青澤唯夫『名指揮者との対話』(春秋社2004年)

音楽を聴くのは生きる意味を問うことだった。だから音楽を通じて自らの人生を生きる指揮者たちのことを彼らの言葉に即して書きたいと思っていた。二十世紀という激動の時代を多くの困難に耐えながら、時には戦乱のなかで命をかけながら音楽を支えに生きた指揮者たちの姿を、私自身の目と耳を通して描きたかった。
(「あとがき」p257)

◇前にエントリでちらりと紹介した標記の著作。読むほどに魅力的だったので改めて紹介する。私自身が音楽の素養に乏しいので、引用する部分が多くなるのを寛恕願いたい。
(以前のエントリ渡邉暁雄38CDs聴き倒れの記(その1) - ピョートル4世の<孫の手>雑評
名指揮者との対話
◇著者の青澤唯夫氏は1941年生まれの音楽評論家。1967年より記事を執筆していたという。この本では、チェリビダッケに始まり、バーンスタイン、マルティノン、ブーレーズ、ケーゲル、マゼール、マルケヴィチ、フルネなど20人の指揮者(著者はその大部分と直接対話している)を取り上げて、その音楽観に寄り添いながら詳しく論評している。
◇単に、音盤で聴いたことのある指揮者の発言やエピソードを追っていくだけでも興味深いが、この本がより魅力的なのは、青澤氏の音楽に対する真摯な姿勢が読み取れることである。それはまず冒頭に置かれたチェリビダッケの章で展開されており、30ページ近くあるのだが、ぐいと引き込んで読ませる。

チェリビダッケとの相克

◇著者は1978年の2度目の来日の時から、チェリビダッケと何度か対話する機会を得たようである。以下のような発言を記録して、その芸術観に深い共感を寄せ、また70〜80年代のチェリビダッケの演奏を高く評価している。

「音楽はその場で生まれてくるものだ。だからあらかじめ存在するものではない」
(「1 指揮者とは何か チェリビダッケ」p9)
「…要は響きが音楽となるか、響きが音楽とならないかの二つの場合しかない。響きを創ることが目的とされている場合には音楽にはなり得ない。音楽自身というのは何の目的でもありえない。なぜなら、音楽というのは<存在者(ダーザイン)>ではないからだ。音楽は<生成(ヴェルデン)>である。音楽を作ろうという人間は、もう既に音楽とは関係のない外の世界にいることになる。」(同p14-15)
(1977年の初来日の読売日響のプログラムについて)「聴衆に語りかけ、単なる音の世界、単なる響きの世界から人々を解き放つために」選んだ。人々を解き放つというのは「人間は自由であるとか自由でないとかいう表現は不可能であって、人間はまさに自由になるか、あるいは不自由になるかの問題だ」(同p11)

◇このころのチェリビダッケは、低弦から高音楽器まで入念にチューニングして(最後に高低をつなぐヴィオラをもう一度)、楽器の位置を動かし全体のバランスを整える、そうした基本的なことを妥協しないでやり通して、読響から諸外国のどのオーケストラからも聴いたことのないピアニッシモを引き出したという(同p10-11)。
◇しかし、そのように高く評価し、深く理解したチェリビダッケの90年代の演奏を著者は評価しない。老齢による体力や集中力の衰えが作用する部分はやむを得ないが、それ以上にチェリビダッケが自分の信条を裏切っていたことを問題にする。

チェリビダッケはかつて自分自身がやってはいけないと言っていたことを平気でやっていた。自分自身の信条を裏切っていた。私はそれを暗澹たる思いで聴いた。その演奏に熱狂する人たちが現実にたくさんいて、彼らの熱狂ぶりも私の気持ちを果てしなく暗くした。(同p17)

◇私の半端な要約ではいかにも評論家的な呟きにしか映らないのではと危惧するが、著者は繰り返しチェリビダッケの深い学識と教育的な姿勢を心底から認めたうえでこのように述べているのである。

指揮者の条件

◇指揮者の条件について、私は「1.オーケストラの自然な響きを活かした鳴らせ方、2.暖かい人間性を真底に感じさせる表現、3.伝わってくる感動の巨大さ」の3つを挙げたが、ここで紹介された指揮者たちの言葉に似たものがあるだけで嬉しくなってしまう。
【4】 最上級指揮者の条件と世界の指揮者勝手番付 - ピョートル4世の<孫の手>雑評

