第16回オーケストラ・ダスビダーニャ定期演奏会の感想

◇2/15(日)に、恒例のダスビ定期演奏会に参加(池袋・東京芸術劇場)。もちろん私はもっぱら聴く方ながら、本当に年に1度のお祭りに「参加する」という気分になっている。そんな立場からできることといえば、客席で「音楽」を満喫し、それとともに何だか暖かい気持ちを持ち帰って、こうして例年同様に感想を書き連ねるということか、となるわけなのである。
◇以下「前置き」が大変長くなっているので、結論だけ先に書くと、今年も得るところの多い、とても充実した演奏会だった。演奏上いくらか問題はあったにしても、また来年も必ず参加したいと思わせるものだった。当日の感想だけ読みたい方は、お手数ながら、ずずっと下にスクロールしていただきたい。

すこぶる長い前置き(「森の歌」と第10番の背景)

◇さて、今年のプログラムは、オラトリオ「森の歌」交響曲第10番という大作が2つ並ぶ豪華版。といっても、単に派手な曲を並べているわけではなく、そこにはショスタコーヴィチ専門オケらしい選曲の妙がある。簡単に言えば、第2次世界大戦の後に、スターリン讃美の絶唱で終わらざるをえなかった壮大なオラトリオと、スターリン没後に復活のシグナルを発する謎かけ交響曲の組み合わせである。しかし、さらにそれは過去の定期演奏会で取り上げられてきたショスタコーヴィチの諸作品とも密接に結びついている。
(ダスビの1993年以来の演奏曲目は「オーケストラ・ダスビダーニャ」で。
当ブログでは過去に以下の感想を書いた。
オーケストラ・ダスビダーニャ第13回定期演奏会の感想 - ピョートル4世の<孫の手>雑評
オーケストラ・ダスビダーニャ第14回定期演奏会の感想 - ピョートル4世の<孫の手>雑評
第15回オーケストラ・ダスビダーニャ定期演奏会の感想 - ピョートル4世の<孫の手>雑評」)
◇その意味を知るには、ダスバーないしショスタキストの皆様には周知の事ながら、「孫の手」を称するブログとしては少々(といいながら長大化するが)ウンチクを展開しておかなくてはならない。
ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ(1906−75)(その生涯全般については、「ドミートリイ・ショスタコーヴィチ - Wikipedia」など参照)は、1920年代の若きソヴィエトに、実に豊かな才能に恵まれた若きモダニズムの作曲家として登場する(そのころの代表作は、交響曲第1番へ短調Op10(1923)や歌劇『鼻』Op15(1927))。実験的な文化が咲き誇った「ソヴィエト・ルネサンス」の花形だったといっていいだろう。しかし、この時代は同時に、1924年レーニンの没後、スターリンが激しい党内抗争の末にトロツキーら反対派を一掃して独裁を確立していく時代でもあった。
◇ちょうど(最近の金融危機で注目されている)1929年からの世界恐慌が始まるころ、ソヴィエト連邦は計画経済であり、また、資本主義国との貿易も少なかったため、経済的にはその影響を受けなかったといわれている。ところが、当時のソ連を文化的に見れば、スターリン全体主義の始まりとともに、激しい文化革命の嵐が吹き荒れて、実験的なモダニズム芸術は圧殺され、政治的に認められたプロレタリア文化(「社会主義リアリズム」的な芸術)だけが存在を許される、といった暗い(=強制的な明るさの)時代に一変する。
スヴェトラーノフ交響曲全集で話題になったミャスコフスキーも晩年にそうした時代状況の中で苦しんだわけである。それについては直接触れていないが、「スヴェトラーノフミャスコフスキー交響曲全集を10倍楽しむ方法?2008-06-16 - ピョートル4世の<孫の手>雑評」も参照していただきたい。)
