【3:「ポストモダン」という時代認識】

ポストモダンとはどのような時代を指すのか。「モダン」は、近代/現代の意味で使われるわけで、「ポストモダン」とは近代以後(特に1970年代以降の文化的世界)をとりあえず意味する(以下、「ポモ」と略記する)。「近代以後」では分かりにくいが、一時(『これが答えだ!*1のころ)の宮台先生の用語で言えば、「後期近代」「成熟した近代」(成熟社会)というのに、ほぼ相当する。また、東氏の時代認識は、フランス現代思想の文脈と、見田宗介大澤真幸社会学の文脈を受けているが、細かいところは省略する。
◇要するに、東氏の時代認識として、「1:世界的に、20世紀の歴史は、1914年の第1次世界大戦開始から、1989年の冷戦構造の崩壊まで、75年間で近代からポモへと移行してきた」(p105の図辺り)、そして「2:日本の場合は、そこに1945年の敗戦(=アメリカニズムの日本への浸透の始まり)という断絶が入る」(1-2、p107〜8)というものである。ただし、この時代認識2はすでに「オタク系文化」を論じる文脈が入っているので留保が必要かもしれない。
◇その中で、特に「1970年代以降」が特に「ポストモダン」と表現される(p15)。これは、すでに第2章の主題と切り離せないが、この時期に明確になったのは、「シミュラークルの全面化」と「大きな物語の機能不全」である(2-1)。ありゃ、難しそうな用語が出てきた。説明が面倒なので、少し『動ポモ』を離れて回り道をする。
◇(私は例によってそれほど読んでいないが)世界的に1970年前後に歴史が大きな断絶を示すことは、最近日本で改めて注目されている。少し極端な例を挙げる。日本でいえば、1969年に中条省平氏が「麻布中学3年のときに、フランス現代思想に言及しつつ、難解なゴダール論を書いていた」ことや、1971年に宮台真司氏が麻布中学に入学すると、中学高校紛争で学校は機動隊により半年近くロックアウト、1973年に中3で紛争が終了すると学校は荒廃状態になり、授業を聴く奴はほとんどいなくなり、紙麻雀したり、ウォークマン聴いたり、授業中出前が届いたり、宮台氏は覗き穴を作るために壁を鉄パイプでガンガン掘っていたり…などなどのこと*2
◇東氏や私が生まれたころの出来事というのは、もはや私たちにとっては体感できないが、そもそも当時の雰囲気を知らないと理解不能な状況だったようだ。一方、こういう時代に遅れてきた東氏の80年代の道のりについては、「オタクから遠く離れて」という、何回読んでも面白いインタヴュー記事がある(『郵便的不安たち#』所収)。まあ、例えばこんなところでも、1970年をはさんだ時代の大きな違いは理解できるだろうし、逆に言えばこういったことを一つも知らないと東氏の議論の奥行きも分からないだろう。

*1:これが答えだ!―新世紀を生きるための108問108答 (朝日文庫)

*2:中条氏のこの論考は単行本化されたらしい(『中条省平は二度死ぬ!』)。宮台氏については、『野獣系でいこう!!野獣系でいこう!! (朝日文庫)「論理なんか信じてない」より。◆なお、この時代の(1920年代と並ぶ)「世界文化の神話的ピーク」については、四方田犬彦坪内祐三対談「1968と1972」(月刊文芸誌『新潮』04年2月号)が詳しい(中条氏の件もここに出ている。当ブログで少し触れた、谷川俊太郎高橋源一郎の本当の姿?も分かる)。◆当時の日本の状況なら、月刊誌『東京人』7月号に特集「新宿が熱かった頃1968-72」(こちらも四方田犬彦ほか)、月刊総合誌文藝春秋』6月号にも特別企画「証言1970-72」があった。◆また、この当時まで「知識人」の存在がどれほど大きく、「言論」がどれほど重く感じられたか(例えば、莫大な印税のお陰で貯金残高を気にしなくなったというサルトルなどについて)は、デリダソンタグの死を受けた坪内祐三福田和也「これでいいのだ!」(週刊誌『SPA!』2月8日号)がある。◆こういう近過去の歴史は、(知らない人間にとっては)雑誌的な臨場感・立体感が貴重。もっともこの私も、今でも仕事に行き詰まると大声で「インターナショナル」を歌うという、新左翼経験者の「傷の深さ」(身近に死/廃人化が迫る状況)の一端は聞いたことがあるが。ちなみに、戦中育ちの母は、生まれる前に大正期の豊かな文化があったことを相当後まで全く知らなかったと言っていた。自分の生まれる直前のころの歴史というのは盲点になりやすいのかもしれない。(【7/4補足】)◆知っている人には今更だが、この時代の責任と無責任の狭間を描いた小説として、矢作俊彦ららら科學の子ららら科學の子がある。第17回三島由紀夫賞を受けたが、何よりこの私でも一気に読めた約p480の長編。時代の息遣いはかえってフィクションの方から伝わってくる。矢作氏については、Wikipediaが割に詳しい。「矢作俊彦 - Wikipedia」◆また、思想面なら(こちらの記述はあまり具体性はないが)、新左翼ポストモダニズム現代思想、例えばネグリ)との関係について、「なぜ今マルクス・ブームか」という趣旨で批判的に扱った一文を、稲葉振一郎氏が『諸君!』8月号に寄せていた。(7/7補足:)◆この時代の大学紛争を受けて立った側の証言として、1937年生まれ(うちの母と一緒。『文藝春秋特別版「昭和史と私」』の鼎談によると、軍歌を沢山歌える戦中派でもある)の養老孟司先生(←ご自宅の昆虫館完成おめでとうございます。ちなみに、あの藤森照信氏設計。今週の『AERA』より)の記述がある。氏は当時見た、民青系都学連の竹槍訓練に触れて、戦中日本の回帰(一元論・原理主義・絶対の正義の危険性)を見ている。その前後は特に、「日本」や戦争・テロを考える人には必読の文章。『運のつき運のつき 死からはじめる逆向き人生論、『死の壁死の壁 (新潮新書)の両方に出ている。