第17回オーケストラ・ダスビダーニャ定期演奏会の1年遅れの感想、または、ショスタコーヴィチ「チェロ協奏曲第2番」の本義について

◇昨年2月11日に標記の演奏会に行ったのだった(指揮は言うまでもなく長田雅人氏、すみだトリフォニーホール、以下楽団名はダスビと略す)。2月17日に感想を団長様宛FAX送信しているのだが、ブログ上では結局書き損ねたままだった。理由としては、自分がダスビにリクエストし続けていたチェロ協奏曲第2番について、演奏会前後、そして当日に、自分がかつて感情移入して聴いていた思いをうまく重ねることができず、それで書くことができなかったということがある。
◇それをなぜ今更書き直してここに揚げる気になったかというと、今度の第18回演奏会(2月20日すみだトリフォニーホール、下記囲み内参照)のチケットを希望したところ、返信に「昨年のチェロ協奏曲第2番の感想、ぜひブログに書いてください!」とのコメントを頂戴してしまったのである。まさかこちらがリクエストされることになろうとは…(ちょっと気恥ずかしい)。
◇そして、書くためにはやはりチェロ協奏曲第2番にもう一度正面から向き合わなければならない。私はなぜ自分がこの曲に強い思い入れを持っていたかを、村上春樹ばりに井戸の底に潜る気分で、もう一度捉えなおそうとしたのだった。その結果、ここ2週間ほどの間に、わかった、思い出した。そう、私はこのようにして、かつて晩年のショスタコーヴィチに近づいていたことがあったということを!
◇ということで、私の20年近く前の思いを取り戻させてくれたリクエストに深く感謝しつつ、ここに約1年前の演奏会感想を上程し、もって近き第18回へのイントロになればいいな、という意図で書く次第。

第18回定期演奏会の情報は楽団ホームページへ→「オーケストラ・ダスビダーニャ
日時:2011年2月20日(日)13:00開場/14:00開演 すみだトリフォニー大ホール
曲目:ショスタコーヴィチ
1.アニメ映画「司祭とその召使いバルダの物語」の音楽作品36より抜粋
2.室内交響曲作品110a(弦楽合奏編曲:R.バルシャイ
原曲:弦楽四重奏曲8番 作品110〜ファシズムと戦争の犠牲者の想い出に捧げる〜
3.交響曲12番「1917年」作品112
指揮:長田雅人(常任指揮者)

◇ちなみに、今年のプログラムは同時期(1960−61)の弦楽四重奏曲第8番と交響曲第12番が、静と動、裏の顔と表の顔、ショスタコーヴィチの二重生活を体現していて見事なカップリング。聴きどころとしては、付随音楽「バルダ」のコミカルな楽しさと組曲としての完成度、室内交響曲ではここ数年でメキメキと腕を上げてきたダスビ弦セクションがついに完成の域に達するのか、そして第12番は10年前の十分壮絶な演奏からさらにどのような展開を見せるのか(近年の技術レベルの向上による精確さはもちろんのこと、より激しさと風格が両立した演奏になることだろう)、が聴きどころである。

前置き

◇会場のすみだトリフォニーは私の大好きなホールで、ここでダスビを聴けるのはまた一層嬉しい。ダスビとしては、第7回定期(2000年)の交響曲第4番ほか以来だったろうか。1年前のことでさすがに様子を忘れてしまったが、客席は常のとおり盛況だったと思う。
◇今回のプログラムは、チラシに触れられていたとおり、ショスタコーヴィチ43歳の「ベルリン陥落」、59歳のチェロ協奏曲第2番、そして若返って33歳の交響曲第6番を辿るプログラムであった。そう、この辺りをもっと意識していれば、チェロ協奏曲を「難曲」に感じてしまうなんてすれ違いは起きなかったはずだった、というような気が今更ながらしている。
◇以下、演奏会感想を書くのだが、1年前のメモと1週間後のFAXから起こしているので、やはり薄い。その代わり、問題のチェロ協奏曲第2番の位置づけについては、個人史的な思い出話を多数交えながら長大に書くことになった(そうしないと書けなかった)。実際のダスビ演奏から離れ過ぎてしまっている段は、何卒ご容赦いただきたい。

映画音楽『ベルリン陥落』Op82(1949)