◇そんな時代に、ショスタコーヴィチは、1934年初演の衝撃的な問題作、歌劇『ムツェンスクのマクベス夫人』Op29(1930−32)を発表した後、1936年にソ連共産党中央委員会機関紙の『プラウダ』社説「音楽の代わりに荒唐無稽」などにより、「人民の敵」と名指しされる(いわゆる「プラウダ批判」(「プラウダ批判 - Wikipedia」を参照)。
◇当時は、スターリンによって「反革命」の罪を着せられたものは、秘密警察によって逮捕され、銃殺ないし強制収容所送りとなる、といったような陰惨な粛清が行なわれた時代であり、一般党員で追放された者だけで85万人に上ったと推測されるという。ショスタコーヴィチが劇場音楽を提供した(『南京虫』Op19(1929))、現代演劇の最高峰とされるメイエルホリドも1940年に粛清された(「フセヴォロド・メイエルホリド - Wikipedia」。この記事中に、当時の粛清の具体的な記述を見ることができる。)。
◇ここでショスタコーヴィチは、いわば一度死んだ。前衛的大作である交響曲第4番ハ短調Op43(1935−36)をお蔵入りにして(初演は作曲後25年経った1961年)、「強制された歓喜」を伴った渾身の傑作、交響曲第5番ニ短調Op47(1937)で極限状態から復活を遂げる。そして、第2次世界大戦の独ソ戦(「大祖国戦争」)が始まり、ドイツ軍包囲下で餓死者が出るレニングラード交響曲第7番ハ長調Op60(1941)の作曲を進めた。完成したその曲は人々を大いに鼓舞する壮麗で力強いもので、ファシズムへの勝利を呼びかける音楽としてアメリカでも全国に放送された。
◇この不幸な戦争の時代が、皮肉なことにショスタコーヴィチの音楽に自由な表現を許し、続く交響曲第8番ハ短調Op65(1943)は暗く、思索的な曲として書かれた。さらに、対ドイツ戦勝後の1945年、壮大な戦勝記念曲としての「第9」を期待するソ連指導部に対して、実に軽快なディヴェルティメント風の交響曲第9番変ホ長調Op70(1945)を捧げて小バカにするという壮挙を決行した。
◇しかし、1946年には再び反体制的な文学者への政治的攻撃が行なわれ、1948年には、ソ連の名だたる作曲家たち(ミャスコフスキープロコフィエフハチャトゥリアンなど)への「ジダーノフ批判」が行なわれる。この作曲家への攻撃も要するに真の標的はショスタコーヴィチだとも言われる(「ジダーノフ批判 - Wikipedia」参照)。
◇この第2批判に際して、ショスタコーヴィチはより慎重に攻撃に対処せざるをえなかった。この後、スターリンが死んで「雪解け」が始まるまで、体制への「迎合(的な要素)」をあからさまに示した作品か、映画音楽か、私的な性格の強い作品としての弦楽四重奏曲といった作品しか発表しなかった。深刻な内容を持つ大曲としてのヴァイオリン協奏曲第1番イ短調Op77(1947−48)や歌曲集『ユダヤの民族詩より』Op79(1948)は、これまたスターリン没後の1955年の初演までお蔵入りとなる。
◇ここで、ようやくお題のオラトリオ「森の歌」Op81(1949)に到達する。曲の内容としては、前年に発表された、スターリン政権下の植林や発電所・運河建設などの自然改造計画を背景に、木々の美しさと新国土建設への希望を歌い上げた、全7楽章の祝典声楽曲である。
◇ここで、ショスタコーヴィチは、曲の中心部分である第5楽章と第7楽章のクライマックスで、その本意に反して明示的にスターリンを賛美した歌詞に作曲せざるをえなかった。そのため、初演の夜にホテルに戻ったショスタコーヴィチは、ウォッカをあおり枕に顔を埋めて咽び泣いたという(今回のパンフレット解説に引用されたウストヴォリスカヤによる証言)。
