「消費税増税論」について

◇先日、菅総理大臣の実現前に、私は反小沢の文脈で「消費増税なしの10年後の日本をもはや私は想像することができない」と書いた(「今こそ民主党政権を徹底的に支持する。 - ピョートル4世の<孫の手>雑評」)。
◇ニュースの画面には、ワールドカップに便乗して爽やかそうに意気をあげている人や、今に至ってなおできもしないことを放言している人たちが映っている。私の目には、偽善が過ぎるのではないかと見える。いや、偽善にすらならず、単なる無責任だ、と言うべきだろうか?
◇確かに、民主党マニフェスト修正手続きとしては、十分な説明がなされているとは言いがたい。しかし、この10数年来の日本政治は、小泉時代の「任期中には消費税を上げない」を含めて、いわば「いかに国民が納得する形で消費税を上げるか」を巡って揺れ動いてきたと言っても過言ではない。
◇さらに遡れば、大平内閣以来30年を超えて引き継がれてきた問題だと言える(「消費税 - Wikipedia」)わけで、その意味では90〜00年代の(主に自民連立政権下の)政治も、歩みは遅いながら、国民への自覚を促してきたと評価できる。誰だって負担が軽いに越したことはないわけだが、そろそろ文字通りの「年貢の納め時」ではないだろうか。
◇むろん仮に増税が実現したからといって、財政は当面苦しいままだし、景気落ち込みのリスクがある。それでも1970年代以来の構造の歪みを正していくための数少ない好機が訪れつつあると思うし、そのように正面から道を進むのが、結局私たちらしい行き方なのではないだろうか。