東浩紀・北田暁大は「学問オタク」か? (その2)

1.「ポストモダン」の状況認識篇

【2:『動ポモ』を初歩からもう一度?】

◇東氏の2001年の著作『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会*1は、東氏が現代思想の領域で高い評価を得た後、より一般向けに発表した著作である。新書版で、一見誰でも読みやすそうな体裁の本である。しかし、この本は、それに先立つ講演/論考である「郵便的不安たち」*2で先にネタばらしされているように、うっかり読んでだまされてはいけない本である。
◇だいたい、カバーやAmazonの詳細ページに出ている説明文やオビの売り文句が読者をミスリードしている。それに引きずられて、レヴューもそれぞれ違和感や賛意を示しつつも、この本の核心に触れているとは言いがたい。
◇また、本の体裁としてもそっけないところがある。目次の章節分けもその一つ(なお、以下『動ポモ』からの参照箇所を示す際、第1章の1を「1-1」などと表記する)。例えば、実際は相当射程の長い序論にあたる第1章(特に1-2)や、追加的な補章である第3章は、特にそう題されていない。本論である第2章は、2-1で提出した2つの問いに答えるという極めてシンプルな構成で論理的に書かれているが、一方、先行する議論の参照、オタク系文化の具体例も多く、また使われる概念相互の関係も一見するよりは込み入っていて、案外内容が見通しにくい。
◇もちろん、これらのことについて、東氏は本文中ですべて言及しているし、あまり大仰な構成でもかえって読者を減らすだけだというのも分かる。しかし、反発や誤解も織り込み済みとはいえ、やはりこの本でも(一部の理解者を除いて)この程度にしか読まれないのか、という感触が東氏に残ったかもしれない。
◇それで、この本の主題だが、仏教論書の形式に倣って、題名釈から始める。まず、副題「オタクから見た日本社会」。まず、この本は「日本社会」論という形式をとる。「オタク系文化」はその極端な一例として取り上げられるに過ぎない。この本が、オタク論でないとは言わないが、それを論ずることはむしろ中心的課題とは言いがたい(だからオタク論としては、文句の付け所が沢山あって当然であるし、そこに文句をつけてもしょうがない)。実際、(私があまり興味のない)オタク系文化の実例を全部読み飛ばしても、この本の内容は理解できる。以下の説明も、そのように書いている。
◇では、本題の「動物化するポストモダン」とは何か。「動物化」という独自の用語は、次回説明するが、当然これがこの本の主眼である。それを言う背景となる時代認識・状況認識が「ポストモダン」という語で示されている。

*1:動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

*2:この講演/論考は、論旨はとても面白く、東氏の議論を理解するために必須のもの。ただし、読んでいてやたら長々しく感じる。これは、元の講演に大幅に加筆したせいである。◆はてな上で聞くところによると(宮台真司×北田暁大著『限界の思考』の発売日 - 双風亭日乗はてな出張所)、今準備中の宮台・北田本も(特に北田氏により)大幅に加筆されているようだが、どうなるのか心配。『嗤う日本の「ナショナリズム」』なんて怪作を出してしまった北田氏には正念場の仕事ではないかと勝手に思うのだが、どうなるのだろうか? ←こんなこと書くと営業妨害? 私も買うのでご勘弁を。◆それに対して、これから扱う『自由を考える』がいいのは、本当にシンプルに「対談」になっていて、読んでいて分かるし、面白いというところ。