◇ともあれ、こうして再びショスタコーヴィチは公的に名誉を回復して、全体主義体制下で生存することができた。そして、時は来た。1953年3月5日に、スターリンが死んだ。たまたま同じ日に、プロコフィエフが死んだ。ショスタコーヴィチスターリンの葬列には加わらず、プロコフィエフの棺を担いだ。
◇その夏から、ショスタコーヴィチは例の第9番から8年振りに交響曲の作曲に取りかかり、早くも同年12月17日にムラヴィンスキーの指揮で初演された。それが、交響曲第10番ホ短調Op93(1953)である。この曲については、自分自身の名前の綴りを音型化したDSCH(レ・ミ・ド・シ)が初めて明示的に現れるなど、いくつかの「暗号」が知られており、いわば「謎かけ交響曲」である。その謎については音楽学的な議論も重ねられている。
(「交響曲第10番 (ショスタコーヴィチ) - Wikipedia」や、吉松隆氏の「ショスタコーヴィチ/交響曲第10番に仕掛けられた暗号: 月刊クラシック音楽探偵事務所」を参照。また、手に入りにくくなってしまったが、上述の時代背景やショスタコーヴィチにまつわる事実関係も含めて春秋社の『ショスタコーヴィチ大研究』(1994刊)はとても参考になった。特に、森田稔・梅津紀雄・吉松隆・一柳富美子各氏の論考は、交響曲第10番についても触れるところが多い。)
◇そのいくつかは感想の中で触れるが、私にとってもこの交響曲第10番は、最近までなかなか全体像をつかみにくい曲だった。しかし、今回のダスビの予習でいくつかの演奏を聴いた結果、この曲のイメージないしメッセージの輪郭はだいたい定まったように思う。それにより、私が特に思い入れてきた、ショスタコーヴィチの「後期」の問題作交響曲群(第11・12・13・14番)のいわば序奏にあたるのが、この第10番だということが理解できたように思う(仮に「後期」とした作品の内容の一端については、例えば昨年のダスビ定期のメインプログラムであった交響曲第11番について「ショスタコーヴィチ交響曲第11番8種聞き比べ(ダスビ感想外伝)2008-03-05 - ピョートル4世の<孫の手>雑評」で書いた)。

ようやく当日の感想(まだ開演前)

◇さて、感想である。当日は開場13:00に合わせて池袋芸術劇場大ホール前に到着。ところが、開場は12分ほど遅れた。リハーサルが長引いたという。「森の歌」が大人数なせいかと想像した(実際、舞台に上がるだけで数分かかる人数だった)が、ひげぺんぎんさんが「ダスビ演奏会(2/15): ひげぺんぎん不定期便」で書かれているところから推測すると、オケと合唱が一緒になるリハーサルそのものが大変だったようだ(なお、ひげぺんぎんさんは、毎年、冷静に演奏者側からの感想を書いていただけるので、私のような悪ノリが過ぎる人間にはとてもありがたい)。
◇開演前は、例によって前年定期演奏会のCDをいつもの売り場のいつものお兄さんから購入し(こちら「オーケストラ・ダスビダーニャ第15回定期演奏会CD - m23 logbook」にあるように、本当に年1回しか買えないのだ)、早速手持ちのCDプレーヤーで試聴する(←やや病的か)。フィナーレが圧倒的だった昨年の第11番をこれでまた聴ける。ということで、開演前からテンションが高くなる。
◇席を確認する。隣の席にはすでに年配のおじさんが座っている。そういえば…、通路ですれ違う人も例年と違って、かなり年を召された男女が目立つような…。これはやはり「森の歌」効果なのか? 演奏会チラシでも紹介されていたが、1950年代の日本には「うたごえ運動」「うたごえ喫茶ブーム」なるものがあって、その筋では、このオラトリオ「森の歌」は超有名曲、というかその時代を象徴する作品の1つなのである。
