方法9「スヴェトラーノフの解釈の巨大さに慣れる」

◇すでに後期交響曲について述べたが、スヴェトラーノフの解釈の巨大さがあればこそ、ミャスコフスキーのやや晦渋な作風も昇華されてより美しく表現されている。第24番〜第26番などは他の指揮者・オーケストラには全く近づくことが許されない領域ではないか。個々の曲ならともかく、全集としては空前絶後のものとなるのは間違いない。あの第1番第1楽章序奏の重々しさもこうした背景からすれば当然の解釈なのだろう。
◇私は今まで聴いた限りスヴェトラーノフの作曲にはほとんど何らの評価も与えていないが、御大が作曲を通して伝えたかったほとんどのものがミャスコフスキーの後期交響曲に表現されているのではないかと想像する。もっとも以前は完全に時代遅れの作風に感じて全く面白くなかったが、ミャスコフスキーが分かってから聴くと、スヴェトラーノフの作品も実に美しく響くようだ(交響詩「広野の夜明け」、ハープと弦楽のためのロシア主題変奏曲など。ロシアンディスクRDCD11044)。
◇また当初、リリースの経緯として、「スヴェトラーノフの個人的熱意によって」というところが注目されていたので、アカデミー交響楽団の演奏があまりノっていないのではと疑ったこともあったが、よく聴き込めば全くの誤解で、ミャスコフフキーに限らずこれほど精細な演奏には滅多に出会えるものではない。
(2000年に両者が決別した事情からの類推でそう思ってしまった。「http://homepage3.nifty.com/svetlanov/expert.htm」)
◇さて、上記で私は交響曲のほぼすべての番号を挙げてコメントしてきたのだが、ミャスコフスキー交響曲で、実は最もポピュラーかつ最も規模が大きい(60分超)第6番変ホ短調作品23(1923)★★をわざと抜かしていた(「革命」のタイトルでも知られる)。この曲には、コンドラシン盤(2005年メロディア MELCD1000841)やネーメ・ヤルヴィ盤(2002年DG 471655-2)があって、それらには終楽章の合唱が入った形で収録されている。第1楽章のホルンアラームに象徴される、1920年代に一瞬成立したロシア・アヴァンギャルドを聴くのなら、ドライなヤルヴィ盤がお薦めである。
◇この全集録音で、スヴェトラーノフは合唱を採用していない。しかし、上記の合唱入の録音を知った上でこの演奏を聴けば、終楽章の該当箇所でトランペットが、ヴィオラが、クラリネットが、ヴァイオリンが、チェロが、ファゴットが、次々と人の声で語り出す(!)のに気づいたとき、驚愕とともに感涙を禁じえないだろう。ミャスコフスキーが描いたムソルグスキー的世界の完全な表現が現出しているといってよい。
ミヤスコフスキー:交響曲第6番