【3:「ポストモダン」という時代認識】

ポストモダンとはどのような時代を指すのか。「モダン」は、近代/現代の意味で使われるわけで、「ポストモダン」とは近代以後(特に1970年代以降の文化的世界)をとりあえず意味する(以下、「ポモ」と略記する)。「近代以後」では分かりにくいが、一時(『これが答えだ!*1のころ)の宮台先生の用語で言えば、「後期近代」「成熟した近代」(成熟社会)というのに、ほぼ相当する。また、東氏の時代認識は、フランス現代思想の文脈と、見田宗介大澤真幸社会学の文脈を受けているが、細かいところは省略する。
◇要するに、東氏の時代認識として、「1:世界的に、20世紀の歴史は、1914年の第1次世界大戦開始から、1989年の冷戦構造の崩壊まで、75年間で近代からポモへと移行してきた」(p105の図辺り)、そして「2:日本の場合は、そこに1945年の敗戦(=アメリカニズムの日本への浸透の始まり)という断絶が入る」(1-2、p107〜8)というものである。ただし、この時代認識2はすでに「オタク系文化」を論じる文脈が入っているので留保が必要かもしれない。
◇その中で、特に「1970年代以降」が特に「ポストモダン」と表現される(p15)。これは、すでに第2章の主題と切り離せないが、この時期に明確になったのは、「シミュラークルの全面化」と「大きな物語の機能不全」である(2-1)。ありゃ、難しそうな用語が出てきた。説明が面倒なので、少し『動ポモ』を離れて回り道をする。
◇(私は例によってそれほど読んでいないが)世界的に1970年前後に歴史が大きな断絶を示すことは、最近日本で改めて注目されている。少し極端な例を挙げる。日本でいえば、1969年に中条省平氏が「麻布中学3年のときに、フランス現代思想に言及しつつ、難解なゴダール論を書いていた」ことや、1971年に宮台真司氏が麻布中学に入学すると、中学高校紛争で学校は機動隊により半年近くロックアウト、1973年に中3で紛争が終了すると学校は荒廃状態になり、授業を聴く奴はほとんどいなくなり、紙麻雀したり、ウォークマン聴いたり、授業中出前が届いたり、宮台氏は覗き穴を作るために壁を鉄パイプでガンガン掘っていたり…などなどのこと*2
◇東氏や私が生まれたころの出来事というのは、もはや私たちにとっては体感できないが、そもそも当時の雰囲気を知らないと理解不能な状況だったようだ。一方、こういう時代に遅れてきた東氏の80年代の道のりについては、「オタクから遠く離れて」という、何回読んでも面白いインタヴュー記事がある(『郵便的不安たち#』所収)。まあ、例えばこんなところでも、1970年をはさんだ時代の大きな違いは理解できるだろうし、逆に言えばこういったことを一つも知らないと東氏の議論の奥行きも分からないだろう。

*1:これが答えだ!―新世紀を生きるための108問108答 (朝日文庫)