◇この定期の前に、知り合いの声楽家に「今度、『森の歌』を聴きに行くんですよ」と言ったら、怪訝な顔をされてしまったが(ソロソプラノの人だからというのもあるかもしれない)、この曲は、1953年6月14日に京都のアマ合唱・オケにより日本初演されて以来、わずか2年半の間に大阪・岡山・神戸・横浜・愛媛などで30回以上の公演が行われ、東京では1955年10月15〜17日の芥川也寸志指揮・東京交響楽団の両国国際スタジアムでの4公演で、のべ4万人近くの聴衆を動員したという(1955年刊芥川監修・東京勤労者音楽協議会編の『森の歌』による演奏会パンフの詳しい解説から)。
◇多数を占めていたかどうかはともかく、例年より聴衆の平均年齢は確実に高かったのではないだろうか。そうした時代を知った方々がこうして会場を訪れているかもしれない、と思っただけで50数年前の熱気が分かったような気になる。
◇…などと思いつつ、席に陣取って、「森の歌」の改訂前歌詞の全訳(改訂箇所も下線で示されている。親切!)や、交響曲第10番の団長による解説などを読む。しかし、開演までにすべてを読みきれないほど充実のパンフレットであった。
◇開演が近づき、公募合唱団「コール・ダスビダーニャ」から舞台に上がる。1列、2列、3列…まだ出てくる。パンフレットの名簿で数えると実に96名! さらにその前列に、すみだ少年少女合唱団69名が並び、そしてオーケストラ・ダスビダーニャが並ぶ。そして、テノールソロはダスビ初登場の小貫岩夫氏、バスソロは交響曲第13番とステンカ・ラージンの処刑でも共演した岸本力氏。マエストロはいつ変わらぬ長田雅人(おさだ・まさひと)氏である。

オラトリオ「森の歌」Op81(改訂前の歌詞による)(本題その1)

◇ゆったりとした調べで、第1曲「戦争が終わったとき」が始まる。が、しかしここでのっけから音が響いてこない。私の席が2回右翼の最前列近くだったので、ソロの岸本氏からはほとんど横になってしまっていたせいもあったかもしれない(ただし、今回の岸本氏には、98年、01年の共演で聴かれた、のびやかさというか、ふくよかさというか、独特の気品ある声が聴けなかったのは残念だった)。また、曲としてあまりオーケストラが前に出るものでもないこともあるだろう(先のひげぺんぎんさんの指摘にもあった)。ただ、昨年の交響曲第9番でも、第1楽章は聴衆とオケがかみ合っていないような感じはあった。難しいものだ。
◇しかし、第2曲「祖国に森を着せよう」のきびきびしたスケルツォですぐにペースに乗って、実に息のあった演奏を聴かせる。次の第3曲だったかもしれないが、コンドラバスのピツィカートがバシッと一撃強く鳴っただけで、その表現の厳格さにドキッとする。第3曲に入る前に再び間を置いて、入場者の着席を待つ。その後の第3〜5曲が一気に続けて演奏されて、中盤の山場を築いていたのは実に見事だった。
第3曲「過ぎし日の追憶」では、ずっしりと重厚なオケ伴奏の中で、先の大祖国戦争の惨禍が歌われる。一昨年の映画音楽「ピロゴフ」第1曲でもそうだったが、引き締まった戦争描写の緊迫感はダスビならではのもの。
◇そして、第3曲の暗さがまだ続く中から、突然おもちゃのラッパの音(楽器は普通にトランペット)が響いて、第4曲「ピオネールたちは樹を植える」を児童合唱が歌う(余談だが、こうした深刻さとかわいさの重層は、例えばチャイコフスキーのコンサート幻想曲Op56の第2楽章「コントラスト」に見られるように、ロシア人作曲家の得意とするところ)。
