政治・宗教・メディアに関する2、3の事柄

◇今、日本でのリベラリズム、つまり政治的、宗教的な「自由」と「寛容」、そして「言論」についてという割合古典的な問題を考えている。その意味で、id:amgunさんの高橋哲哉靖国問題』論と、id:nonamethinkerさんの東浩紀北田暁大鈴木謙介論の文脈を間接的に受けつつ、小ネタを一つ。
◇日本的な「世間」では、政治と宗教の話題は避けよというのが、日常会話のマナーになっているが、本来、ルネサンス以来の人文(ヒューマニズム)的な方法とは、抜き差しならない政治対立・宗教対立に対して、いかに「寛容」に、しかも「自由」に、「言論」の力で、それらの対立を調停できるか、という課題と向き合ってきたのだと思う。こうした活動を支えていたのが、旧来の「教養」であったろう(つまり、政治や宗教の強権と正論に対抗するための、共有されうる知的基盤ということ。最近もややぬるそうな「教養」本が出ていたようだが)。
◇しかし、現在の日本のメディアがどれだけそのような役割を果たしているのか。「正論」をかざすのはむしろ政治家や宗教団体のすることだったはずだが、今の各紙誌にはそこを踏み外して商業主義に走っているのが多過ぎる。その背景には、むろんネットの情報にただ乗りしている我々の存在もあるわけだが。この悪循環も何とかしなくてはいけないだろう。
◇メディアやジャーナリズムは、別に「公共放送」でなくても、そもそも公共財であり、そこには広範な大衆による、選択的投資が必要だろう。メディアのスポンサー依存が高まらないような行動が必要なのではないか。その意味で、オタク的人間(特定の趣味にだけ過剰投資する消費者)の増加は、(10年くらい前から)私にとっての脅威だと感じている。
◇以下、たまたま目に付いたブログ記事を資料として挙げておく(◆は私のコメント)。

霊友会と政治家(政治資金収支報告書の実例)
◆何より、こうした地道な事実の掘り起こしが必要ではないか。

創価学会と板橋の事件(大阪ローカル番組で宮崎哲弥氏発言に「ピー」→私の間違いでした。下コメント参照)
◆ただし、果敢に創価学会叩きを行う『週刊新潮』も、イラク人質バッシング以来の弱者叩き的論調を批判されることもある(川端幹人「雑誌身辺調査004回」『ダ・カーポ』556(05.3.16)号)。

:日本の新聞配達現場の実状が窺われるコメント
◆『朝日新聞』は、武富士からの利益提供や1面朝刊に文学賞絡みのトンデモ記事が出る(先週の『SPA!』「これでいいのだ!」に写真入りで取り上げられていた)など、着実に3流誌化しつつあるようだ(前から?)。
◇しかし、(個人的に)頼みの『毎日新聞』はどうか。最近「もったいない」キャンペーンを展開して、コンビニの弁当廃棄の実態を大々的に取り上げた(確かに、よく出せたなと思うくらいあからさまな記事だった)。さらに、おそらく連動して週刊経済誌エコノミスト』に学者に関係する論文を書いて貰ったようだが、コンビニ会社?の圧力を受けて著者に連絡できないまま、記事を6行削除(雑誌は刷り直し)したそうだ(昨日の『週刊文春』? いや『週刊新潮』だったか?)。創価学会や教職員組合に弱いのも知ってるが…(それでも10年来買ってるんだけど)。
◇そういえば、昨日の『週刊新潮』では、櫻井よし子がアメリカのジャーナリズムの危機(記者の拘束、発行元による当局への取材資料の提供*1)を取り上げて、ジャーナリズムの基礎を論じていた。
(相変わらずのゴチャ文で申し訳ない…。この次は、「現代海外文学を読む」を書く予定。東・北田論はその後に)

*1:7/10補足:あまりに書き方が雑でしたが、アメリカ中央情報局(CIA)工作員の身元漏洩事件に絡み、情報源の開示を拒否しているため、『タイム』誌のマシュー・クーパー記者と『ニューヨークタイムズ』紙のジュディス・ミラー記者が法廷侮辱罪で収監された問題。『タイムズ』誌はすでに取材資料を検察に提供。この辺りは私の守備範囲の外縁で、まだ情報に追いつけていない。私も読めていないが、こちらに詳しい記述・資料・関連情報あり。→「http://d.hatena.ne.jp/gachapinfan/20050710#p1