*2:中条氏のこの論考は単行本化されたらしい(『中条省平は二度死ぬ!』)。宮台氏については、『野獣系でいこう!!野獣系でいこう!! (朝日文庫)「論理なんか信じてない」より。◆なお、この時代の(1920年代と並ぶ)「世界文化の神話的ピーク」については、四方田犬彦坪内祐三対談「1968と1972」(月刊文芸誌『新潮』04年2月号)が詳しい(中条氏の件もここに出ている。当ブログで少し触れた、谷川俊太郎高橋源一郎の本当の姿?も分かる)。◆当時の日本の状況なら、月刊誌『東京人』7月号に特集「新宿が熱かった頃1968-72」(こちらも四方田犬彦ほか)、月刊総合誌文藝春秋』6月号にも特別企画「証言1970-72」があった。◆また、この当時まで「知識人」の存在がどれほど大きく、「言論」がどれほど重く感じられたか(例えば、莫大な印税のお陰で貯金残高を気にしなくなったというサルトルなどについて)は、デリダソンタグの死を受けた坪内祐三福田和也「これでいいのだ!」(週刊誌『SPA!』2月8日号)がある。◆こういう近過去の歴史は、(知らない人間にとっては)雑誌的な臨場感・立体感が貴重。もっともこの私も、今でも仕事に行き詰まると大声で「インターナショナル」を歌うという、新左翼経験者の「傷の深さ」(身近に死/廃人化が迫る状況)の一端は聞いたことがあるが。ちなみに、戦中育ちの母は、生まれる前に大正期の豊かな文化があったことを相当後まで全く知らなかったと言っていた。自分の生まれる直前のころの歴史というのは盲点になりやすいのかもしれない。(【7/4補足】)◆知っている人には今更だが、この時代の責任と無責任の狭間を描いた小説として、矢作俊彦ららら科學の子ららら科學の子がある。第17回三島由紀夫賞を受けたが、何よりこの私でも一気に読めた約p480の長編。時代の息遣いはかえってフィクションの方から伝わってくる。矢作氏については、Wikipediaが割に詳しい。「矢作俊彦 - Wikipedia」◆また、思想面なら(こちらの記述はあまり具体性はないが)、新左翼ポストモダニズム現代思想、例えばネグリ)との関係について、「なぜ今マルクス・ブームか」という趣旨で批判的に扱った一文を、稲葉振一郎氏が『諸君!』8月号に寄せていた。(7/7補足:)◆この時代の大学紛争を受けて立った側の証言として、1937年生まれ(うちの母と一緒。『文藝春秋特別版「昭和史と私」』の鼎談によると、軍歌を沢山歌える戦中派でもある)の養老孟司先生(←ご自宅の昆虫館完成おめでとうございます。ちなみに、あの藤森照信氏設計。今週の『AERA』より)の記述がある。氏は当時見た、民青系都学連の竹槍訓練に触れて、戦中日本の回帰(一元論・原理主義・絶対の正義の危険性)を見ている。その前後は特に、「日本」や戦争・テロを考える人には必読の文章。『運のつき運のつき 死からはじめる逆向き人生論、『死の壁死の壁 (新潮新書)の両方に出ている。

