『毎日新聞』朝刊「終戦60年」特別紙面 (「8.15」の問い直し)

反日デモの一時的盛り上がりを経て、国内ではついに本当に解散総選挙。ついでに、8/15靖国参拝もうやむやになった今日この頃。至極静かな「終戦記念日」を迎えたわけだが、『毎日新聞』の特異な紙面(下に紹介)に触発され、産経・読売・朝日の朝刊を買ってきて見比べた。『毎日』のみが大々的な特集を展開している。
◇各紙社説のお題は一様に「終戦記念日」ではあるが、基本的にどれも読む価値はない。そもそも「新聞社説」なるものは、世間一般の言論の中で、最も形式的で、実の無いままにだらだらと続いてきたものだというのが、前々からの私の持論だ(ほとんど誰も読まないのに、認知度だけは高い。よって書く方はやる気がなくても、もっともらしい素振りだけはつける。だからますますつまらなく、読む気がしない、鼻につくものになる)。もっとも多くの人がわざわざ言うまでもなく、そう思っているだろうけれど。今日のものも、こちら→「今日の新聞各紙社説は… - finalventの日記」でも書かれるように、パスしてよい(まじめに読んだら損)。
◇記事としては、毎日・産経・読売記事に「8.15」の位置づけを捉えなおす記述があった。毎日記事に登場している、佐藤卓己氏の『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学*1の影響もあるだろう。仏教の祖先への追善供養である盂蘭盆会(お盆)とも重層化し、8/15は「慰霊」の日となった(毎日の座談会記事の佐藤氏発言によれば、すでに1939年から「戦没英霊盂蘭盆会法要」が毎年ラジオ放送され、甲子園大会の黙祷も行われたらしい)。これからの課題としては、日本国内向けの「慰霊」とは異なる、対外的に(各国首脳を招いての)「敗戦」の事実を確認する行事・儀式が必要だ、というのが今日の各紙面を見て得られた認識かもしれない。
◇読んでいない人のために、『毎日新聞』の特別紙面の概要を少し紹介したい。これから見るように、今日の紙面はとりあえず構成が物凄かった。そもそも、毎日新聞は、今年「戦後60周年の原点」という総タイトルで、関連記事を多数掲載してきた。例えばその一つ、夕刊に毎日掲載された「沖縄1945年」は、沖縄戦の推移を追って60年前の1日のドキュメントを当日ごとに追うというシリーズだった。今日の紙面は、そうした一連の記事の集大成になっていたわけだ。

「グラフ戦後60年

全32面ほとんどの肩部分に、毎日得意の写真クロニクル(1945−2005)を掲載。本日の紙面での使用写真は166点とある。

戦争についての世論調査(1058人)結果(1、3面)

  • 60年前に終わった戦争:
    • 「間違った戦争」=70代以上と20代は36〜37%、30〜50代は43〜46%
    • 「やむをえない戦争」=70代以上は45%、60〜40代は27〜36%、30代が22%、20代が29%
  • 戦争体験:身近な人から聞いた68%
  • 戦争責任の議論:不十分だった=75%、十分=14%
  • 近い将来、日本と外国の戦争があるか:ある=22%(20代34%、20代男性のみ37%)、ない=73%

…など。20代に関する結果は、明らかに近年の社会情勢と文化戦争を反映していて実に興味深い。10代の調査がないのは残念(普通ないのは分かるが、ぜひ知りたいところ)*2

全面特集8ページ(20〜27面。広告欄なし)

  • 1945.8.15「終戦」当日紙面の復刻と解説

:つぶれていて読めない字もあるが、当時の原典を出す姿勢は好ましい。解説では、前日まで「徹底抗戦」を訴えていた経過などにも触れる*3

  • 「その日 日本とアジア」

:日本人の当時の日記や手記、アジア各国の70〜80歳代への取材からまとめた、「終戦」の受け止められ方。

  • 「ニュース そうだったのか」欄の拡大版

:太平洋戦争の概略を、地図・年表・解説記事で。

:月刊雑誌の記事にしていいぐらいの内容の濃さ。以下、主な論点。

    • 佐藤氏:8.15=「終戦」の非自明化の必要性。「8.15の心情(追悼)」と「9.2(降伏文書調印日)の論理」を持つべき。
    • 富岡氏:折口信夫は、敗戦=「日本の神々の敗北」と46年8月に書いた。物量の敗北からの経済的復興を果たす一方、倫理的な敗北の意味は考えられてこなかった。
    • 細谷氏:日本のこれまでの平和主義は一方的(ユニラテラル*4)だった。ナショナル・ヒストリーは、政治的、論理的に作らなければならない面がある(戦争責任など)のに、日本は第2次大戦について感情的、民衆的、被害者的=自己中心的歴史観を作ってきた。

◇先日、『ダ・カーポ』の新聞特集では、確か毎日新聞は最近は過去志向と評されていたが、「歴史問題」を煽るだけ煽ってろくに基本的事実も伝えようとしない新聞よりは(少なくとも過去の戦争関連では)いいだろう。なお、9月の特集テーマは「日本占領」。
◇他紙に目ぼしい記事はなかったが*5産経新聞3面「私の中の25年」欄に、三島由紀夫の1970.7.7付(割腹自殺は11.25)記事が再掲載されていて、意外な儲け物だった。以下その一部。

このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないか…その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。

今の事態は、この三島の感慨よりもさらに先へ、より酷い方へと進んでいるわけで、その辺りの私なりの現状認識を、9.11総選挙に向けて書きたいと思っている。

*1:八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)。昨年はこの人の『言論統制 情報官・鈴木倉三と教育の国防国家言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家 (中公新書)が話題になった。

*2:ちなみに、『朝鮮日報』日本語サイトには、韓国の新世代(1980年代生)833人調査結果。米朝戦争起これば:北に肩入れ65.9%、米国に肩入れ28.1%。就職移民先希望:オーストラリア17.9%、米国16.8%、日本15.3%(03年は2.5%)、北朝鮮0%。日本への好感36%(02年29.1%)。米国については、02年の20代:嫌い75.5%、好き21.3%。05年:好き50.5%、嫌い49.5%。ソースはこちら(ただしリンク不可か)→「http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/08/15/20050815000001.html新世代の66%『米朝戦争の際 北朝鮮に肩入れ』」、「http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/08/15/20050815000018.html新世代の米国と日本に対する認識 『嫌い』から『好き』へ」。結果を見ても、ちっとも傾向は読めないが…。

*3:毎日は戦後50年に、確か戦中の新聞報道の責任を問うシリーズ「新聞と戦争」を連載していた。私の毎日贔屓はこのころからかもしれない。

*4:この言葉は、形式上は「間接統治」だった日本の占領の実態についても使われた、因縁のあるものだ。

*5:「朝日叩き」にもはや意味はないと言われつつも、やはり今日の1面社説もいかにも軽くて、反省史観を装いつつ、実は最も「過去」や「歴史」に関心がない新聞なんだろうという思いを強くした。