なぜか気になる石田衣良 (&1980年代の日本について)

R25の隔週連載エセーが面白いという以外、特に作品を読んだわけでもないのに、石田衣良がやたらよく目に付き、つい読まされてしまう。先週の『週刊アスキー』では、進藤晶子のインタヴューに答えていた(本名の姓が「石平」で、電話に出るとき便利だとか…。ちなみにTBS時代によく見た進藤さんは、「携帯メール世代に送るストーリーマガジン」『きらら』6月号(小学館。ただで貰った)で小説デヴュー)。
◇また、『文藝春秋特別版「昭和史と私」』(増刊号)でも、エセーを書いていた。その中で、80年代バブル期について、世界の文化の本物が見れたし、もともと少し緩むぐらいでちょうどよかった、と。
◇これは異論あり。細木数子モードで言うと、人生ゆとりは必要だけど、基本を外してはダメだ、ということ。少なくとも、高校生だった私の目から見て、あの時期の日本はおかしかった。最も気を引き締め、注意すべき時期をうかうかと過ごして、結局90年代以来の停滞・下降を招いたとしか思えないのだが。ま、後ろ向きに語っても意味はないけれど、私が思うことの原点はやはり80年代の「だらしなさ」にある。(ついでに言えば、北田暁大を、個人的に嫌いで、徹底的に許せないのも、まずこの時代の受け止め方から来ている。←本人とは一面識もありません、念のため)