【4:「大きな物語」の機能不全とシミュラークルの全面化】

◇こういう認識を背景にすれば、1970年前後に「大きな物語」が終わった(機能不全)というのは、理解しやすい。「大きな物語」とは、具体的に言えば、「近代国家」のイデオロギー(「国民国家」の一体感=国家目標にすがる、日本なら文明開化や天皇制や高度成長/「革命」=国家の作り直しに希望を託す)のこと。そういう歴史的な「大きな物語」に乗っかれば、自分が生きる「意味」も分かるというのが、「近代」モデルの生き方だった。それに対して、今やそんな分かりやすい、皆が信じる「物語」はどこにもない。というのが、東氏の基本的認識である。
◇この「近代」モデルは、宗教が力を失った(「神は死んだ」)20世紀に、人々が学校などの社会システムの中で、それなりに安定して生きる道を確保していた。しかし、いまやそれも無効になって、人々はバラバラになって生きている、ということが言われている。これは、もともとリオタールが言い始めたわけだが(p44)、日本ではもはや誰もが日々実感するところ。
◇で、「シミュラークル」なる用語(ボードリヤールが使ったもの。p41)は何かというと、オリジナル(本物)でもコピー(偽物)でもない、中途半端なまがい物(?)のこと。それが「全面化」するというのだから、ポモ的現在においては、どこにも本物はなく、すべてが「中途半端なまがい物」なのである(東氏は、商品の例としては、コミケ的、メディアミックス的な2次創作を挙げている)。
◇これは私たちが、いくら「純文学」と頑張った作品を読んでも大して面白くもないし感銘も受けないとか、この人は凄い大人物ですと言われても近寄って「ただのおじさんじゃん」と思ってしまうとか、という感覚に結びついている。これも、現代人の多くはしょうがないと受け止めていることかもしれない。
◇要するに、「大きな物語の終わり」と「シミュラークルの全面化」は、ポモ社会では表裏を成して既成事実になっている。ただ、こういう状態というのは、あまりに相対主義的で、(何が正しいのかわからない!という)人々の不安を呼ぶところがある(例えば、自分も偽物なんじゃないか? 「本当の自分」はどこ? …というような不安*1)。生きる「意味」を見出せないために、自尊心・自己信頼が揺らぐわけである。そういうところにつけこんで、トンデモ物語を捏造して人を殺したオウム真理教や、「国家」の物語を作り直して誇りを回復しようという「新しい歴史教科書を作る会」などの運動などが出てくる(さすがに一緒にしたら怒るか。失礼)。
◇また、こういった「何でもあり」状態は、一見自由なように思えて、人を本当は不自由な状態に追い込むものではないか、という問題がある(少なくとも2つの水準で)。この「自由」の捉え方を巡る難しさ、東氏はずっとそのことを問題にしてきている。

