書評『概説日本思想史』

◇以前も取り上げたことがあるが、Amazonに投稿した『概説日本思想史』*1のレビューをこちらにも載せておく。字数などの関係で省略したところも補足した。

日本思想史学の水準を示す、待ち望まれた概説書

◇日本思想史学の水準を示す分担執筆の概説書としては、およそ25年ぶりのものになるだろうか。現在の出版状況の中でこうした良書が刊行されたことをまず喜びたい。執筆者は、日本思想史学の分野で近年最も着実にアカデミックな蓄積を続けてきた、東北大学大学院の出身者を中心とするメンバーである。古代・中世・近世・近現代の思想史を、各時代の概説とそれぞれのテーマを持った25章、それに関連するコラムで論述している。
◇内容の充実度も期待を裏切らない。現在までの手にできる日本思想史の概説書としてこれ以上のものはないだろう。全体として、記述は政治史・社会史・文学史・美術史にも目を配りながら最近の研究成果を取り込んだ意欲的なものであり、学術的に中正な、王道を行く概説書と言える。しばしば個人的な思い込みが先行しがちな「日本」「思想」の分野であるが、それを解体しようとする批評理論とも距離をおきつつ、過去の知的営みへの敬意を持ちながら、良質なアカデミズムに基づいて研究しようとする姿勢が好ましい。その思いは、編集委員代表の佐藤弘夫氏の「あとがき」に熱く語られている。
◇歴史事項はかなり詳細に書き込まれているが、文章は平易・明快で通読するのも苦ではない。むしろ随所に新しい発見があり一気に読めてしまうかもしれない。特に挙げるなら、福島県の一国学者本居宣長の往復書簡を軸にして、近世の思想状況の一面を描いた、第16章「国学神道」が魅力的だ。
◇確かに、概念史的な部分はまだ弱く、全体を貫くようなテーマは見えづらいかもしれない。また、近世で崎門学派を独立して取り上げていないのは欠点と言えるが、それが全体の評価を損なうものとは到底考えられない。こうした一部の欠陥などから悪意を読み取り、「党派的産物」と断ずるのは、それを書いた側の悪意と党派性を露呈していて痛ましい。それをフォローしたコメントの中にさえ遠慮してか、「左翼的傾向のある方々」と留保しているが、本来は「右翼的傾向がない」と書くべきところである。発刊後まもなく、こうした偏った記述が放置されてきたことは、個人的には日本思想史学に多少なりとも関わりを持った人間にとって痛恨事であったとさえ思っている。
ぺりかん社 『日本思想史辞典』*2と並ぶこの分野の基本図書であり、日本思想史に興味を持つ人だけではなく、少しでもアカデミックな学問に関わりを持つ人には必読の書であり、今後現代の教養の水準を示す1冊になるだろう。
◇また、ちょうど、先日発売の『中央公論』1月号には、「特集 日本史を学び直すための130冊」の中に、日本政治思想史の気鋭、苅部直(かるべただし)氏*3の「思想していた日本人」というブックガイドが出ている。そこでは雑誌記事としての性質もあり、「自分で原典を読み、その言葉の律動をじかに感じること」を勧め、「概説書にとびつく」ことは戒められている。もちろんこの論旨には賛成だが、せっかく出たものが知られない状態は惜しいし、特に若い読者には原典に取り掛かるためにも最低限の背景知は必要だろうから(今時流行らない考え方かもしれないが)こうした基本書の重要性を言ってもいいだろう。まさか東北大閥だからとか、日本政治思想史と違うからということでダメというわけもないだろうから、私からは強力に(単に教科書としてではなく、共有できる知的基盤として)この概説書を推しておく。

*1:概説 日本思想史

*2:日本思想史辞典

*3:『丸山眞男−リベラリストの肖像』の著者。『光の領国 和辻哲郎』で知られた俊才。宴席で1度だけお見かけしたことがあるが、見た目から知的そうな方だった。