◇映画の題材は第2次世界大戦独ソ戦でのソ連の勝利。端的に言えば、「指導者スターリン万歳!」。私はこのクラシックCD全盛時代に(最近単価が異常に安く、相当のマイナー曲でも手軽に聴ける。この曲もお求めやすいNAXOS盤がすでに2003年に出ている!*1)この曲は聴いてもいなかったという体たらくで、本当にショスタキストかと言われてしまいそう。しかし、ダスビの醍醐味として、何でもなさそうな映画音楽や付随音楽に真摯に向き合って交響曲に匹敵する名曲ぶりを引き出してしまう、というところを楽しみにしているので、他の安っぽい演奏で聴いてもしょうがない、という思いもある。
◇ということで、どんな曲かと興味津々であった。結果としては、1曲目から重量級の充実度で、これこそダスビ! という感を深くした(仕方のないことだが、一般のアマオケ定期では、メインはともかく1曲目は…という例も多い)。曲自体は、いくらでも俗悪にも演奏でき、十分体制迎合的と思えるように書かれているが、それでも随所に戦争時代の緊迫感を盛り込み、真摯な鑑賞にも耐えうる部分も多い。まして、ダスビにかかれば、見事に一幕の交響絵巻が現出するわけである。
◇演奏されたのは、全曲版・組曲版から独自にセレクトされた7曲。
1.前奏曲:冒頭のファンファーレから圧倒的な風格。年1回の祝祭演奏会の幕開けに実にふさわしい。また、ボロディンムソルグスキーから脈々と受け継がれたロシア的情緒を湛えて力強い主題が歌われる。
2.川辺の情景:美しい平和の情景。弦楽合奏とハープ、チェレスタ木管の繊細な美しさが際立つ。
3.ヒトラーの祝勝会:よくアンコール曲でも取り上げられる金管の賑やかな曲で、無類の陽気さもダスビの原点を感じさせる。
4.ゼーロウ高地へ突撃:長い戦闘シーン。こうした曲の盛り上がりは圧巻(交響曲第12番などに匹敵する)。この曲だったか第6曲か、低弦を中心に一瞬、唸り声があがった(としか思えないような表情に満ちた音が鳴っていた)。近年のダスビの圧倒的な合奏力を感じさせる。
5.破壊された村にて:戦闘の後の重々しい悲嘆がたっぷりと描かれる。
6.地下鉄のシーン:再び戦いが迫る緊迫。やはり第4曲からの辺り、木琴やドラの一撃一撃に魂が籠っている。
7.終曲:全曲盤だと合唱が入るが、今、「あれ、ダスビも合唱入れてなかったっけ?」と思ってしまったぐらい壮麗なフィナーレ。思わずsplendid!と叫びたくなる。
◇全曲盤からこの7曲を続けて聴くだけで風格がぐっと上がって感じる。実に優れた戦局勘(選曲眼)である。CDなら20分程度なのだが、1曲1曲実にどっしりと、曲と曲との間合いもしっかり取っていたので、30分以上かかったように感じた。
◇『ヴォロチャーエフ要塞の日々』(第12回、2005年)、『ピロゴーフ〜先駆者の道』(第14回、2007年)と並んで、CDで映画組曲3部作として聴いてみるのが楽しみ(前の2曲を今少し聴いてみたが、実に凄い演奏をしていた。ゼロ年代後半〜のダスビの風格はやはり圧倒的だ)。

チェロ協奏曲第2番ト短調Op126(1966)

