方法6「作風変遷の時期区分に即して(中後期を中心に)聴く」

◇さて、この記事自体もマラソン的になってきたが、ここでミャスコフスキーの作風の変遷を整理すべく、時代区分を試みてみる。従来これに類するものは、Eric Schissel(という人)による3期区分くらいしかないようだ(少なくともWeb上には)。
「時期区分を含んだミャスコフスキー音楽の解説 The music of Nikolai Miaskovski by renowned Miaskovski expert, Eric Schissel.http://kith.org/jimmosk/schissel.html
その区分は、交響曲だけではなく、弦楽四重奏曲(全13曲)、ピアノソナタ(全10曲)なども考慮に入れたもので、だいたい下記のように分けているようだ。

第1期:第1次大戦まで(交響曲第3番まで)
第2期:交響曲第4番〜第13番
第3期:第14番以降(ただし、さらに区分可能)

 なお、Wikipediaの「生涯」の項目(ニコライ・ミャスコフスキー - Wikipedia)では、以下のような区分をしている。

初期:第1番〜第5番(1906−20)スクリャービンの影響
中期1:第6番〜第14番(1921−33)作曲の実験期
中期2:第15番〜第21番(1934−40)新ロマン主義への傾き
晩年:第22番〜第27番(1941−49)古典化と切り詰められた手法

◇どこで分けたかはそれぞれ理解できるが、私が交響曲だけを基準に分けるとこうなる。

前期:第1番〜第10番(1908−27)ロマン主義神秘主義時代
中期:第11番〜第19番(1932−39)新古典主義時代
後期:第20番〜第27番(1940−49)新ロマン主義時代

「前期」(1900〜20年代

◇「前期」が長いのが目立つが、今まで述べたように、この時期の充実作はほぼ第4・5・6番に限られる。第1番〜第3番は、スクリャービン的な神秘主義の影響が強い時期で習作的要素が残る。後に行って、第7番ロ短調作品24(1922)は、大曲第6番と平行して書かれているが、OLYMPIA盤の解説にあるように、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」(1920)の影響をモロに受けて作曲された2楽章の小品(雰囲気が完全にそのままですがな)。
第8番イ長調作品26(1925)は、プロコフィエフそっくり主題の第1・2・4楽章、少数民族バシキール人(バシキール人 - Wikipedia)の音楽を取り入れた第3楽章など、個々の楽章はそれなりに面白いがまとまりがない。
第9番ホ短調作品28(1927)は、番号「第9番」の割にミャスコフスキー交響曲最大の凡作ではないだろうか。妙にパロディ的で軽いのは、ショスタコーヴィチの第9番を予告しているようだが、とにかくまとまりのなさが際立っている
◇というように、第6番以降しばらくミャスコフスキーがスランプに陥ったのは間違いない。そこで第10番の後5年間は、交響曲を休んでOp32の軽快な連作などでリハビリしたわけだ(チャイコフスキーが第4番の後、管弦楽組曲4曲でリハビリしたように)。また、作品一覧によれば、この時期にプロコフィエフ交響曲第3番、シテインベルクの交響曲第3番、ムソルグスキー交響詩「禿山の一夜」のピアノ4手編曲をしているようである(聴いてみたい…)。そして、弦楽四重奏曲の第1番〜第4番を作曲しており、この交響曲休止期間が画期だったのは間違いないだろう。
「作品一覧 COMPOSITIONS by NIKOLAI MIASKOVSKY Internet Edition compiled by Onno van Rijenhttp://home.wanadoo.nl/ovar/miasopus.htm
(ちなみに、全9曲のピアノソナタは、1925年の第4番と1944年の第5番の間に実に長い空白期がある。)

「中期」(1930年代)