【5:東浩紀の日本社会論の背景】

◇ということで、ようやく東氏の『動ポモ』とリベラリズムの関係が少し分かってきた(まだ、『動ポモ』の本題には入っていない)。ここで、もう一度1998/99年の講演/論考「郵便的不安たち」(以下、引用は『郵便的不安たち#』)*1に戻って、東氏が『動ポモ』で何を狙ったのかを少し確認しておく。(なおこの論考でも、「社会・文化の断片化」とか「象徴界(=ラカン用語。「大きな物語」「言論」と同じ)の機能不全」とかの捉え方は、『動ポモ』と同様。この論考での『動ポモ』の「ネタばらし」とは、難解なデリダ解説書『存在論的、郵便的』の後に氏が何を問題にして書いていくか、というのがちゃんと予告されているということ。)
◇さて、いわゆる「現代思想」というのは要するに政治的には左翼だったわけだが、東氏は90年代末時点において、以下のように展望を語っている。まず、この混乱した、21世紀を前にした日本社会に対して、批評家・東浩紀としては、「結局、失われた象徴界の力、つまり言葉や社会の力を復活させるほかはない」(p83)。そして、その際に東氏が選び取る道を説明している。
◇まず、加藤典洋の『敗戦後論』や福田和也の一連の著作などが取る方法に対しては、以下のように一定の理解を示す。「『日本』なんて言い出すのは伝統的には、言葉が要らない共同体を夢見るロマン主義者、つまり反近代主義者に決まっていた」わけだが、近代的個人を立ち上げるために言葉(=理性=言論)が必要。そのために、彼らはあえて共同体を復興する必要がある(社会の全体性が壊れているので)と主張していると。このように、東氏は新保守論客の一種の「共同体主義」(「日本」「日本人」という共同性への回帰)に同情するが、やはりそういう共同体復興は無理だろう、という立場を取る。
◇一方で、「転向」前の宮台真司の「まったり革命」戦略(もう「大きな物語」や「言論」なんていらない、人それぞれに生きりゃいいんだ、と言論界・一般世間の危機感をあおり、どうにか立ち直らせる。←これは私の勝手なまとめ)とも、少し路線が違うという。
◇で、勝手に要約すると、東氏は現代思想をベースにしつつ(「僕は骨の髄まで現代思想のひと」hirokiazuma.com04.2.8)、文芸評論・オタク系・コンピューター系・SF系などいろんな読者のところに顔を出して、それぞれのところで「力」を持った言葉で語る、という戦略を取る(p74-80辺り)。そうしていくことで、趣味的小共同体を横に越えていきたい。それが人々の「郵便的な不安」(ディスコミュニケーションの中で情報=「手紙」がどう届くのか届かないのか分からない不安)状況に対して、同じように「郵便的」状況の中に身を置きながら言論(哲学)の力を発揮できるのではないか、というささやかな希望を述べているのである。(「郵便的」については、次回「動物化」=『動ポモ』の本論、とともに触れる)
◇私が勝手にまとめたせいかあまり説得力がないが、だいたいはこういうことを言っているはず。その背景としては次のような認識もある。日本ではアカデミズムの哲学があまりに一般社会と乖離してしまって、社会を考えるための「概念」を提出していない、そういう「哲学的日本語の貧しさを代補してきた」のが文芸批評だ(「棲み分ける批評」1999)。また、いわゆる「現代思想ポストモダニズム)」は、1960年代のラディカリズム(新左翼)を継承しているのに、70年代の大量消費社会の美学を認めているという曖昧さがある。また、日本の「ニューアカ」ブーム的「現代思想」は、80年代のバブル的ナルシシズムナショナリズムに加担したという問題がある(「ポストモダン再考−棲み分ける批評Ⅱ」2000)。
◇このような現状認識に基づいてまとめられたのが、『動物化するポストモダン』という本というわけだ。東氏の意図としては、この哲学的言論が不可能そうな時代にどれだけ哲学的に言論に取り組めるか、という痛切な問題意識があった。
◇そのため、「郵便的不安たち」に戻ると、次のような(私にとって)興味深い言及がある。「僕はいま、ポストモダンの分析と同時に、また日本的なコミュニケーションの分析も必要だと切実に感じています」(p98)。そうしないと、いつまで経っても近代/反近代、西洋/日本という2項対立から逃れられないので、「もう少し緻密に日本的思考の土壌を分析する必要がある」(p99)と。
◇あー、長かった。で、結局そこで挙げられているのは、柄谷行人本居宣長への言及と時枝誠記文法の話だけなのだが、この辺りの問題を、私としては東氏にはもう少し展開してもらいたかったわけである。そこで、前にも言ったように*2、現在「日本思想史」が壊滅状態でものの役に立たない、という問題があるのではないか。しかし、日本でリベラリズムを考え、それに従った実践をする以上は、もっと日本のことを押さえておくべきではないか。この点について、「転向」した宮台真司と最近の東氏近辺の人々との間には裂け目があり、また、浅羽氏の東氏らへの不満もそういうところにあるのではないか、という気がする。