◇さて、問題の第2番である。まず、ソロの丸山泰雄氏は、2009年8月1日のオーケストラ・ダヴァーイ第3回演奏会で、プロコフィエフの協奏交響曲で登場したのを聴いていた。その時の演奏も見事なテクニックだったが、文京シビックホール大ホールのバルコニー席からでは距離が遠く(かなり響かないホールだという気がした)、若干オケとの協奏を聴くのが厳しいように思った。むしろ、アンコールで演奏した作曲者ジョバンニ・ソッリマ(1962−、イタリア。ちなみに、三絃の西潟昭子のために協奏曲を書いている)直伝の「ラメンタツィオ」(1998、途中でチェリストのホーミー的唸り声が入る上、チェロのテクニック的にも非常に面白い曲)の魅力にはまってしまい、会場でご本人からCDを購入し、サインしていただき、「あの唸り声はどういう由来ですか」云々とお話しさせていただいたということがあった。
◇今回のダスビとの演奏も場面としては非常に印象的なところが多々あったのだが、私自身が曲解釈で混乱してしまっていたせいか、あるいはこれまた迂闊にもソロの真横に近いバルコニー席を選んでしまったせいで音響的にも没入しそこなったせいか、十分にその魅力を受け止められなかった感がある。しかし、おそらくCDで聴き直せば相当の秀演だったのは間違いないと思う。
◇さて、曲についてだが、今回私も「難曲」だと思ってしまったわけだが、一般的にもショスタコーヴィチの数ある作品の中でもすこぶる晦渋な作風で、分かりにくい作品として知られる。やはりダスビのリーフレットでもその点に触れられているが、某知人によると「どこがサビだか分からない」とのことで、なかなか良い表現だと、思わず感心してしまった。
◇しかし、私にとってこの曲は、奇妙なことに、10数年来とても重要な曲と感じられていた。そのために、交響曲第15番が取り上げられた第14回(2007年)以来(だったか?)、アンケートでリクエストしてきたのだった。しかし、あろうことか、リクエストを繰り返していた私自身が、この曲の意味をなぜか見失ってしまっていたのである。その理由も今になって理解できるようになったので、後で触れる。
◇第1楽章ラルゴ、第2楽章アレグレット、第3楽章アレグレットの3楽章構成。緩徐楽章で始まり、短いスケルツォを挟んで、第3楽章フィナーレへ、という構成そのものはさほど特異ではない。しかし、その表現と内容はどこまでも晦渋な印象を与え、「とらえどころのない」謎の曲であるという印象を与えてしまう。私はどうしてこの曲を重要視していたのか?(以下、とてつもなく長い個人的な思い出話を交えながら、そのことによりチェロ協奏曲第2番の本義に迫りたい)

個人的な「チェロ協奏曲第2番」への道(1984〜92)