◇そして、その勢いに続きながら、再び荒々しい緊迫感を加えた第5曲「スターリングラード市民は前進する」へ突入する。ここの歌詞は、「(大祖国戦争の激戦地の1つであった)スターリングラードの市民たちが、青年部隊を先頭に共産主義の栄誉を背負って、スターリンの号令のもと、自然改造計画に邁進する!」といったような内容だが、今回のダスビの演奏では、「荒々しい緊迫感」と「苛立ち」を表現に加えていた。これは即座に、交響曲第10番第2楽章を連想させる。そのことによって、このベタな全体主義讃美の歌詞の意味を逆転させ、むしろ「正義を掲げることの暴力性」を描き出すことに成功していた。
(なお、当然ながら「森の歌」もその明確なスターリン賛美の歌詞、明るい曲調にかかわらず、ショスタコーヴィチらしさが発揮されているという見解もある。「ショスタコーヴィチ「森の歌」を深読みする: 月刊クラシック音楽探偵事務所」で、吉松隆氏の「クロームィの森の歌」説(森の歌のフィナーレは、ムソルグスキーの歌劇『ボリス・ゴドゥノフ』の終幕「クロームィの森」の場面を連想させ、ロシアの未来を憂える含意がある、という説)が読める。なお、音楽的には、交響曲第11番こそ「ボリス・ゴドゥノフ交響曲」と言いたいぐらい内容であることは、前述の記事で書いた。)
◇この第5曲の辺り、1991年のアシュケナージ指揮盤などでは、完全に間延びした祝典曲になってしまっている(まるでこれから楽しいピクニックに出かけるかのようだ!)。一方、スヴェトラーノフの1978年ライブ盤では、御大独特の凶暴なノリが出ていて、少しダスビの解釈に近い。今回の演奏は、長田&ダスビならではの見事な解釈により、この曲の中盤のドラマ性を完成させていたといってよいだろう。
◇続く第6楽章「未来の逍遥」では、第11番フィナーレでも活躍したイングリシュ・ホルンの響きに導かれ、小貫氏のテノールの美声と合唱の美しさが際立つ。そして、第7楽章「讃歌」。前半のフーガの際、トランペット6・トロンボーン6の別働隊がオルガン前バルコニーに登場、ちょっとその威容に気を取られてしまったが、合唱の力感も素晴らしい。そして後半、舞台からのオーケストラと合唱、そして頭上からの別働隊も加わっての圧倒的な音圧。これはライブならではの効果である(ライブを聴いた後だとスヴェトラーノフ盤の凄さも実感できるが)。
◇この曲の歌詞は、ドルマトーフスキー*1が、ショスタコーヴィチと話し合いながら作詞したもののようである。なお、フルシチョフによる第2次スターリン批判(1961)(「スターリン批判 - Wikipedia」参照。この辺りに詳しい方求む)後の1962年に、スターリン讃美部分が改訂され、削除されている。それに対して、ショスタコーヴィチは「名誉の奴隷となった詩人は、時代精神に合わせてテキストを修正した」と皮肉った(パンフレット解説による)そうだが、それ以後の演奏はほとんどが改訂歌詞によって行なわれた(日本のうたごえ系の翻訳は、さらにレーニンの名前すら出てこない政治色を薄めたもののようだったが)。
◇以前、何かの録音でクライマックスの改訂前歌詞「知恵深きスターリンに 栄えあれ!」のスターリン !!」絶唱にさすがにゲンナリきたような気がするのだが(交響曲第2番の「レーニン!」と記憶が混同しているかもしれない。)、今回のクライマックスは全くそんなことを考える余裕がなかった(単に大音響で歌詞が聴こえなかった?)。ともあれ凄かった。また、「ブラヴォー」を叫ぶ。