*1:ちなみに、自明かもしれないが、北田氏の『嗤う日本の「ナショナリズム」』は、東氏のこの論考の枠組みを北田氏が選んだ素材にぺったりと貼り付けたもの。

*2:「日本思想史」という大問題 (靖国論議の混迷に寄せて) - ピョートル4世の<孫の手>雑評

【6:東浩紀の日本社会論の射程】

◇さて、そこで「日本社会」論を名のっている『動ポモ』に立ち戻って、「日本社会」についてどのような状況認識がされているかだけ確認しておこう。ただ、結局この本は以上のような哲学的背景を持ちつつ、オタク系文化だけを素材に論じた本なので、「日本社会」もその文脈にそって論じられている(主に1-2)ことは割り引いて読まないといけない。
◇東氏が、1970年代に台頭した「オタク系文化」を素材にして『動ポモ』を論じる目的は、次のように示される(1-1)。「オタク系文化のような奇妙なサブカルチャーを抱えてしまった私たちの社会とはどのような社会なのか、すこし真剣に考えてみることである」(p12)
◇なぜ、このように時間を区切るかといえば、1970年前後に「巨大な断絶」(p15)があり、私たちの生活や活動の基礎的条件が根本から変わってしまったという事実を取り逃がさないように、東氏は「ポストモダン」という用語にこだわる。結局、東氏はポストモダン社会の人間が置かれた状況を「動物化」と捉えていくわけだが、その裏打ちとしてそれ以前(1970年代まで)にあった「大きな物語」や「超越性」(=世俗的、即物的ではない価値。東氏は『自由を考える』の反響を受けて、昨年も語っている。hirokiazuma.com04.2.2hirokiazuma.com04.2.8)をなんとか「再興」しなければいけない、という思想がある。
◇その文脈で言えば、東氏の「ポストモダン」とは、19世紀的な「近代」の後という意味と、20世紀的な「現代(思想)」の後という意味とが重なって使われる言葉になっている。この二重のポストモダンを追究するのが、東氏の思想の拠点であり、『自由を考える』の権力論/自由論でも、isedの情報倫理/設計論でも、その点はいささかもぶれていない。
◇ただ、私の立場から言わせてもらえば、ここには「歴史の射程」問題がある。例えば、中沢新一の「カイエ・ソバージュ」のように「1万年前」の「新石器革命」というのはいかにも飛びすぎだが、いくら1970年代以降の「基礎的変化」が決定的であっても、その文脈を語るのには1970年代以降の「ポスト」性の理解が不可欠だろう。だとすれば、フーコー鈴木謙介氏が示すように18世紀以降の「近代」の思想史の文脈は少なくとも必要だろう。それを日本で言えば、特に「近世」(=early modern)以来の思想史的理解が必要ではないか、という私の意見につながる。
◇結局、いくら近代やポストモダン*1の議論を出しても、日本での歴史的見通しがすっきりしないのは、この部分の理解が欠けているからではないか。人文的方法の復興にしても、日本での文芸・学芸の「復興」(=ルネサンス)が完成した江戸期の理解なしに進めるのは、結局回り道ではないか。なぜなら、そこではいつまで経っても「日本/西洋」の2項対立が生き延び、「そんなこと言っても、日本は違うんだ」という言い訳が執拗に繰り返されるのである。
◇さて、『動ポモ』の「日本社会論」に戻れば、東氏が特に「オタク系文化」に狙いを絞ったのも、単に個人的事情ではなく、以下のような理解の枠組みがあることを示している(1-2)。「オタク系文化」は決して日本固有のものでなく、ポストモダンという社会的条件に伴い、アメリカ産サブカルチャーの「国産化」として始まった。そこには、敗戦という心的外傷(むしろ「史的外傷」と言っていいだろう)が投影されており、80〜90年代のオタク系文化礼賛論や「擬似的な日本」趣味には、「戦後のアメリカに対する圧倒的な劣位を反転させ、その劣位こそが優位だと言い募る欲望」(p23)があると捉える。
◇また、この80年代からのオタク系文化礼賛論と表裏をなすのが、ニューアカ現代思想の流行である。「当時日本で流行したポストモダニズムの言説は、『ポストモダン的であること』と『日本的であること』を意図的に混同して論じることに特徴があった」(p28)。これらの事実は、80年代の日本社会を満たしていたナルシシズムと関係しているとする。
◇以上をまとめて、東氏が「オタク系文化」を素材として論じる、日本社会への状況認識は、以下のようなものである。

オタク系文化の存在は、一方で、敗戦の経験と結びついており、私たちのアイデンティティの脆弱さを見せつけるおぞましいもの*2である。…しかしその存在は、他方で、80年代のナルシシズムと結びつき、世界の最先端に立つ日本という幻想を与えてくれるフェティッシュでもある。(p33)

◇この問題はさらに遡れば、

いまやだれもが実感しているように、80年代までの日本社会は、敗戦とその後の経済成長が生み出した矛盾の多くを放置し、そのまま90年代以降に解決を先送りしてしまった(p26)

という点に行き着く。
◇従って、オタク系文化の検討は、東氏にとって重要な社会的文脈を持っている。

日本の戦後処理の、アメリカからの文化的侵略の、近代化とポストモダン化が与えた歪みの問題がすべて入っている。したがってそれはまた政治やイデオロギーの問題とも深く関係している。たとえば、冷戦崩壊後のこの12年間、小林よしのり福田和也から鳥肌実にいたるまで、日本の右翼的言説は一般にサブカルチャー化しフェイク化しオタク化することで生き残ってきたとも言える。したがって彼らが支持されてきた理由は、サブカルチャーの歴史を理解せず、主張だけを追っていたのでは決して捉えることができない。筆者はこの問題にも強い関心を抱いており、いつか機会があれば主題的に論じてみたいと考えている。(p38)