◇その理由でまず思い当たったのは、ヴァイオリン協奏曲第2番嬰ハ短調Op129(1967)とのつながりである。これについては、昨年の演奏会前も意識していて、予習にCDで聴いていた。しかし、その際に忘れていたのは、私が初めて買ったショスタコーヴィチのCDがこの曲のものだったかもしれない、ということである(予習ではずっと後に買った別の盤で聴いていた)。これは偶然の産物で、私はハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲の方を目当てに、ダヴィド・オイストラフ独奏の両曲がカップリングされた、当時のメロディア/ビクターのCD(1990年リリース。Amazonで¥15,000の値が…)を購入したわけである。
◇ちなみに、私がクラシックを市販のカセットテープで聴き始めたのが1986年ごろ。中学校の音楽の先生がかの有名な『フックト・オン・クラシック』のテープを貸してくれて、それを手掛かりにモーツァルトベートーヴェンベルリオーズブラームスチャイコフスキーなどを聴き始めた。CDに切り替わって最初のころは、ムソルグスキーチャイコフスキーグリーグなどに加えて、NHK−FMで知ったハチャトゥリアンプーランクを聴き始めた。
◇最初ヴァイオリン協奏曲第2番を聴いたときは、簡素で厳しくも、どことなく滑稽なその曲調に接して、「ショスタコーヴィチというのは変な曲を作る人だなあ…」くらいの印象だったと思う。今となっては、初演後間もない(1967年11月録音とされる)オイストラフコンドラシンの貴重な演奏を随分早くから聴いていたことになる。この曲自体について、今回は詳しく検討していないが、無駄な音が一つもない、切り詰められた伴奏の中を、ソロがモノローグ的に語る、という構図は、チェロ協奏曲第2番と通底しているのは間違いない(ヴァイオリン協奏曲の方がやや一般にも分かりやすい)。まあ、後期のこの曲からショスタコーヴィチに入ったというのは相当珍しい部類かもしれない。
◇その後は普通に、交響曲第5、1、9番辺りを聴いていったが、並んで第12番『1917年』も早く聴いていた(高校〜大学時代にムラヴィンスキー1984年ライヴのCDを100回は聴いたかもしれない)。さらに、第11番『1905年』については、例の1992年3月25日の北原幸男指揮のNHK交響楽団定期をBS放送で聴いている(ちょうど大学入学直前だったわけだ。「ショスタコーヴィチ交響曲第11番8種聴き比べ(ダスビ感想外伝) - ピョートル4世の<孫の手>雑評」)。一方で、なぜか第7番レニングラードはずっとちゃんと聴く機会がなく、ダスビの再演(第10回、2003年)でようやくその真価に触れて、その後CDを立て続けに買ったりしている。ショスタコーヴィチ受容の在り方として、妙に後期に偏っている。
◇それが偶然ではない、という考え方もできて、なぜならショスタコーヴィチがある時期からムソルグスキーへの共感の度を深め、自らの創作にムソルグスキー的なものをよりストレートに反映していった、ということがある。早くは、1940年(交響曲第6番作曲の翌年)にムソルグスキーの歌劇『ボリス・ゴドゥノフ』のオーケストレーションを行っている(パーヴェル・ラム校定版のヴォーカル・スコアにより「第1稿」「決定稿」両方について)が、続いて、1958年に歌劇『ホヴァーンシチナ』のオーケストレーション、1962年には歌曲集『死の歌と踊り』のオーケストレーションを行っている(これらの曲はオーケストレーションということだけで言えば、いずれもリムスキー=コルサコフやその周辺の作曲家がすでに行っているものである)。