「音楽をするためにはファンタジー、自由な表現、それに厳密な研究の三つが揃っていなければならない」
アバドが語ったという「指揮者の条件」。「12 巨匠時代のあとで アバード/クライバー」p134)

「私は音楽の中に入ってゆく姿勢をとても重要視しています。温かさと同時にクリアーな感覚を大切にします。聴衆がスコアをもっていなくても、音楽を聴いてスコアが明確にわかるような音楽をつくってゆきたい。…」
ソノリティの問題はとても重要だが、大きな音のなかでも弦楽器などすべての音がきちんと聴こえなければだめだし、作品のなかでときに微分化されたソノリティを要求されることがあるのを考慮すべきだ、とハイティンクは語る。管楽器や打楽器をあらん限りの大きな音量で、まるで騒音のように咆哮させる指揮者たちが持ち得ない音楽的知性を彼は見事に備えている。
(「7 音楽に臨む態度 ハイティンク」p94-95)

◇このような指揮者の条件に対応して、聴く側も音楽をよりしっかりと聴き取るべきだと、次のようなエピソードを挟む。メンデルスゾーン交響曲第4番のレコードで、コリン=デイヴィスが付点四分音符と四分音符と八分音符を弾き分けさせているのに、ジョージ・セルはそれをみな八分音符のように流している。ところが日本の「名盤ガイド」では、セル盤が「高完成度」などと書かれている。著者は憤り、私たちは基本的なことを聞き取る(演奏家の苦心を掬い取る)耳をもっともっと鍛えなければという。(p92)
◇なお、こうしたエピソードを通じて、各章タイトルの20人以外にも、実に多数の指揮者に言及しており、巻末の指揮者名索引は4ページに渡っている。

その他のエピソード

◇その他、興味深いエピソードとしては、ブルックナー交響曲改訂の経緯をめぐる朝比奈隆との対話が最後の章に取り上げられている。そこでは、オルガンの機能の影響を受けた泥臭い素朴な発想が、耳当たりの良い月並みなものに改訂される過程が、フルトヴェングラーの原典回帰の時期の問題などと絡めて語られていく(「18 ブルックナーの演奏をめぐって 朝比奈隆」p241前後)。しばらく聴いていなかったブルックナーを無性に聴きたくなった。
◇また、私が好きなロシアものでは、ロストロポーヴィチによる、以下のような面白いエピソードが書きとめられている。ショスタコーヴィチが彼のためにチェロ協奏曲を4日間で作曲したので、譜面をもらうと超特急で初演した。ショスタコーヴィチは、満足してそのときのテンポやニュアンスを譜面に書き込んだ。それが出版されたが、弾き込むうちに、第1楽章の演奏が重く遅すぎて、ショスタコーヴィチが書いたニヒルな面が出ていないとわかってきた。だんだん速いテンポで弾くようになったことをショスタコーヴィチも知っていたし、ますます良くなってきたと大満足していた。しかし、ずっと後に外国でそれを弾いたら、ある批評家から「作曲家の意図を汲んでいない」と叱られたという。(「11 解釈の自由を求めて ロストロポーヴィチ」)
◇これは、1980年来日の際に、記者会見で例のヴォルコフ『ショスタコーヴィチの証言』について問われ、その流れを受けて著者が「作曲者と演奏家との関係」についてロストロポーヴィチと対話したようで、その際に取り上げられたエピソードである。ショスタコーヴィチの証言 (中公文庫)
(もっとも一柳富美子氏が、ショスタコーヴィチ近辺の様々なエピソードについて、「ほらや噂話好きのロシア人たちゆえ真偽を判断するのは難しい」と書いているぐらいなので、これも誇張された部分はあるだろう。なお、その解説付きDVD(ロストロポーヴィチによるショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番を含む)が大幅プライスダウンされて出ている。ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第2番(独奏ロストロポーヴィチ)、ヴァイオリン協奏曲第1番(独奏コーガン)エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮ソビエト国立交響楽団。他に交響曲第5・6番と「森の歌」もあり。)
スヴェトラーノフ/ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第2番、ヴァイオリン協奏曲第1番 [DVD]
◇音楽にわざわざ「評論」なる言葉を添えるなら、それは音楽自体をより輝かせ、より面白くし、より聴きたくなるようなものであるべきであり、しかも(単に音楽に寄りかかるのではなく)「評論」そのものとして自立しているべきだと思うが、青澤氏の評論はそれに成功しているのではないかと思う。