◇この曲は、ミャスコフスキーによって「きわめて簡潔だが、斬新で躍動的。オーケストラは言うまでもなく、声楽曲として魅力的である」と評された(これもパンフ解説より)そうだが、今回の演奏は曲の真価を明らかにするものだったといえるだろう。私の場合、交響曲第7番も、第8番も、第15番もダスビの演奏に接して初めてその真価を知ったわけだが、「森の歌」もそうしたレパートリーの1つに加わったわけである(この1週間、アシュケナージ盤を聴くこと1回半、スヴェトラーノフ盤を聴くこと2回半とかや)。ありがとう、ダスビダーニャ。

交響曲第10番ホ短調Op93(本題その2)

◇さて、前半で十分盛り上がったので、後半の方は、私は割合落ち着いて聴いた。というのも、第10番はやはり最終的には楽天的な曲で、私にとっては、第7・8・11・15番などと比べると、スケールの大きな感情移入を引き起こすことは少ないようにも思えるから(しかし、この感想を書いていたら、特にフィナーレ後半について、深読みが進んだので、来年CDで聴き直したら感想が変わるかもしれない)。
◇なお、私は第3回定期のダスビ初演は聴いていないが、マエストロ長田氏の第10番は、1997年に東京楽友協会交響楽団の第63回定期演奏会で聴いている(こちら「http://cgi.www5a.biglobe.ne.jp/~gakuyu/search/search.cgi」に記録あり。今思い返しても、この時のリャードフは実に美しかった)。
◇冒頭、低弦のドレミシからひそやかに始まる第1楽章(Moderato)は、長大で暗い。スターリン時代の重苦しさを描いたものと考えてよいのだろう。一方で、木管で歌われる第2主題は、ユダヤ的な同音反復メロディーで少々神秘的な雰囲気を持っている。吉松隆氏が言うように、このユダヤ性がフリーメイソンまで関連付けられるのかどうかはわからないが、この曲の「謎めいた雰囲気」を強めているのは間違いない。
◇演奏としては、ようやくオーケストラ本体が本領を発揮し、余裕と風格さえ感じさせた。特に、展開部の巨大さが収まった後の密やかな楽想を、ヴァイオリンが中心となって実に美しく表現していたのが印象深かった。ダスビの弦楽は、この数年の再演シリーズに入って完成度がグッと上がっていたが、今回はより技術的に安定感を増したように思えた。
◇さて、第2楽章(Allegro)は、もはやダスビのおハコと言っていいだろう。超高速の進行の中で、小太鼓は見えないほどの小さな動きでリズムを刻み続ける。そして、中間部に「スターリン様のお出ましだぁ〜」といった感じの楽想が現われ(偽書ショスタコーヴィチの証言』では、この楽章が「スターリンの音楽的肖像」とされているのは有名。原義からは外れるが、なぜか「デウス・エクス・マキナ」(「デウス・エクス・マキナ - Wikipedia」参照。)といった言葉を連想する。)、再度超高速となり、一陣の暴風のように吹き抜ける。ダスビでは、1999年の第6回定期のアンコールでも取り上げられていて、CDを聴きなおしたところ、基本線(特に小太鼓)は変わっていないが、より弦や金管のアンサンブルの精度が増した感じである。
◇かつての荒んだ青年期(笑)には最初に買ったザンデルリンク盤でこの楽章だけを幾度となく繰り返し聴いたものだ(今聴きなおしたところ、ものすごーくゆっくりしたテンポに聴こえる…)。この音楽による「苛立ち」の表現は、思い返すとチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴(パテティチェスカヤ)」の第3楽章の「怒りをのタランテラ」の系譜を引くのかもしれない。しかし、一方で、今回もこの楽章がアンコール演奏されたが、第11番の具体的な暴虐描写とは異なり、人間の持つ力強さ・推進力を肯定的に描いているようにも聴こえるところ(これもパテティチェスカヤに似ている)がこの楽章の面白いところである。