◇こうして見れば、東氏のこの時点の「日本社会論」は、90年代に再び湧き上がった「戦後問題」を受けている。一方では、フェイク化された情報が氾濫し、その中で戯れるオタクたちを生み出し、一方では、捏造された物語に従って、「日本」への幻想の共同性にすがりつく人々を生み出す、この私たちの社会を問題にしているわけである。ただこの立場は、この社会(世間)には、自律できる個人は多数おらず、言論も哲学も常に骨抜きにされてしまう、という悲観的認識にもつながりかねない。
◇本書で展開される「動物化」論とは、宮台真司先生の「脱社会性」とも響きあって、その社会的文脈、政治的文脈が問題となるような議論である。例証はすべていかにもオタク的なキャラやゲームが取り上げられるのだが、実際にはこの本は、この序論で示された射程を前提として読むことが求められる本だということになる。そして、この文脈はそのまま『自由を考える』で展開される権力/自由論につながっていく。
◇もっとも私としては、80年代のナルシシズムについての言及が非常に曖昧で、あの80年代、特にバブル期の醜悪さ*3に触れていないことは(この本の趣旨から外れるとしても)不満であり、またその状況の中での日本流ポストモダニストの発言が京都学派の「近代の超克」をめぐる議論ほどの価値があるかどうかも疑問である*4
◇しかし、ここではっきりと宣言しておくが、東氏の思想が以上のような背景・射程にもとづいて、日本社会を論じようとしたものであることは間違いない。このことは、さらに『自由を考える』やisedの活動を見れば明らかなはずで、次回はそこまで少し追いかける予定である。浅羽氏の「疑問2」に答えて、東氏の思想をリベラリズムの系譜に位置づけうる根拠は明らかだろう。ただしその一方、「疑問1」からは、先ほども触れたが、やや悲観的な見通しが得られるだろう。とすれば、日本リベラリズムの道はどこに見出されるだろうか。

*1:「ポモ」という略称は、やはり差別的ニュアンスがあるらしい。はてなキーワード参照。ちなみに「ポストモダン」の蔑称的用例の最新のものが(ちょうどよく)北田氏によって示された。(大学生のリポート作成に触れて)「だいたいは文脈などお構いなしのポストモダンな答案だ」(毎日新聞6/27付夕刊「揺らぐメディア④」)。シミュラークル的だとでも言いたいのかもしれないが、上記の意味で東氏には失礼な表現だろう。ised理研第3回共同討議「http://ised.glocom.jp/ised/05040312」でコテンパンにやられた意趣返しだろうか。←なんて、いかにもタブロイド的で、卑俗な捉え方ですな。しかし、こういうツッコミどころに事欠かないのが、「80年代テレビ亡者」北田氏の真骨頂。

*2:「おぞましいもの」という言い方は、クリステヴァに由来し、「自分のあり方を揺るがしてしまう対象」を意味する。東氏は、自分も深くコミットした「オタク系文化」を、敗戦により「古き良き日本」が壊れた後で「擬似的な日本」を描き出し、そのことで逆説的に現在の「日本」の矛盾を暴いてしまう性質を持つものだとしている。

*3:あのバブル期が、その後の、日本を巡る言説に落とした影は大きいだろう。あれほど、日本中に金満家的醜悪さ・傲慢さが行き渡った時代はなかった。例えば、どこぞの経営者の「ゴッホの絵を棺桶の中まで持っていきたい」という発言や、ヨーロッパの古城を買いあさりろくに管理もしないとか、各自治体に1億円をばらまいて純金像が各地に出現するとか、金箔入りの料理や酒が流行したとか、就職活動する学生が接待旅行で拘束されるとか、そういった道義性を欠いた社会の醜さである。

