている。

  1. 法律上の枠組み(具体的な政治目標)
  2. 政治標語(そのためのスローガン)
  3. 政治術策(反対派封じ込めの名指し)

これらは、1993年の小沢による細川内閣成立の政権交代では、

  1. 選挙制度改革関連4法案」
  2. 「政治改革」
  3. 守旧派

という内容であった。また、2005年の小泉純一郎による「郵政選挙」の政権更新では

  1. 郵政民営化関連6法案」
  2. 構造改革
  3. 抵抗勢力

という内容だった。
◇それでは、次の政権交代の軸となる「政治課題」は何なのか? 「年金」はあまりに具体的であり、「格差」はあまりに漠然としすぎている。もちろん「政権交代のために、政治課題をひねり出す」のでは、話がひっくり返っているのであって、小沢一郎の今後の「政権運営」の質が問われる場面であるといえる。今後、テロ対策特措法税制改正の議論の中で*5、どれだけ本質的な議論がなされ、国民に信を問える状況を作り出せるのか、それを見守っていかなければならない。

*1:ただし、私的空間では、これに完全な留保を付けなくてはならない。「配偶者に、浮気をしていない明白な根拠を示させる」とか「子どもに、親への明白な忠実さを求める」とかいった状態は悪夢でしかない。

*2:例えば、「憔悴の首相、最後まで楽観論…見立ての甘さが痛撃」「憔悴の首相、最後まで楽観論…見立ての甘さが痛撃 : ニュース : 参院選2007 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)」の記事中の言葉。「29日夜、テレビ番組に立て続けに出演した安倍は、『美しい国づくりについては、基本的には国民にもご理解をいただいている。その方向にしっかりと進めることが信頼回復につながる』と、自らの政策が国民の支持を得られなかったわけではないとの苦しい説明に終始した。そして、機械のようにこう繰り返すしかなかった。『大変厳しい状況で、今後は、相当困難な政局運営が待っているが、改革を続行し、国づくりを進めていく。それが私の責任だと改めて決意している』」。

*3:現在も進行中「次官人事先送り、小池防衛相が不満表明…首相は混乱憂慮」「http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070815it14.htm」。「現在の状況は、首相がしっかり統率していかねばならない」と思うのだが…。これでは夏休みを返上しても何の意味もない。

*4:【5:世論調査と選挙結果―「アナウンス効果」はどれだけあるか】 - ピョートル4世の<孫の手>雑評

*5:今後の政治日程については、例えば「参院こそ政権維持の源泉 小泉改革が踏み込まなかった『聖域』」「参院こそ政権維持の源泉:日経ビジネスオンライン」を参照。