方法10「アルカイックな均整美に耽溺する」
◇さて、実に長かったこの記事もようやく終わりにたどり着いた。ここまで来てもミャスコフスキーが嫌いだという人は、おそらく存在しないだろう(ここまで読まないだろうから)。が、それでもやはりミャスコフスキーは分かりにくい…と思うなら、いっそのことアダージョ作曲家だと割り切って、第1番、第8番(バシキール)、第11番(現代フーガ風)、第17番、第20番、第21番、第24番、第25番(第1楽章)、第27番などの緩徐楽章をひたすら聴くとよいだろう。
(寿老人氏の見解とかなり一致する。「http://homepage3.nifty.com/juroujinn/works.htm」参照。私も中国思想が好きだし。)
◇このアルカイックな均整美は、個人的にはチャイコフスキーの「マンフレッド(マンフレート)交響曲」の一瞬のフィナーレや、タネーエフの序曲「オレステア」のフィナーレ、歌劇「オレステア」のデルフォイのアポロ神殿の場への前奏曲の表現との共通性を感じる。ああ、ロシアよ! 汝はなぜにかくも広く、深いのか。…と私は再び音楽の深淵に帰っていきたくなるのである。
(タネーエフの序曲は最近、私が愛聴していたロジェストヴェンスキー盤の新しいのが出た。Venezia CDVE04311、交響曲第4番とのカップリング。)
「交響曲第4番、序曲『オレステイア』 ロジェストヴェンスキー&モスクワ放送交響楽団 : タネーエフ(1856-1915) | HMV&BOOKS online - CDVE04311」