ミャンマーと中国へ祈る

ミャンマーと中国へ祈る


天は吼え
地は裂け
なぜ無辜の民より罪せられるか
天はかくも不条理か


古来の思想に従えば
命は天からの授かり物
ただそれを返す日まで
戒慎して生きるのみ


生きている我らとて
常に恥多き日々
何ものも意のままになる
ものはない


修羅の巷を駆け抜けて
人にうとまれ人をうとみ
人楽しませ人に楽しむ
悪しき仕合せ良き仕合せ


我ら生きる者恥多し
数多死せる者ら安らかに
祈らん祈らん
我ら生きるもの恥多し

蛇足(【5/28追記】)

◇本当に祈るなら説明は不要だが、余計なものを付け足す(もとより蛇の本体が大したものではないが)。
◇「修羅の巷」あたりは、私の個人的な状況を踏まえているに過ぎないが、吉村昭『吉村昭の平家物語』*1白洲正子『謡曲平家物語』*2永井路子『「太平記」―古典を読む』*3を続けて読み進めた影響がある(近頃、遅読症をようやく克服しつつあるが、特に吉村・永井の本は読みやすいものだった。白洲の本は、最低限、能を1回観てから読んだほうがいい)。
観世流謡曲を学生時代に少々体得したので、題材には親しんでいるのだが、改めて「修羅もの」に惹かれるところがあるのだと再確認した。むろんそれは世阿弥による鎮魂劇としての夢幻能でもある。
◇やはり私は、千年紀で話題の『源氏物語』、引いては「もののあわれ」の人ではないのだな、と思った。先師石田梅岩も『平家物語』『太平記』読み、『徒然草』などの系譜の人であると思う。私の「祈り」はそれらに由来する。
ミャンマーや中国のことを考えれば、「社会」「政治」の原理的問題に突き当たらざるをえない。1年以上前に出た、宮台真司・鈴木弘輝・堀内進之介『幸福論―〈共生〉の不可能と不可避について』*4、2001年の杉田敦『デモクラシーの論じ方―論争の政治』*5、先月出た東浩紀北田暁大『思想地図vol.1』*6などを平行して読んでいる。
◇5/25毎日新聞三浦雅士の書評が出た、神崎繁『魂(アニマ)への態度−古代から現代まで』*7(岩波の「哲学塾」シリーズの1冊。発売は3月)も買ってあって、先ほどの石田梅岩的な「性理学(心学)」との絡みで早く読みたいところ。

*1:吉村昭の平家物語 (講談社文庫)

*2:謡曲平家物語 (講談社文芸文庫)

*3:「太平記」―古典を読む (文春文庫)

*4:幸福論―“共生”の不可能と不可避について (NHKブックス)

*5:デモクラシーの論じ方―論争の政治 (ちくま新書)

*6:NHKブックス別巻 思想地図 vol.1 特集・日本

*7:魂(アニマ)への態度──古代から現代まで (双書 哲学塾)