◇ちなみに、私がクラシックに関心を深めたもう一つのきっかけに、森山安雄氏のゲームブック展覧会の絵』があったりする(例えば「http://homepage2.nifty.com/amakakenomiyako/home/gb/tenrankai.htm」などを参照。10年ちょっと前に氏自身のホームページを見た記憶があるが、なんと2002年に復刊されたとのこと。なぜかR25キーワードにも入っている)。日本オリジナルのゲームブックとしてはとても出来のよかったもので、同時代ではそれなりに知っている人も多いと思うが、自分がピアニストとしては弾ききれなかったムソルグスキーの曲をゲームブックに仕立てたものである。私はこの本から得た詩的イメージからロシア音楽への関心を特に深めたと思う。
◇ということで、最初に買ったクラシックのCDは『展覧会の絵』だった。また、高校の英語の先生に連れて行ってもらった池袋のWAVE(西武の向かいの黒いビルに入っていて、ややアナーキーな雰囲気が好きだった)で、先生からお金を借りて初めて買った輸入盤CDがボリス・クリストフのムソルグスキー歌曲全集(EMI)だった。これも1990年ごろのことである。
◇我ながらなかなかマニアックな趣味だが、この時、買っておいて本当に正解だった。今思うと、CD初期の貴重な盤をいくつか持っているのは幸運だった。今回、フェドセーエフ指揮の『ボリス・ゴドゥノフ』全曲盤(フィリップス、1984年)を取り出したところ、オリジナルでクッションとして入っていたスポンジが経年劣化で溶け崩れて、ディスクのレーベル面に付着してしまうという悲惨な事態に!聴けたからまだしも、慌てて同時期の他の盤のスポンジを廃棄した(初期の希少版CDを持っている方、ご注意ください)。ついでに言えば、私が世界一の美音ヴァイオリニストと見なすワンダ・ウィウコミルスカの一連のコニサーソサエティ盤CDは完全に買い逃していて、つい先日、約20年ぶりにディスクユニオン新宿店の希少盤特集で相当のプレミア付きでようやく1枚買い求めたところである(LPプレーヤーを買うべきだろうか?)。
◇…話が相当ズレてしまった。ショスタコーヴィチに戻ると、私がいち早く『1905年』と『1917年』に注目した理由としても、これらが『ボリス・ゴドゥノフ』や『ホヴァーンシチナ』と同様、政治的混乱を繰り返すロシアを描いた国民的な史劇であるという見立てから関心を持った、ということがある。2年前の交響曲第10番のところ(「第16回オーケストラ・ダスビダーニャ定期演奏会の感想 - ピョートル4世の<孫の手>雑評」)で少し書いた「問題作交響曲群」(第11〜14番、1957〜69)は、正にこのショスタコーヴィチによるムソルグスキー研究と並行し、特に1960年代に入ると、皮肉さと深い人間洞察、ロシア語のイントネーションと音楽との対応、ロシアの国民的な歴史の描写などといった、ムソルグスキーの音楽が持つ特徴がより直接的にショスタコーヴィチの作品に反映されるようになってきたのである。
◇こうした文脈の中で、私は1992年発売の1枚のCDを買い求めていた(池袋西口のHMVか、それとも渋谷のタワレコか?)。紫色の「ロシアン・ディスク」(アメリカのレーベル)のロストロポーヴィチものの1枚として出ていた、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番・第2番のカップリング、どちらも伴奏がスヴェトラーノフ指揮のソヴィエト国立交響楽団となっている(ヴァイオリン協奏曲第2番の解説で、チェロ協奏曲第1番の引用について触れられていたので、興味を持って買ったのかもしれない)。私は、ここでもなぜか第1番よりも、第2番の暗い晦渋な作風に親しみを持ち、何度となく聴き込んだ。特に終楽章の異様なまでの緊迫感にゾクゾクするような気分を覚えたのが強烈な印象となっていて、10年以上経っても「この曲をダスビで聴きたい」という思いに繋がっていった。ちなみに、お茶の水ディスクユニオン(今とは違い、御茶ノ水駅の御茶ノ水橋口と聖橋口の間のビルのすごく狭い2階にあって、輸入盤の安売りし過ぎで?あっという間に潰れたディスクマップと一時期並んでいた)でチラシを見て、初めてダスビ定期を聴きに行ったのが、『バビ・ヤール』の第5回定期(1998年)となる。