◇それが功を奏して、第11番以降は新古典主義的な作風を安定させて、1年に1〜2作の交響曲量産期に入る(1930年代=「中期」)。第11番変ロ短調作品34(1932)★★★が第6番以来の意欲作。第1楽章のメカニカルなアレグロ、第2楽章の現代的なフーガ?、第3楽章のプロコフィエフ的変奏曲と続き、構成として間然としたところのない名作だと思う。私は何度聴いても飽きない。第12番も同傾向だが、第13番は深刻なのは前述のとおり。
第14番ハ長調作品37(1933)★は、唯一の5楽章形式。パロディ的な新古典主義の楽章に、ラヴェル的な夜の音楽の第4楽章が挟まっている。(第9番のメロディーを再利用して、より明快な雰囲気にまとめて作り直した曲。)
◇第15番〜第17番は、再び4楽章形式を試みる。第15番は、例の緊密な構成とマーラー風フィナーレの曲。第16番ヘ長調作品39(1936)★は、一名「航空交響曲」。当時の航空機事故の犠牲者に捧げる葬送行進曲と自作のポピュラーソング「飛行機は空を飛ぶ」の旋律を用いたフィナーレなどで構成され、全体としては軽快な感じ。
第17番嬰ト短調作品41(1937)★★は、ドラマティックな充実作で、好きな人も多いようだ。正統的な4楽章形式で、いわゆる「交響曲」のイメージに最も近い作品と言える。第18番がディズニー風の可愛い3楽章。第19番変ホ長調作品46(1939)★が「吹奏楽のための交響曲」(内容的にはシンフォニエッタ)で、これをもって中期が終わる。

「後期」(1940年代)

◇さて、1940年代が「後期」となる。今まであまり触れてこなかったが、やはりこの後期がミャスコフスキーの最高潮であり、この時期の8作がなかったらおそらくスヴェトラーノフも全集を録音することはなかったのではないだろうか。
◇後期の開始を告げるのが、第20番ホ長調作品50(1940)★★★。3楽章形式で、規模は小さいが、第1楽章の流麗なアレグロ、第2楽章のアルカイックな美しさ(タネーエフ的な均整美。正に絶品!!)、第3楽章の自然的雄大さとロシア民謡的メロディーなど、第27番までを支配する後期ミャスコフスキーの特質がすべてこの曲に出揃っている(後期は第21番を除いてすべて3楽章形式。ただし、第22番は3部からなる単一楽章)。第21番は、そのアルカイックな緩徐楽章だけの単一楽章。第22番「交響バラード」、第23番「交響組曲」と、熟達した作曲家による名曲が続く。
◇第24番〜第26番は、この傾向を展開した重厚かつ雄大な大曲が並ぶ。第24番へ短調作品63(1943)★は、ウォルトンを思わせる力強い推進力を持った作品。第2楽章の雄大な歌は、さながら90年代のNHK大河ドラマのテーマ曲のように盛り上がる。
交響曲第25番変ニ長調作品69(1946/1949改作)★★は、第1楽章の孤高の新ロマン主義的変奏曲、第2楽章の悲しいワルツの後、第3楽章にようやくアレグロとなって突進した末、大きな回帰を迎える感動的な作品。
第26番ハ長調作品79★★(1948)は、「ロシアの大地を描いた」と称される作品だが、ずっしりした巨大さと繊細な流麗さが綿々と縒り合わされていくのはもはや壮観。そして、第27番ですべてが予定されていたように、この巨大な歩みが見事に完結する。
後期の雄大かつ繊細で神々しくも淡々とした作風には圧倒されるほかない。スヴェトラーノフは、この世界を表現するためにミャスコフフキーに取り組んだのだと思う。スヴェトラーノフロシア連邦アカデミー交響楽団の演奏は、この大作群にぴったりと寄り添い、ひたすら丹念に造形することによって、その完成形態を十全に示すことに成功している。…というか、このコンビでなかったら、さだめし第26番など本当に退屈な作品として演奏されてしまいそうである(第26番はこの全集が世界初録音)。