お粗末な事どもと大切なこと(形式と実質について)

PSE問題と原発運転差し止め判決

経済産業省は江戸時代のお殿様か。実に恣意的な振る舞いではないか。保守派の私としては、法律の形式的適用よりも、世間の常識が勝利するのは悪いことではない。それにしても、立法・行政の手続きとしてあまりにお粗末。中古の場合の「電気用品の安全性の確保」については、何も考えていなかったということ。
◇一方で、私自身も法律的リテラシーなど無いけれど、志賀原発運転差し止めを認めた金沢地裁判決は興味深い。新聞で要旨を読んだだけだが、形式的な論理の適用によって、政府の「耐震設計審査指針」の問題を指摘していた。行政も対応せざるを得ない形をつくったわけである*1。当たり前のことだが、「反原発運動」的な吹き上がりではなく、こうした力が社会を実際に動かしている。

05年11月以降を振り返って

耐震強度偽装問題発覚の頃から時事的論評を控えてきた。あまりにくだらない経過が多く、嫌気が差したこともある。偽装をした者たち、そうした問題を(巨大与党の足を引っ張れると)嬉々として政治的に利用しようとした者たちには、一言「恥を知れ」と言いたい。
BSE問題も同断。アメリカの管理体制からは当然の結果だった。目的は「食の安全」で、それ以上でも以下でもない。
ライブドア問題。私自身は、同世代のホリエモンにあまりコミットしてこなかった。自家製ローストビーフを作る話とか、宇宙旅行の話とか、現実離れしたところがあると漠然と思っていた。しかし、当ブログで支持してきた、細木数子小泉政権が深くコミットしたのは私にとっても失点だった(細木は釘をさしていたとはいえ)。小泉政権の場当たり的な性格は確かに問題がある。さらに言えば、『中央公論』04年12月号の(ライブドアの問題性を相当明確に書いていた)山本一郎論文は読んでいたのに、ぼんやりしていたものだと反省する。
◇官製談合。きちんと語るほどの情報は私には無いが、これが一番の問題。
皇室典範改正関係。私は保守派として、議論の深まりの無さに文句をつけ、男系天皇を支持していた。しかし、その後、井沢元彦松本健一(凄い取り合わせだが…)の議論の影響により、立場を転じつつある。
井沢元彦は(この議論以前から言っていたことだが)「万世一系天皇教の信仰(キリスト教におけるイエスの復活と同様に)」と明確に論じていた(『SAPIO』2/8号)。科学の次元と信仰の次元を区別するのは近代社会の基本。その上で、井沢や私は「イエスの復活」や「男系天皇」の文化的意義を認める。
◇それに比べると、大学教授による論説などで、平気で「125代の男系継承」を歴史的事実であるかのように書くのは噴飯もの。その覚悟の無さに、少なくとも一発殴りたくなる。
松本健一の「女系天皇も容認すべき秋(とき)」(『中央公論』3月号)には多いに説得された。「有識者会議」の在り方を批判しつつ、人文的系譜に注意を払った議論があれば、女系天皇を受け入れても良いかもしれない。
◇なお、仮に男子ご誕生の場合でも、現行典範により女性皇族が次々と皇籍離脱するという事態を迎えるわけにはいかないので、皇室典範の改正そのものは必要である。さらに言えば、「皇室典範」が、国民によって作られる法律であるという形式そのものに無理がある。
◇メール問題。言うも愚かなり。まだ続いていることに飽きれる。民主党には、昨年5月段階でいちゃもんをつけておいた*2。総選挙の時は、自民党に入れるか、社民党に入れるかを考えた。もう一度、繰り返したい。「恥を知れ」。
【参考】
安岡正篤「「あなた」と「私」」(文庫で10ページの小文だが、怒ること・情報戦の意義を説いて余すところがない)『人生をひらく活学―現代に生かす東洋学の知恵*3(主題名はちょっと恥ずかしいが、思考停止オヤジ向けの読物ではない。念のため)所収