チェロ協奏曲第2番が持つ時代的な「文脈」と構成

◇このCDも今になって有難みが増すわけだが、ライヴ録音で、その演奏会の日付は1966年9月25日、ショスタコーヴィチ満60歳の誕生日の世界初演の記録だとされている!(もっとも、今はDVDが手軽に手に入るのだった。ただし、第2楽章冒頭にわずかな欠損があるか?クライマックスについても後述*2)今回、聴き直して認識したが、確かに異様な迫力のある、充実した演奏であるが、終焉後まもなく熱いブラヴォーの声が入っている。作曲家60歳記念の、晴れの演奏会、という一般的な理由もあるとは思うが、やはりそこには作曲家と演奏家と聴衆の間の、ある共有された文脈、というものがありそうである。
◇それを私なりに想像してみる。改めて初めから聴いてみよう。第1楽章(ラルゴ):冒頭からチェロは息を詰めたような苦しい声で歌う。低弦もそれに応えて、まずは重く沈鬱な雰囲気に支配されて曲は進行していく。これを単純に時代的風景に落とし込めば、1964年のフルシチョフ失脚→ブレジネフ時代というソヴィエト再保守化の流れが想像される。「時代は再び暗い冬へと向かっている」という呟き。交響曲第11番第1楽章の「宮廷前広場」にも通じるが、人々が息をひそめて生活する雰囲気が、弦楽とハープで描かれていく。
◇しばらくその暗い情景が続いた後、楽章の半ばで、打楽器と木管により少し明るい機械仕掛けのような単純な音型が繰り返されて場面が変わる。『ボリス・ゴドゥノフ』でも重要な転換となっていた「時計の場」(殺人者・簒奪者ボリスの正体がほのめかされ、その罪に恐れおののく場面)の再現だろうか。実際これを転機に(ここではまだあの旋律は姿を現さないが)、木琴などに動きが出て、曲が高潮してくる。「時が迫っているよ、その時が…」。しばらくすると木管に調子が狂ったような音型が出て、そこからチェロは明らかに慌てふためいて、苦しげに呻きだす。そして、苦しみが頂点に達したときに「ドンッ、ドンッ」と大太鼓の衝撃とチェロ独奏だけの掛け合い、という強烈な場面が現出する。ここは今回のダスビの演奏の白眉で、このぶつかり合いの迫力は初演を超えていたかもしれない。それで初めて分かったのだが、これはショスタコーヴィチ自身の心臓が停まる時の衝撃に違いない、ということである。
◇年譜等によれば、ショスタコーヴィチはこの1966年に体調を崩しがちになり、4月にクリミア地方の保養所で療養している。チェロ協奏曲第2番が書かれたのは実はこの時で、4月19日にクリミア地方に出発し、8日経った4月27日には曲が完成していたという。そして、1ヵ月後の5月27・28両日に自作の歌曲集をバスのネステレンコが歌う演奏会で伴奏を務めた翌日、心筋梗塞を起こして緊急入院することになった。作曲の方が心筋梗塞の前ではあるのだが、予兆じみたものは当然4月からあったのだろう(実際に心筋梗塞を起こした人は、やはり少し前から胸が痛いと語っていたという…)。ここで私はなぜかガンズ・アンド・ローゼズの名曲「Coma」を思い出したりもするのだが、先を急ごう。
◇そして、再び音楽は暗く静まり、第1楽章は幽かな安らぎを見出したように終わる。第2楽章(アレグレット):短いスケルツォ的な楽章。滑稽ではあるが、戦慄と隣り合わせになったようなバカ騒ぎといえようか。強いて言えば、破戒僧グリゴリー(後の僭称者ディミトリー)がその正体を見破られて脱走する『ボリス・ゴドゥノフ』の旅籠屋の場面を連想しなくもない。ただし、この楽章のおどけた主題は、ペトログラード時代に母が街頭でパン売りの時に歌った「買ってください、ブーフリキ(というパン)」の旋律だという説もあり、さらに検討が必要なところである。
◇曲はそのまま続けて、第3楽章(アレグレット)に入る。2本のホルンによる粗野なファンファーレが鳴り響く中(「さあ、ここから闘いが始まる!」)、独奏チェロは再び力を得たように行進し始める。時に、誇りに満ちた古典的な歌を繰り返し歌いながら、力強く唸りをあげ、R.シュトラウス張りに英雄の勇敢な歩みが続いていく。これが、この楽章の前半で、時に木琴や木管による冷やかしに煽られながらも、チェロは力強さを失うことはない。