◇さて、第3楽章(Allegretto)は一転して、「愛のワルツ」と言っていいような音楽となる。妙にアヤシゲな気分で盛り上がる舞踏会。ここで初めてはっきりと木管に「レ・ミ・ド・シ」の音型が登場する。そして、しばらくこの雰囲気が展開された後に、おもむろにホルンが特徴的な音型を奏で、そこから急にこの交響曲の中で、最も素直な愛に満ちた、しかし密やかな短い音楽が続く。
◇このホルンのシグナルは、ショスタコーヴィチがエリミーラ・ナジーロワというアゼルバイジャン出身の作曲家・ピアニストに手紙を書き送り、彼女の「エリミーラ」という名前を音型化した(ミ・ラ・ミ・レ・ラ)密かな愛のシグナルであると同時に、マーラー交響曲大地の歌』の冒頭のホルンの引用であること、が明かされている。
◇今回の演奏では、この「ミ・ラ・ミ・レ・ラ」を、一音一音を長く、しっかりと区切って、よりシグナルであることを明確にして演奏していた。今回の定期向けの予習で、ショスタコーヴィチと弟子分の作曲家ワインベルクとの連弾による第10番の1954年録音を聴いた際に、この音型がそれまでのワルツを打ち切るかのように一音一音非常に長く演奏されていたのに驚いていたので、さすが長田&ダスビ!と感激ひとしお(オケ演奏では、なかなか長く引っ張ることはないのではないか。私は楽器については無知だが、おそらくホルンの演奏上の限界があるのだろう。例えば、チャイコフスキー交響曲第2番冒頭のホルン主題は、私の頭の中ではよくある演奏の2倍くらい引っ張って鳴っているのだが、そうした演奏・録音には今のところめぐり合わない)。
◇そして、曲は再び大きく盛り上がり、「レ・ミ・ド・シ、レ・ミ・ド・シ」をしつこいくらい繰り返し、「エリミーラ」を連呼し、最後はひっそりと幻想的な(ベルリオーズ幻想交響曲的な?)舞踏会は幕を閉じる。ここでヴァイオリンのソロが入るが、ここでコンミスさんのソロが極美! ついにダスビ弦楽がここまで来た!という感慨に浸る。
◇そして、第4楽章(Andante-Allegro)のフィナーレ。この楽章をどう捉えるかによって、この曲の理解が全く変わってきてしまうわけである。吉松氏の「どこか空虚な空騒ぎ」という位置づけは物足りないが、かといってベタな歓喜とも思われない。ダスビ団長氏もこの点迷いがあったようで、第5番フィナーレのような「強制された歓喜」なのか「バカ騒ぎ」なのか「苦悩・闘争のカタストロフィ」なのか、と考えを巡らせて、「私にとっては今のところ歓喜の音楽だ」と暫定的に結論している。そのせいか演奏上も若干の迷いか?という場面があった(失礼)。
◇しかし、私は今回の演奏会の予習で、上記の自演連弾録音とスタンダードな全集からロジェストヴェンスキー盤とロストロポーヴィチ盤を聴いていたので、自分なりの解釈はあった。それでいけば、やはりこのフィナーレは英雄の誕生(復活)であり、ユーモアの勝利であり、第9番をやり直した「歓喜の歌」であると考えられる。
◇序奏部分では、第1楽章をなぞるように「時代の暗さ」とユダヤ的なメロディーが登場する。そして、クラリネットとフルートに勝利へのシグナルが現れる。この辺りは、交響曲第7番の「人間性の勝利」のフィナーレと似ている。
◇そして、アレグロに加速して、陽気なギャロップに突入(ここでオーボエ氏が手でリズムを取って踊る!)。次第に力感を増して「バカ騒ぎ」風になり(こういう猥雑さもロシアの魅力だ。ロシアのアジア性といってもいいかもしれない)、再度第7番に似たシグナルで緊迫感が高まったところに、突如第2楽章の暴風が再現! しかし、それは一瞬だけで、すぐに巨大な「レー・ミー・ドー・シー!!」に打ち破られる。(R.シュトラウス的に)「英雄」の誕生だ!
