「なぜテロは起こるのか」(若いイスラム教徒の現状認識の問題として)

◇ロンドン同時爆破テロを受けての日本の印刷媒体などの論調を見るに、初発から冷静な受け止め方が目立った(対岸の火事?)が、ここに来て「なぜテロは起こるのか」という根本問題への言及をいくつか見かける。

昨日の『R25フロント・ページ
「テロの背景にあるのはなにも(アメリカなどへの)報復だけではなく、実は出口のない貧困や社会の腐敗だと言われる」 
福田和也「闘う時評」(昨日の『週刊新潮』)
ユダヤ人ジャーナリストが描いた、パレスチナの絶望状況(自爆テロだけではなく、そもそも若者は絶望し自殺も多いという)を紹介。
19日『毎日新聞』夕刊−随時掲載欄「現場発」記事
パレスチナ人テロリストの「自爆失敗、そして号泣」の場面を1面トップで取り上げた。パレスチナではこの21歳女性が「抵抗のヒロイン」扱いされる一方、その実像は全身やけど事故をきっかけに人生の歯車を狂わせた1人の女性だったとその姿を描いている。
山内昌之「テロへの衝動と『戦略性』」(昨日『毎日新聞』夕刊)
抑制され、バランスをとった書き方ながら、ヨーロッパ内の若いムスリムが持つ「パレスチナイラクなどの情勢で感じる屈辱、大局観と総合力を欠いた狭い知識のあり方、極端な宗教観に由来する虚勢と結びついた怒りや怨恨の感情」「日本が中国や韓国との間で経験している植民地支配に関わる『歴史認識』の総括と反省を求めるような複雑な屈折感」に言及(「移民送り出し国の政府」「イスラム指導者」の責任にも言及。記事全体はやや態度が曖昧だが)。

◇時間を遡ると、イスラム社会の「言論」の閉塞現状に触れた著作として、池内恵現代アラブの社会思想 終末論とイスラーム主義*1に極めて具体的な記述がある。先日紹介した、ハニフ・クレイシ『わが息子狂信者』でも、パキスタン系イギリス人社会の様相の一端が分かる*2。また、季刊歴史・文学・思想誌『大航海』№54(05.3)特集「テロの本質」では、松本健一氏が日本の「テロに寛容だった精神風土」を「天誅」まで遡って紹介しながら、アメリカの論理(自由と民主主義)も分かり、自爆テロの論理も分かる日本の独自性からする問題理解を示すべき、と述べている(佐伯啓思大澤真幸対談もあり、やはり近い論旨)。
◇「歴史・現状認識」への絶望、「言論」の閉塞といえば他人事とも思えないが、まだ恵まれた自分の状況を少し内省した次第。また、監視社会化論と絡んで「人間」とは何かを考えさせられる(これは近々例の連載で書くつもり)。
◇このテロに関連して、「情報操作」への警戒と「智慧」についての考察はこちら。→「http://d.hatena.ne.jp/shojisato/20050721」。
◇(7/24補足:)イギリスのイスラム社会が抱える困難については、こちら(NPO型Web新聞『JANJAN』)に藤原由紀生氏による非常に詳しい記述(英字紙記事リンク)あり。→「http://www.janjan.jp/world/0507/0507219857/1.php?PHPSESSID=e6763ef34a0e1d4607090148636c2c51」。例えば、次のようにイギリスのWeb上の議論を紹介している。

たとえば、Web上ではこういったイスラム原理主義者が容疑者とされる事件の頻発について、「すべてのイスラム教徒は原理主義テロリストではないが、すべての原理主義テロリストはイスラム教徒である」式の発想により、イスラムの教義そのものにテロを誘発し、奨励するような内在的欠陥があるのではないかとする論説(Charles Moore "Opinion")がWeb上で広範な議論を巻き起こしている。代表的な反論としては"http://www.blogistan.co.uk/blog/index.php/2005/07/12/we-dont-need-a-gandhi/"を参照せよ。これら論争を含め、テロ後の英語圏のウェブ上における議論の概略については、以下のBBCの記事が紹介している: "BBC NEWS | UK | Magazine | Blogs on the bombs"、"BBC NEWS | UK | Magazine | Blogs on the bombs II"。