◇第3楽章のやはり半ばで、ふと歩みが止まり、チェロは何気なく『ボリス・ゴドゥノフ』導入部の主題を5/4拍子で歌う(単純な変形だが、私はずっとこの印象的な旋律に気づかないまま聴いていたわけだ。DVDで視ると、ロストロポーヴィチはひときわ慎重に弾き出しているようにも見える)。この主題の繰り返しとともに、再び時計の音型がなる中、曲は切迫して緊張感を高めていき、『死の歌と踊り』の第4曲で司令官としての死神が出現する場面と同様に小太鼓が刻む中から、再度のホルン・ファンファーレへと繋がり、一気にカタストロフィに突入する。混濁した打楽器とハープと木管とホルンの圧迫するような響き、この異様な緊迫感(映像で見ると、スヴェトラーノフの指揮は鬼気迫り凄まじくキレがある)は、交響曲第11番の第2楽章「1月9日」の殺戮の場面を内面化したものと言えるかもしれない。あるいは、『ボリス・ゴドゥノフ』で言えば、ボリスに偽帝の烙印を突き付け、それに従っていた貴族を吊し上げようと猛り狂う民衆を描いたクロームィの森の「革命の場」に相当するか(ムバラクのような「良心的な」独裁者の言うことが100%間違っているわけではないのだが、民衆は聴く耳を持たない…)。その直後、チェロは奇妙な高音のシグナルとも何とも付かない叫びをあげて救命を求め、のたうちまわって転げ落ちる(初演ではそれと同時に、おそらくスヴェトラーノフの唸り声が聞こえる。DVDで確認すると…なんと!その部分が短くカットされている!もちろんチェロソロの音もわずかだが切れている。ソヴィエト的価値観か)。その後、チェロは再び風格を取り戻し英雄的な歌を繰り返す。「最後の闘いは終わった。もはや苦しむことはない」。寂しげな憂いの歌を歌って、ゆっくりと歩みを止めた後に、チェロのピツィカートと打楽器のチャカポコが入る。小刻みなコキコキした音は、ショスタコーヴィチ自身がそのシャレコウベを傾けてカタカタと笑う音なのだろうか?
◇さて、こじつけ的なものも含めてこの曲の場面場面をムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』と重ね合わせて理解を試みた。暗い時代の人々の生き様とショスタコーヴィチ自身の歩み、近づく自らの死の予感、ソヴィエトの作曲家として譲れられぬ地位を勝ち取ってなおかつその政権を風刺し続けるその姿、偽の支配者ボリスと自らの出自を偽ってその地位を奪い取る僭称者ディミトリー(単純に=ドミトリー・ショスタコーヴィチだろうか?)、ついでに言えば、クロームィの森で吊し上げられそうになり、僭称者ディミトリーに救われて寝返って、民衆とともに進軍する貴族の名前はフルシチョフだったりするわけだが、そこまで直接に当てはめる必要はないだろう。
◇本物の政治指導者を持つことができないロシアの苦しみというムソルグスキーの歌劇の主題は、ショスタコーヴィチの問題作交響曲群に引き継がれた。そして、このチェロ協奏曲第2番は、英雄の生涯」を示した交響曲第10番(「第16回オーケストラ・ダスビダーニャ定期演奏会の感想 - ピョートル4世の<孫の手>雑評」)と、ロシアの史劇である第11・12・13番と、「死者の歌」である第14番と、生涯を締めくくってチャカポコで終わる第15番を結びつける要にある作品であるといっていいと思う。
◇ついでに言えば、同年作曲の弦楽四重奏曲第11番ヘ短調Op122は、ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲第2〜14番を初演したベートーヴェン弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンを務めたヴァシリー・シリンスキー(ショスタコーヴィチより5歳ほど年上)の死に捧げられた、7楽章の諧謔と追悼の曲。第5楽章「ユモレスク」など、ほとんど音楽の「語り芸」の域に達している(これまた酔っ払いワルラームの歌に似て極めてムソルグスキー的だ)。
◇また、翌年2月に完成された、アレクサンドル・ブロークの詩による7つのロマンスOp127は、オフェーリアに象徴される抒情と予言の鳥ガマユーンに象徴される苦悩が交差する曲集(ヴァイオリン、チェロ、ピアノ伴奏)で、最終曲「音楽」の「夜、地上に満ちる妙なる音楽〜君がいれば人生の嵐がなんであろう〜宇宙の聖母よ、あなたの卑しい奴隷から血と苦難と最期の情熱の泡立つ盃を取りたまえ!」(大意)といった歌詞は、ショスタコーヴィチの当時の心境を示して余すところがない。ちなみに、ダスビのアンケートには、未だ取り上げられていない交響曲第14番と、交響曲第16番とも称されるミケランジェロの詩による組曲Op145(1974)のリクエストを出していたりする。なかなか条件を整えるのが難しいとは思うものの、ぜひショスタコーヴィチの歌曲もより広く聴かれることを願う(歌詞対訳があれば無類の音楽体験が得られることは請け合いである。ユニヴァーサルのスタンダードな作品集。現在注文はできないが、試聴できる)。
◇私がかつて終楽章の後半の異様な興奮に思い入れていた背景をこうして再度『ボリス・ゴドゥノフ』を合わせ鏡にして読み取ってみると、この謎の曲の意味(あるいは少なくとも曲の構成)を捉えなおすことができるように思う。