◇その後、「時代の暗さ」とユダヤ的な音型が回想され、DSCHが新たな歩みを始める。第9番のフィナーレと同様にファゴットソロが新しい歌を呼びかけて、陽気なギャロップが再現し、DSCHは軽やかに踊る。「そうだ、私は生き延びた! ここにいる! ここにいるぞ! 長く苦しんだ末の勝利だ!」と叫んでいるように、私には聴こえる。
◇ここで、はっきりと声を上げたショスタコーヴィチは、この後、一方ではあからさまに体制迎合的な要素を盛り込んだ作品を躊躇なく作曲しつつ、よりムソルグスキーなどのロシア的伝統に傾倒し、ソヴィエト体制の代表的作曲家として生きながら体制を心底から批判しかつ表現するという、音楽の二重言語を獲得する。
◇そのような表現は、例えば交響曲第13番変ロ短調Op113(1961−62)のような歌詞と音楽が高度に一致した作品ではもはやあからさまな批判となるが、その第2楽章「ユーモア」や、続く詩曲「ステンカ・ラージンの処刑」Op119(1964)で描かれた、首を落とされても嘲笑し続ける反逆者ステンカのような「英雄」がここで誕生したといえるのではないだろうか。
◇ということで、すっきりとフィナーレが終わり、また「ブラヴォ」を投げかける。出口には「満員御礼」の垂れ幕がかかり(東京芸術劇場大ホールの定員は2,000名ちょっと)、こうして、1996年の第3回定期における、聴衆500人に満たなかったという第10番ダスビ初演の雪辱が果たされたのであった。それではまた、ダスビダーニャ。
◇最後になるが、演奏会当日とその前後のショスタコ資料読みや偏って騒々しいBGM(交響詩「10月」など)やこの感想文打込の最中、子どもの世話に明け暮れた家人の忍耐強さに、私事ながら感謝する。バリショーイェ・スパスィーバ。
【2/23追記】
◇2/21はかろうじてアップできたものの、ネットワーク混雑で更新が全くできず、体裁がグズグズなままになってしまった。ようやく修正。
◇例によって後発のため、他の方の記事を追いかけておく。
(演奏者)
ダスビ演奏会(2/15): ひげぺんぎん不定期便
芸劇に緑を着せよう!ダスビダーニャ第16回定期演奏会1.・・漸くUP : お局は愛されるより恐れられろ
ダスビダーニャ第16回定期演奏会2 本番(長文です・・) : お局は愛されるより恐れられろ」(合唱ひな壇から見た長田氏の姿が! 迎撃いや芸劇の満席は1,999人で、公式入場者1,777名だったとのこと。)
(聴衆)
仮面の作曲家 | フランチャイズビジネス専門 川本法務事務所の業務記録」(さすが私の言いたいことを簡潔に書かれておられる。)
BizPal - eijyoBizPal - eijyo(ダスビで森の歌と10番:eijyo)」
オーケストラ・ダスビダーニャ定期 「ショスタコーヴィチ:交響曲第10番」他 長田雅人 - はろるど
タコオケの10番 | くらしっく日記2 - 楽天ブログ
オーケストラ・ダスビダーニャ第16回定期演奏会 とんぼさんの音楽ざんまい〜音楽をも…っと広…く!/ウェブリブログ
http://dnaga-ars-happy.at.webry.info/200902/article_6.html
究極の娯楽 -古典音楽の毒と薬-
トノの音楽そぞろある記(森の歌@東京芸術|トノの音楽そぞろある記)」
あきれた奴らだ!オーケストラ・ダスビダーニャでハラショー! - 佐藤景一の「もてない音楽」」(褒めてますよね?)

*1:この詩人については、不勉強で全然どんな人だかわからないが、ショスタコーヴィチは、E.ドルマトーフスキーの詩による4つの歌曲Op86(1950)、同5つのロマンスOp98(1954)、男声合唱のための8つのバラード「忠誠」Op136(1970)などを作曲している。これらの曲もほとんど聴いたことがない。そのうち、「5つのロマンス」から3曲が、2年前に岸本氏によって取り上げられていたようである。「うさぎ ま・み・れ:生誕100年 ショスタコーヴィチの歌曲 - livedoor Blog(ブログ)」を参照。