*4:補足すれば、これは柄谷行人が、廣松渉<近代の超克>論「近代の超克」論 (講談社学術文庫)の解説に書いた内容を受けている。この文脈で読めば理解できるわけだ。

【7:次回以降の予告】

◇なお、一応今後の予定としては、

といった内容を予定していますが、全部書ききれるかどうかは分かりません。

【1:問題と方法の確認】

◇東氏が90年代から一貫してこだわり続けているのは、現在の私たちが置かれている時代についての状況認識である。この一点への認識の一致がないために、東氏は、前回少し触れたように笠井潔*1と決裂し、さらに、大塚英志氏と多くの理解を共有しながらも袂を分かち、大澤真幸氏に予想通りの軽い失望を味わい、宮台真司氏の「転向」に半ば絶望し、北田暁大氏の『嗤う日本の「ナショナリズム」』にややがっかりし、今度は鈴木謙介*2氏にちょっと期待している、のではないか?
◇前回書いた「僕はそんな自分を快調に受け入れるやつになりはてています」という慨嘆も、むしろ東氏のそういう孤高の状況へと向けられているだろう。そして、東氏の思想が抱える本来的矛盾点とその思想の外部との直面とに相まって、東氏の彷徨はこれからもしばらく続くだろう。…なんて、以上は私のすごく勝手で不躾な、意地の悪い推測です、念のため。
◇もちろん、今回の目的はこういう下世話な観測気球を上げることではなくて、東浩紀を「学問オタク」と言っていいかどうかの論証?篇である。それにしても、今後悔しているのは、やはり扱う対象が大き過ぎたということ。ただでさえ読むのが遅くて苦労しているのに、結局isedの議事録*3まで追っかけていくことになった。当然(私のことだから)議事録を全部読んだわけではないが、従来私が一番等閑に付してしまっていた情報技術・倫理の分野なので、関連のリンクも含めてとても勉強になった。そんなわけで、結論的にはこの一事で十分、東氏自身は「学問オタク」ではないと言えると思うが、そこのところをしつこく論じていくわけである。
◇また、『動ポモ』までの90年代の流れの議論と、00年代(9・11以後)の議論は、基本的な部分で一貫しているが、表面上の変化は大きい。そのどこに焦点を当てるかという問題がある。それと、この記事自体が、自分で書いてても長たらしくて、何でブログに書くのかという疑問はあるが、他に書いて見てもらえるところもないのでとりあえず書かせていただく。

*1:そういえば、笠井氏は季刊小説誌『小説トリッパー』で、北田氏の宮台批判をネタに、東浩紀の用語法に則って20世紀を論ずるという、曲芸的な?評論を書いていたが、立ち読みで済ませてしまった。ここまで人の議論に合わせて物を書く必要があるのだろうか?

*2:すでにご覧になった方も多いと思うが、Exciteにインタヴュー記事あり→http://media.excite.co.jp/book/daily/friday/006/。これを見た限りでは、確かに鈴木氏は、東氏の「情報自由論」に近いところをすごく平易な言葉で語っているようだ。もっとも「情報自由論」も、『カーニヴァル化する社会』も私はまだ読んでませんが。◆関係ないが、雑談。最近、新書売り場に滅多に行かなくなった(新刊が多すぎて、タイトルを見るのも面倒)。宮崎哲弥氏が全部見てくれているので、それでいいやという感あり。それにしても、宮崎氏には仏教を大々的に論じて欲しい。

*3:鈴木謙介氏が、isedで論じていた内容の中に、近年読んだ中で最も明快な18〜20世紀の政治思想史あり。ポリティカル・コンパス的な内容を考えるために格好のもの。「http://ised.glocom.jp/ised/00021030#p1」→これなど、高校公民科をマスターしていればついていける議論だと思うが、逆にいえばその程度の理解もなしにネット上に書いてる連中がいかに多いかということになる。いくらネタとは言っても、少しは水準を上げないと単に有害情報の垂れ流しなのではないか。◆ところでこの鈴木氏は、年下なんだよね。ポスト団塊Jr.世代の柔軟性・行動力・情報収集力・コミュニカティヴな態度にはやられっぱなし。そういえば、はてな社長殿も同世代だった(先週出た『日経ビジネスAssocie』にインタヴューが出てました)結局いつまでもウヨウヨしてるのも30代だろうし。情けないことだが、私は鈍牛コースで行こう。

続きを読む