個人的な「チェロ協奏曲第2番」からの道(1978〜2009)

◇さて、以下はもはやダスビ演奏会と全く関係ないところへ逸脱するが、なぜ私が昨年の演奏会前にはこの曲の本義を見失っていたかを少し書いておきたい。
◇この曲は、作曲者自身の「死」の意識に近しいところにある。私がこの曲に惹かれ、この曲を遠ざけた理由も「死」にまつわると思う。
◇子供のころ、ショスタコーヴィチより5歳年上だった母方の祖父が、ショスタコーヴィチより何年か後に亡くなった時、私は死に装束を付けた祖父の姿を見ても、その事が持つ意味をまだ捉えることはなかった。生前と同様、死に姿も立派だった(板垣退助のような白いひげを蓄えていた)と単純に見とれていた。しかし、後から思えば、その祖父が亡くなった後には、親類の絆は急速にほどけていった(もっともその主因は家の家族だったかもしれない)。
◇人の「死」、あるいはその予感が私に深刻な打撃を与えたのは、中学校に上がるころに母の不治の病の宣告を受けた後だった。私は、その事を受け止めることができず、独り、寝る前のベッドの中で涙に暮れた。その名のとおり、幸いにして、母は現在も存命なのだが、私はその後の数年間、凄まじく荒れた公立中学校やきょうだいとの不和などに苦しみ、今思えば神経性の体調不良や種々の非行に陥り、「自分は長くは生きられない、30代までには死ぬだろう」と思っていた(ただ、なぜかその時すぐ死のうとは思わなかった)。
◇思えば、そのころにクラシック音楽を聴き始めたのは、多少の救いになっていたのだろう。そこにある(特にロシア音楽の)、激しい情熱や苦悩や誇らしさや美しさ、愛しさ、そうしたものを私は自分を理解する、受け容れるための手掛かりにしていたと思う。そこで、この曲についても、その精神的な苦闘に共感して聴き入っていたと言える。
◇ようやく大学に入ったころには、そうした苦しみからやや遠ざかることになった。しかし、以前にも書いたように*3、哲学科のゼミでは「死」と「弔い」の意味について論じられ、私はその主題を引き継いで、鎌田柳泓の「理学」に即して、死者は生者の思念の対象として存在する(カント的な神の存在の「要請」と同様に)ことを論述したのだった。
◇しかし、職業生活に入るころには、再びその弱さが私を苦しめた。特に、2003年と2009年に、自分がその人の苦しみのメッセージを最も近しく受けることができる位置にいた相手を、それぞれオーバードースと勤務中の心筋梗塞で失った(私より年下の苦しむ人たちだった)。私は、あまりに鈍感で非力だった。前者の後、私は完全な挫折を味わって、しばらしくして職を辞し、自らも少しく病んだ(そもそも2005年にスタートした当ブログも、そこからの精神的リハビリの意味も込めて書き始めたものだった)。さすがに、後者の際には、残された友人の何人かを勇気づけるために力を尽くしたものの…(「「たまきはるいのち」を奪うものへの抵抗(その3 身辺雑記より) - ピョートル4世の<孫の手>雑評」)。ようやくここまできて、私は自分が力を付け、それを人のために使うことを多少覚えた(それでも、街中で救急車の音を聴くとドキリとしあるいはボンヤリとし、倒れた人を助けに駆けつけるのすら躊躇してしまう、気弱な私がいるわけだが)。
◇同僚の一周忌が近づく中、私はこの曲の本質から目を背けていたような気がする。―そうしたことを思い出して、私はようやく書けなかった1年前の感想を書いて、20年来の私の思いを整理することになった。
◇なお、演奏会当日は、映画『馬虻』の音楽(第11回、2004年に組曲で取り上げられた)から夜想曲がアンコールとして演奏された。こちらは、悩ましげだが実に美しい歌が独走チェロによって歌われて、難曲に迷っていた人も含めその美しさに浸ることができたはずである。

交響曲第6番ロ短調Op54(1939)

◇さすがにこの曲の詳細まで語る力が残っていない。ダスビとしては第6回(1999年。早くもヴァイオリン協奏曲第2番が取り上げられた回だったが、私は欠席)以来の再演。
◇この曲の第1楽章の重々しさ(やはりラルゴの緩徐楽章である)は昔から好きだったが、演奏によっては中途半端に感じることもあり、案外難しい曲だと思っている(ちなみに、ウィキペディアの記述によると、第12番の原型とも言われるらしい「交響曲第6番 (ショスタコーヴィチ) - Wikipedia」)。今回の演奏では、全曲を通して、クラリネットの装飾的な音型が目立って美しかったのが心に残る。
◇第1楽章では、弦楽の細かいトレモロ交響曲第11番の「宮廷前広場」を思わせるレベルの緊張感を孕んでいたのが、ダスビらしく好ましい。第2楽章は、次第に加速して気持ちよく爆裂し(これもしかし『ボリス・ゴドゥノフ』のリトアニアの城の舞踏の場面を思い出させる宇宙的な広がりを持つ音楽だ。って何でもムソルグスキーに聞こえてしまう…)、第3楽章は、リズム遊びかと思われるくらいの舞踏的楽章で盛り上がる。ピッコロやフルートの「駆け回り」が実に見事に決まっていたと記憶している。凡庸な感想だが、快演であった(第6回もCDで聴くと相当良い演奏をしているので、また聴き比べてみるといいかもしれない…)。
◇景気よく盛り上がったところで、アンコールは、『モスクワ・チェリョームシキ』〜「モスクワをドライブ」(2000年以来のトリフォニーだったから?懐かしい)、映画『コルジンキナの冒険』の音楽より「追跡」、白川団長編により第11回アンコールで(2回繰り返して!)披露されていたもの。これが、目が回ること遊園地みたいな実に楽しい曲に仕上がっているのである。今回も繰り返して(掛け声かけましたよ)、ここまでズンチャカなフィナーレになるとは思わなかった〜、という締めくくりで昨年のダスビの祝典は終わったのであった。ダスビダーニャ! ぜひ20日の第18回に参集されんことを!!
【1年前の感想のリンク集、でございます】
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